第1章 その4
町の北東に位置する旧水路跡は、苔むした石壁が不気味な口を開け、ひやりとした空気を吐き出していた。かつては町を潤したであろう導水路も、今ではすっかり廃れ、忘れ去られた遺跡のように静まり返っている。
「……思ったより、広いな」
先頭に立つレンが、剣の柄に手をかけながら呟いた。
内部は二手に分かれている。正面は奥へとまっすぐ伸び、右手にはやや狭い通路が暗がりへと続いていた。水の流れはとうに枯れ、湿った苔が音を吸い込んでいる。
「どっちから行く?」
エイリンの問いに、レンは一度、深く息を吸った。喉の奥に絡む土と湿気の匂いに、わずかに顔をしかめる。
「まず右だ。狭い方から片付けよう。背後から回り込まれるのは厄介だ」
その判断に異を唱える者はいなかった。一行はレンを先頭に、右の通路へと足を踏み入れる。
苔で滑りやすい床を慎重に進むと、やがて少し開けた空間に出た。天井は低く、補強用だったらしい石柱が何本も立っている。水たまりが点在するその場所の中央に、三体の影があった。
コボルトだ。
レンは咄嗟に身を低くし、壁の陰から敵の様子を窺う。
一体は革のジャーキンを身に着け、斧と盾を構えている。警戒心が強く、明らかに戦闘慣れしている様子だ。
もう一体は軽装で、錆びたショートソードを手にしている。残る一体は棍棒をだらしなく提げ、壁際で気怠そうに腰を下ろしていた。
どいつも小柄だが、油断はできない。獣のように鼻をひくつかせ、鋭い牙の間から荒い息を漏らしている。
その鼻が、侵入者の匂いを捉えた。ジャーキン姿のコボルトが、鋭くこちらを睨みつける。
「――来るぞ!」
レンが壁の陰から飛び出すと同時に、三体のコボルトがいっせいに向き直り、ギャッと甲高い威嚇の声を上げた。
レンは間髪入れず、一番手前の盾持ちへと肉薄する。
「そこだっ!」
ロングソードを横薙ぎに一閃。コボルトは盾で受けようとするが、その動きを読んで剣は脇から滑り込み、肩口を深く斬り裂いた。
「ギャッ!」
血飛沫を上げてよろめく敵に、しかしレンは追撃しない。すぐさま背後から、援護が飛来するのを信じていたからだ。
「ヴェル・シオン・ラミナ!」
フィアの凛とした声が響き、放たれた魔弾がショートソード持ちのコボルトの胴を正確に撃ち抜く。
「キィッ……!」
甲高い悲鳴を上げて倒れそうになる。致命傷のようだ。
敵も黙ってはいない。レンの左をすり抜けたジャーキンのコボルトが、リアンに狙いを定める。
「うあっ!」
鋭い斧がリアンの右肩をかすめ、服を裂いて血が滲む。リアンは顔をしかめながらも、レイピアを構え直した。
「……へえ、やるじゃないか!」
その隙を突き、致命傷のはずのコボルトが最後の力を振り絞り、ショートソードをレンへと振るう。
「――させない!」
エイリンの放った矢が、そのコボルトの胸を寸分の狂いもなく貫いた。
「よし!」
次の瞬間、床を蹴ったミアルヴィが、影のようにジャーキンのコボルトの背後を取る。
「じゃまだよっ!」
鋭く振るわれたショートソードが、盾の隙間を縫ってコボルトの喉元を的確に貫いた。声もなき絶命。
「……あと一体!」
ミアルヴィが低く告げる。残るは、棍棒を手にした最後の一体。仲間を失った怒りか、水たまりの奥で獣のような唸り声を上げた。
「さあ、詩の続きを始めようか!」
リアンが傷を押さえながらも、軽やかなステップで突進する。
「――はあっ!」
渾身の突きを放つが、コボルトは湿った床を滑るようにして横に跳び、リアンの刃は空を切った。
「くっ、すばしっこい……!」
体勢を崩したリアンを好機と見たか、コボルトが棍棒を振りかぶる。
「危ない!」
レンが叫び、リアンを突き飛ばした。棍棒は石床を叩き割り、凄まじい音と共に火花を散らす。
「……しぶといな!」
レンは息を整え、ロングソードを構え直した。
再び斬りかかる。だが、コボルトは巧みに攻撃をいなし、決定打を与えさせない。
(まずい、こいつ、ただのコボルトじゃない……!)
その動きには、明らかに知性が感じられた。
だが、その一瞬の攻防が、勝負を決めた。
「ヴェル・シオン・ラミナ」
再びフィアが紡いだ静かな詠唱。放たれた魔弾は、レンの剣を避けることに集中していたコボルトの背に、吸い込まれるように直撃した。
「キィ……ッ!」
動きが止まる。その場に崩れ落ちかけた獣の首筋に、エイリンの放った矢が深々と突き刺さり、とどめを刺した。
……沈黙。
湿った空気に、血の匂いだけが混じっていた。
「全員、無事か?」
レンが荒い息を整えながら周囲を見渡すと、皆が頷いた。
「はは、ちょっと斬られちまったけど……まあ、まあ、このくらいは慣れないとね」
リアンが強がって笑うが、その額には脂汗が浮かんでいる。
すっとルードが彼のそばに歩み寄り、その傷口にそっと手をかざした。
「動かないでください。すぐに治します」
「……ルーシードよ。我らが仲間に癒しの光を」
ルードの手から温かな光が溢れ、リアンの腕に優しく注がれる。裂かれた傷がみるみるうちに塞がり、痛みも消えていく。
「うわ……すごい……」
リアンが驚きの声を上げる。
「ありがとう、ルード。助かったよ」
「礼は、我らが神へ」
ルードは静かに微笑んだ。
レンは剣を鞘に収め、改めて仲間たちの顔を見回す。
(これが、俺たちの最初の戦いか……)
ぎこちなく、危うい場面もあった。だが、確かに連携して敵を打ち破った。その事実が、彼の胸に熱いものを込み上げさせる。
この水路の奥には、まだリーダー格が潜んでいるはずだ。
本当の戦いは、まだ始まったばかりだった。




