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『最後の春、君と見た空』  作者: 優貴(Yukky)


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第11話 『消えたはずの名前』

木曜日の午後。

屋上にはまだ風が吹いていた。

それなのに、さっきまでそこにいたはずの人の気配だけが綺麗に消えていた。

朝倉幸太郎はその場に膝をついたまま、動けなかった。

指先が震える。

呼吸が浅い。

目の前で起きたことが、現実だと認識できない。

「……水瀬」

声に出してみる。

返事はない。

当たり前だ。

さっき、目の前で消えた。

なのに。

頭のどこかが、それを拒否している。

「朝倉」

後ろから低い声。

西園寺颯太だった。

幸太郎は振り返らない。

「……見ただろ」

「見た」

颯太の声も硬い。

「全部な」

その声で、ようやく現実感が増す。

一人の見間違いじゃない。

夢でもない。

本当に起きた。

幸太郎はゆっくり立ち上がる。

足元が少しふらついた。

「……何だよ、あれ」

颯太は黙ったまま空を見上げる。

数秒後、小さく言った。

「俺も知らない」

「知らないで済むかよ!」

声が屋上に響く。

初めて幸太郎が怒鳴った。

颯太は驚いた顔をしたが、何も言い返さなかった。

「消えたんだぞ」

幸太郎の声が震える。

「人が、目の前で」

「分かってる」

「分かってない」

「分かってるって言ってるだろ」

颯太も少し強く返した。

沈黙。

二人とも息が荒い。

その時だった。

校内放送が鳴る。

『昼休み終了五分前です』

いつもの声。

いつもの案内。

それがやけに残酷だった。

世界は、何も起きていない顔をして続いている。

教室に戻る。

ざわざわした空気。

クラスメイトたちは普通に話していた。

何も変わっていない。

幸太郎は自分の席に座る。

そして、前を見る。

そこにあるはずの席。

陽菜の席。

……ない。

机そのものがなかった。

空間だけがぽっかり空いている。

「……は?」

声が漏れる。

「どうした?」

隣で颯太が低く聞く。

幸太郎は前を指差した。

「席」

颯太が見る。

一瞬、目が揺れる。

「……消えてる」

幸太郎の心臓が強く鳴る。

それだけじゃない。

黒板横の座席表。

そこにも、水瀬陽菜の名前がない。

最初から存在していなかったように。

綺麗に消えていた。

「おい」

幸太郎は前の席の男子に声をかける。

男子は振り返る。

「何?」

「ここ、前……誰かいたよな」

男子は首をかしげた。

「いないけど?」

「水瀬陽菜」

その名前を言った瞬間。

男子の表情が曇る。

「……誰?」

その一言。

胸が凍った。

「冗談やめろ」

「いや、本気だけど」

「同じクラスだろ!」

男子は困ったように笑った。

「朝倉、疲れてる?」

幸太郎の手が震える。

本当に、覚えていない。

嘘じゃない。

存在そのものが消されている。

隣で颯太が小さく言った。

「やっぱり、記憶も消えてる」

幸太郎は息を飲む。

「でも……」

颯太は続ける。

「俺は覚えてる」

その言葉に、幸太郎は振り返る。

「お前も?」

颯太は頷く。

「全部じゃない。でも、水瀬がいたことは覚えてる」

授業が始まる。

でも内容は入らない。

先生が出席を取る。

「朝倉」

「……はい」

「西園寺」

「はい」

普通に進む。

そして終わる。

“水瀬”の名前は呼ばれない。

最初から一度も存在しなかったように。

放課後。

幸太郎は図書室に向かった。

理由もなく足が動いていた。

陽菜が好きだった本。

昼休みに話した作家。

屋上。

全部が頭に浮かぶ。

消えない。

自分の中には確かに残っている。

図書室の窓際。

春の夕陽が差し込んでいた。

本棚の影が床に伸びる。

そこに一冊の文庫本が置かれている。

見覚えがあった。

陽菜が読んでいた本だ。

幸太郎は手を伸ばす。

ページを開く。

その中から、一枚の紙が落ちた。

しおり。

見覚えのある文字。

“いつか、桜の下で笑えますように”

幸太郎の息が止まる。

指先が震える。

「……残ってる」

存在が消えても。

名前が消えても。

この紙だけは残っていた。

「朝倉」

後ろから颯太。

幸太郎は振り返る。

颯太の顔が、いつもよりずっと真剣だった。

「それ、まだあるのか」

「……ああ」

「なら、完全には消えてない」

「どういう意味だ」

颯太は少し間を置いた。

「記録は消える。記憶も消える」

一拍。

「でも、“誰かが強く残したもの”は消えないことがある」

幸太郎はしおりを握りしめた。

その紙のぬくもりが、まだ残っている。

陽菜の字。

陽菜の言葉。

確かにここにある。

その時だった。

スマホが震える。

通知。

見慣れない差出人。

画面には一行だけ表示されていた。

『次の木曜日までに、思い出して』

幸太郎の指が止まる。

送信者名はない。

番号もない。

ただ、その一文だけ。

颯太が横から覗く。

「……誰からだ」

幸太郎はゆっくり息を吸った。

そして答える。

「分からない」

でも心の奥では分かっていた。

あの言葉。

あのタイミング。

これは――

消えたはずの彼女からだ。

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