11話『私は何度でも、あなたを選ぶ』
朝は、あまりにも静かだった。
音がないのではない。
世界そのものが、息を潜めているような静けさだった。
まるで一度すべてが壊れ、そして“やり直された直後”の世界のように。
窓辺に立ち、私はゆっくりと息を吐く。
――王国は、変わった。
アスラ王太子は廃され、王都の混乱を収めた第二王子が、正式な王位継承者となった。
そして、公爵家だった私の実家は没落した。
かつて私を「不要」と切り捨てた家族は、今では名もない暮らしをしている。
ある日、実家から手紙が届いた。
謝罪、後悔、懺悔。
長すぎるほどの言葉。
私は最後まで読み、そして静かに折りたんだ。
仕送りは続ける。
でも、戻らない。
それだけだった。
「……こんな結末になるなんて」
思わず、笑ってしまう。
追放されたあの日の私は、
何ひとつ持っていなかった。
家族も。
婚約者も。
居場所も。
すべてを失った“はず”だった。
それなのに――
今の私は、あの頃よりずっと満たされている。
「……夢みたい」
「夢じゃない」
即座に返る声。
振り返ると、そこに彼がいた。
キリア。
いつも通りの顔で、まるで最初からそこにいるのが当然だったように立っている。
「朝からぼーっとしてたな」
「少しだけ」
そう言うと、彼は小さく息を吐いた。
次の瞬間。
こつん。
「痛っ」
額に軽い衝撃。
「現実だ」
短い声。
たったそれだけなのに、胸の奥が熱くなる。
――ああ、本当に。
もう終わったのだ。
私はもう、誰かの顔色をうかがわなくていい。
必要とされるために、自分を削らなくていい。
その事実が、ようやく“現実”になった。
その日の午後だった。
王都から使者が来た。
差し出されたのは、王家の封蝋。
「――追放処分の撤回。爵位の復帰。王都への帰還命令」
もしあの日の私なら、泣いて喜んだだろう。
でも――
私は静かに、首を横に振った。
「今さらですね……」
もう、その場所は必要としていない。
「どうする」
キリアが問う。
私は書状を見下ろし、息を吐いた。
「いりません」
過去が、完全に終わった瞬間だった。
◇
その日の夜は――
綺麗な月が高く昇っていた。
庭に出ると、そこにはキリアがいた。
その手には、小さな箱。
開かれた瞬間、月光が指輪に落ちる。
派手さのない、けれど誠実な指輪。
キリアは片膝をついた。
王国最強と呼ばれる男が――
ただ一人の女性の前で。
「エレノア」
低い声。
少しだけ、揺れていた。
「結婚して欲しい」
涙が、止まらなかった。
ずっと欲しかったもの。
“選ばれる”ということ。
「……はい」
震える声。
「喜んで」
指輪がはまる。
温かい。
「キリア」
愛する人の名を呼び。
彼が顔を上げると。
二人の距離は消えた。
呼吸が重なる。
そして――
唇が触れた。
一瞬だけ。
けれど。
その一瞬が、私の人生を変えた。
離れたあと。
キリアが小さく言う。
「俺はこれからもお前を選び続ける」
真っ直ぐな声。
迷いはない。
「何があってもだ」
私は笑う。
涙を零しながら。
「じゃあ私も」
彼の手を握る。
「何度でもあなたを選びます」
◇
それから――三年後。
辺境伯領。
庭先で、子どもの声が響く。
「おかあさーん!」
振り返ると、小さな足が駆けてくる。
キリアにそっくりな、その子は私の腕に飛び込んできた。
「今日ね、剣の稽古した!」
「もう?」
「父上に勝った!」
「……それは嘘だな」
後ろから声。
キリアが立っている。
少しだけ疲れた顔で。
けれど、目は優しい。
私は笑う。
「また負けたの?」
「手加減しろと言われた」
「子どもには弱いのね」
三人で笑う。
庭の向こうでは、もう一人の小さな子がよちよち歩いている。
転びそうになって、使用人に抱き上げられる。
その光景を見ながら、ふと思う。
あの日、私はすべてを失った。
家族も、婚約者も、居場所も。
けれど――
今、目の前にあるのはそれ以上だった。
「ねえ、キリア」
呼ぶと、彼は振り向く。
「なんだ」
「幸せって、意外と静かね」
少しだけ間。
彼は短く言う。
「うるさいくらいでいい」
「子どもたちが?」
「君も含めて家族全員だ」
その言葉に、私は笑った。
キリアの手が、当たり前のように私の手を握る。
左手の指輪は、もう日常の一部になっていた。
私は何度でも、この人を選ぶ。
この人も、何度でも私を選んでくれる。
お互いに変わることのないその選択が――
悠久に続く幸せな未来を暗示していた。




