第15回 終焉の王、真実の絶頂
「――消えろ。愛だの救いだの、吐き気のする妄想ごと、虚無に帰れ」
漆黒の鎌が振り下ろされる。
神の領域、その黄金の空がガラスのように割れ、闇が溢れ出した。
旧勇者の姿は、もはや人間ではなかった。
感情を削ぎ落とし、ただ『否定』するためだけに存在する滅びの化身。
その背後では、旧戦士が虚空を握り潰し、空間そのものを消滅させていく。
「……アルス。危ないわッ!!」
ミリアが叫び、アルスの身体を突き飛ばした。
彼女の白い肌を、漆黒の鎌がかすめる。
一瞬。
ミリアの存在が、霧のように薄く透けた。
「ミリアさん!!」
「……大丈夫、アルス君。解析は……一瞬で終わったわ。……あの方たちの力は、私たちが生み出した『悦び』の正反対。……全てを『無』にするエントロピーよ」
ミリアはよろめきながらも、アルスの腕の中に再び飛び込んだ。
彼女の瞳には、死への恐怖ではなく、学者としての冷徹な情熱と、女としての狂おしい愛が混ざり合っている。
「……アルス。この『無』を打ち破る方法は、ただ一つ。……この宇宙が始まって以来、一度も到達されたことのない……『極限の肯定』をぶつけるしかないわ」
「極限の肯定……? それって、まさか」
「ええ。……四人が完全に一つになり、個を捨て、ただの『愛の震え』になることよ」
一往復目。
敵の『虚無』に対し、少年たちは『過剰な存在証明』を叩きつけることを決意した。
「……やらせないよ、おじい様方。……エルセさん、僕に、あなたの全てを預けて!」
カイルがエルセの豊かな胸を背後から包み込む。
ヌチュ、ジュルリッ……。
神聖なる戦場に、場違いなほど濃厚で、湿った音が響く。
エルセの身体は、カイルの指が触れるだけで、まるで電気を流されたように跳ね上がった。
「あ、あああぁぁぁっ♥ カイル君……っ! ああ……世界が、闇に飲み込まれていくのに……私の身体は、こんなに、こんなに熱いのぉっ!!」
「それでいいんです。……その熱さこそが、あの親父たちの『虚無』を焼き払う唯一の炎だッ!!」
二往復目。
絶望の淵で、愛欲は究極の兵器へと昇華される。
「無駄だ。……愛など、一時の脳のバグに過ぎん。……死ね、我が息子よ」
旧勇者が再び鎌を振り上げる。
だが、その刃がアルスの首筋に届く直前。
――ドクン。
エルセとミリア。
二人の母親が、同時に絶頂の叫びを上げた。
「「――『四重奏・真理覚醒』ッ!!」」
ドォォォォォォォンッ!!
アルスとカイル。
エルセとミリア。
四人の境界線が消えた。
肉体も、性別も、親子という関係性も。
全ての理が、一つの巨大な「光の渦」へと飲み込まれていく。
それは、宇宙創生の瞬間に匹敵する、圧倒的な生命の爆発。
「な……何だ、この光は!? 俺の『虚無』が、塗りつぶされていく……!?」
旧勇者が驚愕に叫ぶ。
彼の放った漆黒の鎌は、黄金の光に触れた瞬間、パウダー状に砕け、芳醇なハーブの香りと共に消え去った。
「……親父。……あんたには分からないだろうな」
光の中から、四人の声が重なり合って響く。
「……あんたが『空虚』だと切り捨てたこの悦びが。……どれほど深く、どれほど重く、この世界を支えていたかを」
「……この光は、あんたたちを倒すためのものじゃない。……あんたたちが捨てた『愛する力』を、無理やり思い出させるための……最後の祝福だ」
三往復目。
息子たちの慈悲。それは、どんな物理的な攻撃よりも残酷な「救済」だった。
黄金の光が、旧勇者と旧戦士の肉体を優しく、しかし強引に包み込む。
彼らの脳内に、強制的に流れ込むビジョン。
それは、若き日の自分たちが。
エルセとミリアを初めて抱き、その温もりに涙した、あの純粋な瞬間の記憶。
そして、その記憶を上書きするように。
