7 王子様が迎えにきました【ルーク視点】
海辺で女達が語り合う一方で、男達が椨の木に隠れ、こそこそと女達の様子を覗いていた。
絶賛覗き中の高貴なる男二人は、第二王子ユーフラテスとキャンベル辺境伯令息のハロルドの二人である。
「あの女……! また俺のことをクソって言ったな!」
「で、殿下、落ち着いてください……!」
額に青筋を浮かべ眉間の皺をこれでもかと深く刻み、今にもサーベルを鞘から抜かんと鞘に手を当てるユーフラテス。ハロルドは縋りついて必死に宥めている。
――姉上、その下品でやかましい口を閉じてください!
ユーフラテスの腰にしがみつきながらハロルドは、不敬極まりない発言を繰り返す姉ネモフィラを心の内で激しく罵っていた。
ユーフラテスもハロルドも、武勇のキャンベル辺境伯領で互いに剣術・体術と切磋琢磨する仲であるので、双方どちらも体力のある方ではあるが、如何せん年が違う。二十一歳と身体の出来上がったユーフラテスに対し、十五歳とまだまだ少年のハロルドではどうにも分が悪い。
何が何でも離さない! とスッポンの如くしがみつくハロルドの腕から、ユーフラテスが抜け出すのは時間の問題だった。
ハロルドに構わず歩を進めようとするユーフラテスに、ズルズルと引きずられるハロルド。
白い砂浜の上、ハロルドのつま先が轍のように跡を残していた。
そんな二人のやり取りが、薪割りに向かうルークの目に入ってきた。
くすんだ金髪と輝かしい黄金の金髪の二人の男の頭が木陰からひょこひょこと覗いている。
くすんだ金髪が第二王子ユーフラテス。燃えるような黄金の髪がキャンベル辺境伯家次男ハロルドである。
――殿下とハロルド様がお見えになったということは、ここでの生活も終わりだな。
ネモフィラが王子妃として嫁ぐまでの間、貴族令嬢としてありえないほどのびのびと自由に暮らせていたのは、キャンベル辺境伯家の方針というよりも、ネモフィラの婚約者である第二王子ユーフラテスが寛大であったからに過ぎない。
ユーフラテスがネモフィラの奇行を見逃してくれていたのだ。そうでなければ、ネモフィラはもっと早い段階で辺境伯家に連れ戻されていたはずである。そして連れ戻されたあとは、もはやそう簡単には外出できなくなっていただろう。
その王子様がついに迎えにやってきた。
ルークはどうやらやっと主人達がまとまってくれそうな気配に安堵した。
孤児院はルークにとって、捨てたはずの過去を思い出させる場所であり、決して居心地のよいものではなかったのだ。
ネモフィラはルークが孤児院という施設に忌避感があることを「乙女ゲーム」とやらの知識で知っていると言っていたが、ルークの心情を慮ることはなかった。ネモフィラは「乙女ゲーム」とやらの知識を興奮して振りかざしては未来視のようなことをするが、それはまるで物語を読んでいるだけのような様子で、生きている人間に対する振る舞いではなく、どこか薄情で非情だとルークは感じていた。
劣悪な生育環境下にいたルークを救い出したのは「ゲーム通り」に話を進めるためだったからだとか。
ルークが恋に落ちる少女とは「ゲーム通り」なら、もう少し後で別の出会いをするはずだが、「ルークルート」はやっぱり好みじゃないので、ついてきちゃったのなら――ネモフィラは侍女も従者も護衛の誰一人供につけずに孤児院へ向かおうとして辺境伯を大いに慌てさせた――出会いを変えることにしておこうとか。
相手の少女がまだ恋愛対象にならないような幼いうちから孤児院で出会ってしまうけど手を出さないようにだとか。
ルークを始め周囲の人間を、それぞれ感情のある生きている人間ではなくネモフィラの思い描く物語の中の登場人物として扱い、どこか現実世界からフワフワと浮いて夢ばかり見ているネモフィラ。
