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13「相手が子供だろうが何だろうが、売られた喧嘩には勝ちますよ」


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 傾き始めた太陽が雲を薄赤く染めている。空の青も僅かに黄に霞み、零れる日差しは影を長く伸びさせた。

 紫呉は目当ての見世を探して華芸町をうろうろしていた。彼はいつもだいたい決まった位置で見世を開いているのだが、今日はそこには姿が無かった。

 夏の華芸町は常よりも人足がまばらだ。見世を開く香具師の数も少ない。気候の良い頃は向かいの香具師の姿も見えぬ程、人の行きかいがあるのだが。

 普段は香具師たちが見世の周りに打ち水をするのでそうでもないのだが、香具師の姿もまばらな今日は埃っぽく、空気も砂埃で多少白んでいるような気がする。

 咳払いを一つして、紫呉は首を巡らせた。耳に馴染んだ声が聞こえてくる

 ずいぶんと奥まった位置に、彼はいた。その場は愛染街への橋の側で人通りも多く、いつもなら老練者ベテランが陣取っている。

 だが今日は彼以外に香具師の姿はない。普段は所狭しと茣蓙がひかれ、見世が開かれているのに。今日は離れた位置で、女が薄物一枚を身につけ水芸をしているくらいだ。

 しかしせっかく良い場所を陣取れたにも関わらず、僅かな客もその女に取られてしまい、彼の茣蓙の前には子供が二人いるだけだった。

 紫呉は水芸の観客にまじり、そこから彼の見世に視線をやった。普段なら観客の後ろの方で見るのだが、今日はそうもいかない。二人の子供の背には隠れられない。

 何故だか彼は、紫呉に見世を見られるのを嫌う。見つかるといつも怒られるのだ。だからいつもこっそり覗いている。

 彼の今日の傀儡舞の演目は戦物だった。彼は普段、情物を好んで多くするので珍しい。

 彼は『坊』と呼んでいる新しい傀儡に派手な衣装を着せ、十指に繋がる糸で器用にくるくる操り、跳ねさせていた。

 謡いも情物よりずっと勇壮なものだ。緩急や高低の差が派手な謡いは、小気味良い。

 深く響く低音。時折ひび割れるのは故意か偶然か。伸びやかな高音は、声を裏返すその一瞬手前に少し掠れる。息を継ぐ音や吐息の落とし方までもが謡いの一部で、耳に快く響いた。

 見事に坊は討死を遂げ、彼の演目が終わる。二人の子供は拍手喝采だ。紫呉も思わず手を打ち合わせてしまい、水芸の観客に変な顔をされてしまった。

 少しばかり気まずい思いで、紫呉は水芸の観客の群れから離れた。その頃には彼もこちらに気付いており、頭巾の前垂れ越しに、剣呑な視線を送ってくる。頭巾を剥ぎ取った彼は、見るからに嫌そうな顔をした。見世の最中は眼鏡をしていないので、険のある目つきが露である。

「お前、来んなっつってんだろうが」

「いえ別に。僕はあなたの見世を観にきたわけでは。ほら、あちらの肉感的な美女の水芸を観にね」

「嫌な表現すんじゃねえよ」

 雪斗は頭巾で顔の汗を拭い、あっちぃとぼやきながら黒衣姿を諸肌脱ぎになった。腹掛けは汗を吸い、さらに色濃く染まっている。赤銅色の髪も汗に濡れ、普段は四方八方にツンツンと跳ねているそれは勢いを無くし、へにゃりとしなびていた。

「暑苦しいですよ」

「るせえ。お前の方が見てて暑苦しいっての」

 そう言われた紫呉は、黒の薄物に、白の夏袴姿だ。確かに見目も暑苦しいだろうし、着ている自分自身も暑い。

 だが袴をつけていないと裾が脚に絡んで邪魔なのだ。尻端折ると須桜がいつも以上に周りをちょろちょろして鬱陶しいし。

「っつーか、水芸が目当てならさっさとあっち戻れば?」

「いえ。僕には多少、刺激が強すぎますので」

「よく言うよ」

 水で喉を潤して一息つき、雪斗は腹掛けの衣嚢ポケットから岩塩を取り出し舐めた。戦物は傀儡の動きも派手で謡いも速い。情物よりも体力を使うのだろう。汗に濡れた胸元は、せいせいと荒い呼吸に上下していた。

 ふと、紫呉は視線を感じた。

 じっと、二人の子供がこちらを見ている。

 一人は、十一、二ほどの少年だ。そばかすと頬の絆創膏が目立つ。かさぶたの残る膝小僧を抱えるようにして座る彼は、やけに剣呑な視線をこちらに注いでいた。

 もう一人は五つ六つほどの幼い少女だ。短く切った髪はひどい癖っ毛で、タンポポの綿毛を思わせて微笑ましい。興味深げにこちらを見上げる視線に悪意は無いが、穴が開きそうなほどにじっと見られては、流石に居心地が悪かった。

「おいお前」

 少年が口を開く。第一声からして喧嘩腰だ。

「何か」

 思わず紫呉の声も尖ったものになる。まあ元から響きは硬いので、普段と大差は無いのかもしれないが。

 一瞬ひるんだ少年だったが、瞳にぐっと力を入れて言葉を続けた。

「何なんだよさっきから。しつれーじゃねえの? 雪斗さん頑張ってんのにさ。あっちの女が目当てならあっちいけよ、うっとーしい」

 ふん、と鼻を鳴らして、少年は顎先で水芸の女を示した。

「雪斗、何ですかこの小猿は」

「小猿!?」

「……紫呉、お前な。ガキ相手に大人げねえぞ」

「ガキって!! オレ、ガキじゃねえもん!!」

「な、らしいですよ」

「いや、まあ、でも、大人げねえよ」

「相手が子供だろうが何だろうが、売られた喧嘩には勝ちますよ」

 というわけで、と前置き、紫呉は少年に向き直った。

「僕に何かご用ですか?」

「べ、別に用なんてねえよ! うっとーしーだけだ! 目障りなんだよ!!」

「中々流暢に喋る猿ですね。僕に何のご不満が?」

「……っ全部だよ!! 見た目も! 喋り方も!! 第一いんしょーからしてサイアク!! うっとーしーんだよ!!」

 ぎゃんぎゃんと噛み付く少年を、雪斗は大きく嘆息してから諌める調子で言った。

典我てんが、そんくらいにしとけって。こいつが鬱陶しいのはオレもだけど」

「おや、ひどい言い様ですね雪斗」

 典我と呼ばれた少年は、雪斗の同意を得たのが嬉しいのか、胸をそらして威張っている。

「ほら見ろ。雪斗さんもお前のことうっとーしーってさ。なあ雪斗さん、何なんだよこいつ」

「別に。ただの顔見知りだよ」

「へーえ?」

 にやにやと笑いながら、勝ち誇ったようにこちらを見てくる典我だ。

 ただの顔見知り呼ばわりなんて、少し寂しい。雪斗に鬱陶しいと言われるのなんていつもの事だが、それもやはり寂しかった。

 喧嘩を売られたからには勝ちたいところだが、何となく出端を折られた気分だ。

 それに、典我がやけに雪斗に懐いているのも気に入らないし、雪斗が典我の肩を持つのも気に入らない。

 まるで子供だと我ながら思うが、気に入らないのだから仕方ない。



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