今の自分たちが。
妻たちの孤独を無視し、自分勝手な英雄譚に酔いしれ、彼女たちの心を殺し続けた、醜い現実。
「あ……ああ、あああああああぁぁぁぁっ!!」
旧勇者が、頭を抱えてのたうち回った。
「やめろ……見せるな! 俺は世界を救ったんだ! 英雄なんだ! 妻なんて、後からついてくる付属品でしかなかったはずだ……ッ!!」
「付属品なんかじゃない……。……私は、貴方に、見てほしかったのよ……っ」
光の中から、エルセの優しい声が響く。
「……貴方が救った世界の中で。……貴方のすぐ隣で、泣いていた私を。……たった一度でもいいから、抱きしめてほしかった……っ」
その言葉が、旧勇者の『虚無の鎧』を粉々に砕いた。
旧戦士もまた、ミリアの冷徹な、けれど愛に満ちた宣告に膝をつく。
「……貴方の筋肉は、私の心までは守ってくれなかった。……さようなら。……私を救ってくれたのは、貴方ではなく、貴方の血を継ぐ、この子だったわ」
終焉の王たちは、光の中に溶けていく。
彼らは消滅したのではない。
自分たちの犯した罪――『愛の欠如』という名の絶望を、永遠に味わい続けるための、新しい世界の『礎』へと変えられたのだ。
光が収まる。
そこには。
新しく生まれ変わった、美しすぎる世界が広がっていた。
王都は緑に包まれ、人々は皆、何かに祝福されたような穏やかな表情を浮かべている。
そして。
屋敷のテラスには、
以前と変わらぬ姿で、
けれど、以前よりも遥かに強い絆で結ばれた、四人の姿があった。
「……終わったのね。本当の意味で」
エルセが、カイルの腕の中で幸せそうに目を閉じた。
「ああ。……これからは、誰に遠慮することもない。……俺たちの愛が、この世界の新しい『法』だ」
アルスがミリアの腰を引き寄せ、彼女の唇に深い口づけを落とす。
ジュブ、ジュル、ジュブゥッ!!
昼間からテラスに響く、淫らな水音。
だが、それを咎める者はもう、この世界のどこにもいない。
かつての英雄たちは伝説へと消え。
新しい『四重奏』による、背徳と祝福の時代が始まったのだ。
「……ねえ、アルス。カイル」
ミリアが、少し上気した顔で、二人の少年を見つめた。
彼女の腹部は、先ほどまでの異常な膨らみこそ消えていたが。
そこには、これまでとは違う、微かだが『本物』の、新しい鼓動が宿っていた。
「……どうしたんだ、ミリア?」
「……解析の結果が出たわ。……私たち、どうやら……また『お祝い』をしなきゃいけないみたいよ」
ミリアが、自分の腹部と、エルセの腹部を指差した。
「……今度は、世界の理を書き換えるためじゃない。……ただ、貴方たちの子供として生まれてきたいと願っている……本物の『命』が、二つ」
アルスとカイルは、一瞬呆然とし、そして顔を見合わせて笑った。
「最高だな。……今度は、どんな『勇者』に育てようか」
「いや……勇者なんていいよ。……父さんたちみたいに、身近な人を大切にできる……最高の『男』に育てようぜ」
四人の笑い声が、新しい世界の風に乗って広がっていく。
しかし。
その至福のひととき。
テラスの庭の隅で、
かつて彼らを導き、そして消えたはずの少女――『惑星の性欲』が、
誰も気づかない場所で、静かに、一輪の『漆黒の花』を摘み取っていた。
「……フフ。おめでとう、新世界の創造主たち」
彼女の瞳には、祝福ではない、もっと深く、暗い『予感』が宿っていた。
「……でも、忘れないで。……愛が完成したその瞬間から。……次の『不浄な渇き』は、もう、動き始めているのよ」
リビドの手の中の花が、パラリと崩れる。
その欠片は、風に乗り、
遠く、まだ誰も足を踏み入れたことのない『未開の東方大陸』へと、
何かの種子のように、吸い込まれていった。