悪い人間ではなく、時には親切で思いやりもあるはずなのに、共に孤児院で暮らす孤児達が痩せこけて無学で技術もなく、暗い未来しか望めないでいる様子も目に入っていないネモフィラ。
劣悪な環境の孤児院から救い出してくれたネモフィラに感謝の念は残っているが、ルークは底知れぬ不気味さも感じていた。
「お嬢様が幸せなら、なんでもいいですけどね……」
ネモフィラによって救い出され、辺境伯家の厩舎で任される仕事を覚え始めていた頃。
ネモフィラは十歳前後。ルークは生まれが生まれなので、正確な年齢は不明だが、ネモフィラのいくつか下、といったころ。
馬か、それともルークの様子を見るためか。厩舎へふらりとやってくるネモフィラと言葉を交わすうち、お嬢様の不安定な心の内に何とはなしに気がついた。
「子を生まなくてもいい人生が選べたらよろしいのに」
ルークに返事を求めていたわけではないのだろう。おそらくただの呟き。
貴族令嬢としてではなく、平民であっても、女が子を生むことは当然のことだ。貴族であれ平民であれ、子を生まない女は離縁されるし、平民であれば女が仕事をすることに障害はないが、それでも女が一人で生きていくのは難しい。
なぜ九つとまだ幼いネモフィラが、子を生みたくないと思うのか、ルークにはわからない。わからないが、いつものんびりポカンと間抜け顔をしているネモフィラが、その時は思いつめたような、酷く苦しげに眉を寄せていた。
ネモフィラには婚約者がいて、それは今よりさらに幼かった頃から決まっているらしい。相手は第二王子殿下だ。
王子様のお相手に選ばれるとは光栄なことだと浮かれるより、ネモフィラには重荷のようだった。
それもそうだとルークは思う。ネモフィラは五歳の頃からもう未来が決められていて、その決められた未来に相応しくあるよう型に嵌められていく人生だ。ネモフィラの意思など必要ないどころか、むしろない方がいい。生きながら人形であることを望まれている。
それが貴族というものなのかもしれないが、ルークだったら、そんな息苦しい人生は嫌だと思う。
だからネモフィラが辺境伯家を出奔すると言い出したときは、また突拍子もないことを言い出したな、とは思ったが、少しくらい、王子に嫁ぐまでの間くらい、ネモフィラ自身のしたいように自由な時間があってもいいのではないかと思った。
同年代含めて子供嫌いで――王子とネモフィラの弟ハロルド、またルークは例外のようだったが――孤児院の慰問などまるで避けていたくせに、慰問でもなく孤児院に住まうために孤児院に行く、と。
貴族令嬢として第二王子の婚約者として、あるまじきことだと父親の辺境伯は怒り心頭で、こんな娘が婚約者などと殿下に申し訳ない、殿下に婚約解消を望まれてもやむを得ないと申し出た。
しかし辺境伯の善意からの申し出は、婚約解消など臣下のお前が口にしてよいものか、とユーフラテスを激怒させてしまった。その上ユーフラテスはネモフィラを孤児院から無理やり引き戻すこともせず、孤児院どころか修道院にまで入って、さらにまた孤児院に戻ってくるという暴挙も見守っていた。婚約は維持したままだ。
ルークにもわかった。
ユーフラテスはネモフィラを大事に思っている。ネモフィラの不安定な心を知っている。
「老い先短い爺なんかに逃げてないで、殿下に幸せにしてもらえばいいんですよ」
わけのわからないことを言い出して、自分の世界に閉じこもって、現実が見えていない、どうしようもないお嬢様なんて、ただ王子様に愛されていればいい。
妄想癖があって、薄情非情なくせに、ぽわんと間の抜けた笑顔を振りまいてルークを惑わせるネモフィラなんて、ルークの手に余るのだ。




