5 お貴族様ご邸宅の厩務員という設定で暗殺稼業っぽい下男に殺されそうです
そんなこんなでネモフィラさんのことをすっかり誤解していました。でもさすがにアレはちょっと予想できないと思うの。
「‥ジャック」
這々の体で転げ出した先、ジャックを見かけてヨロヨロと擦り寄っていくと、まるで満身創痍の私にジャックはギョッとした。
「どうした!何があった!」
ジャックが慌ててすっとんでくるから、それまで抱えていた薪は投げ出されてガラガラと音をたてた。後ろでルークさんが拾い上げてる。ルークさんごめんなさい…。ジャックは気にもせずに肩を抱えてくる。
「ネモフィラさんが…」
「ネモフィラがっ?!」
うん。鬼気迫るジャックが怖い。まだ名前しか言ってないのに、めちゃくちゃ怒ってる。
正面どアップに迫るジャックの顔からひょいと首を伸ばしてジャックの後ろに視線をやると、薪を拾いながらルークさんがこちらをチラチラ見ていた。ネモフィラさんの名前が出たから気になるんでしょうね。お仕事お疲れ様です。
「どうしたんだ!リナ!」
ジャックの荒い鼻息で前髪がふわふわ浮く。とりあえずジャックは話を聞いてほしい。落ち着いてほしくて後ろに下がって距離を取ろうとしたら腕を掴まれてしまった。痛いぞジャック。
「なんかこう、色々と予想外だった…」
思い出すと遠い目になってしまう。ネモフィラさん、まさかあんな人だったとは。
「大丈夫か?ネモフィラに何されたんだ?オレがあいつぶん殴ってきてやるぞ?」
わーお。ジャック、後ろから殺気飛んできてるぞ。ルークさんの仄暗く、それでいてらんらんと光る眼がとてつもなく怖いです。なんでしょうか。お貴族様のおうちの厩務員だなんて牧歌的な存在がする眼じゃない。実は暗殺稼業の人だったりするんでしょうか。なんだかそんな気がしてきた。お偉いお貴族様が抱えている影とかいう都市伝説的なやつですね。このままだとジャックも私も、人知れず処分されてしまう…。
いやいやいや。
それはだめでしょ!
「違うっ!違うわ!ジャック!」
頭の中に浮かんだ想像――人気のない森の奥でジャックと私は血の気の失せた真っ白な顔と体で二人並んで横たえられてる――を慌てて脳裏から消し去って、暗黒色に禍々しく色づいていそうな殺意でもってこちらを見据えているルークさんと目を合わせて首をぶんぶん振る。必死で弁解の意を伝えているのだけど、伝わっているのかとても不安。ルークさんの視線だけで殺されそうだわ。
獲物を定めたように少しも外されないルークさんの視線が恐ろしくて、涙目になってしまう。
しかし!
ジャックが勘違いしてる気がする…!ジャックの眉間の皺が険しくなってる!
「リナ、そんなに怖い思いをしたのか!?」
「だから違うってば…!」
怖いのはジャックの後ろでまさに臨戦態勢に入ってるルークさんですから!ていうかジャックはこの殺気に一切気が付かないの?え。なに鈍感すぎない?リナを守るって言ってくれてたけど、ジャックには無理だから!絶対無理だから!ああ本当にもう…。
「言ってることの半分もわかんなかったけど、悪い人ではなくて、やっぱり貴族令嬢様で貴族令嬢様とは思えない程突飛な人で、抜けてそうだなって思ってたのはそうだったんだけど。…思ってた人とは違ってた…」
語れば語るほど遠い目になってしまう。
「どういうことだ?そんなつらそうにして…」
ジャックが何やら悔しそうな顔をしている。なぜ。そして私はつらそうにしているのではなくて、ネモフィラさんの予想外の、常識の範囲から逸脱したお話しを思い出してうっかり意識を飛ばしていただけ。
「やっぱりオレがネモフィラを問い詰めないと…」
「しなくていいっ!しなくていいから!ネモフィラさんは予想とは違っていたけど、悪いことを企むような人じゃないから!」
まぁ、ある意味悪いことかもしれないけど。お貴族様的には。
とにかく違うからな?お前のよからぬ想像はまったくもって杞憂だからな?その豊かでベクトルのずれたイマジネーションワールドはどこかに捨ておいておくれ、と伝えたくて、ジャックの両腕をギュッと掴んで、必死にジャックの目を見て訴えると、ジャックが顔を真っ赤にした。なぜ赤くなった、ジャック。
ジャックの後ろでは薪を抱えたルークさんが、睨みをきかせたまま動かない。怖いです。