第1回 勇者と聖職者、背徳の密約
「……なあ、アルス。お前の親父さん、また俺の母さんの尻を撫で回してるぞ」
その言葉は、建国以来最大と言われる祝宴の喧騒を、一瞬で凍りつかせるような響きを持っていた。
王都の王宮、その一角にある豪華なテラス。
眼下の大広間では、魔王を討伐し、世界に平和をもたらした『伝説の勇者パーティ』の帰還を祝う宴が最高潮に達している。
勇者の息子、アルスは親友の言葉に溜息をつき、手にした銀杯のワインを飲み干した。
「……吐き気がするよ、カイル。うちの親父にとっては、元聖女の俺の母さんも、元賢者のお前の母さんも、戦利品のコレクションの一つに過ぎないんだ。あいつは世界を救う能力と引き換えに、デリカシーという概念を魔王の城に置いてきたらしい」
二人の少年の視線の先。
大広間の中央で、泥酔した『旧勇者』と『旧戦士』が下卑た笑い声を上げている。
アルスの父である旧勇者は、世界で最も清廉であるはずの聖女――アルスの母・エルセを無理やり膝の上に座らせ、その豊満な胸元に顔を埋めては大笑いしていた。
一方、カイルの父である旧戦士は、伝説の大魔導師――カイルの母・ミリアの肩を、まるで獲物を仕留めた獣のような荒々しさで抱き寄せ、自慢げに武勇伝を語っている。
「……見てみろよ、あの母さんたちの顔」
カイルが苦々しげに呟いた。
聖女エルセは、完璧な微笑を浮かべている。
大魔導師ミリアは、冷静な表情を崩していない。
だが、その瞳の奥にある深い孤独を、彼女たちが手塩にかけて育て上げた息子たちが見逃すはずがなかった。
「母さんたちは、俺たちにいつも言っていた。『世界を救うことよりも、身近な人を大切にできる男になりなさい』ってな。……皮肉なもんだよ。あんなに身近な人を蔑ろにする男たちが、世界を救った英雄なんだから」
アルスの声は、深夜の風のように冷ややかだった。
広間の隅にある給仕台の上には、冷めきった煮込み料理が放置されている。
それは、エルセとミリアが英雄たちの帰還を祝うために、何日も前から下準備を重ねて作った特別な一品だった。
しかし、父親たちは一口もつけることなく、王宮が用意した派手なだけの霜降り肉に夢中だ。
愛の欠如を象徴するような、その冷えた皿。
それを見つめるアルスの瞳に、ドロリとした熱情が宿る。
「カイル。……お前、気づいてるか? 母さんたちが時折、お互いを見る時のあの視線」
「ああ。……まるでお互いの欠落を埋め合うような、痛々しくて、それでいて激しい視線だろ。親父たちが与えなかった愛を、母さんたちは二人だけで分け合ってきたんだ」
二人の少年は、互いに視線を交わした。
そこには、友情以上の、おぞましくも美しい「共犯」の意志が芽生えていた。
「なあ、カイル。……お前の母さんは、世界一美しい。知的な眼鏡の奥にあるあの孤独を、俺なら、俺の熱量なら、全部溶かしてあげられるのにって……ずっと、ずっと思っていたんだ」
「……アルス。お前、正気か?」
「正気だよ。……俺は、ミリアさんにガチ恋してるんだ。……お前のパパがただの『戦利品』として扱う、あの大魔導師の本当の『女』を、俺が引きずり出してやりたい」
カイルの息が止まった。
だが、拒絶の言葉は出なかった。
代わりに、自らの喉を鳴らす乾いた音が、静寂に響いた。
「……奇遇だな。俺もだ。エルセさんが、あの脳筋勇者の下で慈愛の仮面を被り続けているのを見るたびに、胸が締め付けられる。……俺なら、聖女の法衣を脱ぎ捨てさせて、一人の女の子として甘やかしてあげられるのにって」
カイルの瞳にもまた、アルスと同じ、暗い欲望の炎が灯っていた。
告白は、静かな夜に火をつけた。
「カイル。……俺たちは、あの親父たちの息子だ。奴らの血を引いている。……だから、あいつらが手放した宝物を、誰よりも深く、激しく、完璧に愛でる権利があると思わないか?」
「……だが、実の息子じゃ、越えられない一線がある。……俺の母さんは、俺を『子供』としてしか見ない。お前の母さんだってそうだろう」
理屈という名の、自分たちを納得させるための鍵が、ガチャリと音を立てて回った。
「だから……交換しよう。カイル。お前が俺の母さんを寝取り、俺がお前の母さんを寝取る。……俺なら、お前の母さんの孤独を『男』として癒やせる。お前なら、俺の母さんの渇きを『恋人』として潤せる」
「……親友同士で、母親を交換する、か。……魔王を倒すよりも、ずっと背徳的で、ずっとワクワクするな」
少年の純愛は、この瞬間、世界で最も罪深く美しい大罪へと変わった。
アルスは懐から一振りの短剣を取り出し、自らの指先を薄く切った。
溢れ出す赤い雫を、銀杯のワインに落とす。
カイルもまた、迷うことなくそれに倣った。
「お前のママを、俺が女にする。……その代わり、俺のママを、お前が救ってくれ」
「ああ。誓うよ。……お前のママが、俺の名前を呼んで泣き叫ぶまで、愛し抜いてやる」
二人は、血の混じったワインを飲み干した。
階下の広間からは、いまだに下品な笑い声が聞こえてくる。
旧勇者がエルセの腰を引き寄せ、ミリアの肩を抱く旧戦士が卑猥な冗談を飛ばしている。
その光景を見て、アルスは冷たく笑った。
「笑っていられるのも今のうちだぜ、親父。……あんたたちが蔑ろにした妻たちは、今夜から、俺たちのものだ」
夜風が、エルセとミリアが交わす密やかな視線の熱を運んでくる。
彼女たちの瞳が、テラスに立つ愛おしい「親友の息子」たちを捉えた瞬間、わずかに潤んだのを、二人は確信した。
それは、失われた愛の継承。
新世代による、残酷なまでの救済の始まりだった。
「さて、カイル。……まずは、どっちから行く?」
「俺は……もう決めている。エルセ母さんが、一人で祈りを捧げるあの寝室だ」
カイルは不敵に微笑むと、背後にある屋敷の奥へと続く階段を登り始めた。
手には、母ミリアから教わった、精神を極限までリラックスさせる特殊な魔導香が握られている。
アルスもまた、賢者ミリアが一人、古びた魔導書と向き合う書斎へと向かう。
背徳の夜が、今、幕を開ける。
(第2回へ続く)




