第6章 その8
温室での話し合いは、二刻を待たずして終わった。
出口へと向かう途中、アレイナがリアンに歩み寄る。
その足取りには、先ほどまでの硬さがいくらか解けていた。
「……あなた、歌うより話す方が向いているのかもしれないわね」
からかうような声音ではなかった。
むしろ、真面目な評価に近い。
リアンは肩をすくめて、苦笑を返した。
「残念です。歌も好きなんですけどね」
アレイナはふっと唇の端を緩める。
「余裕ができたら聞かせて」
後ろから追いついてきたレオニスが、そのやり取りに苦笑した。
「その時は俺も呼んでくれ。……家で音楽なんて久しく聞いてない」
リアンは小さく頷いた。
「ええ。じゃあ――約束ですね」
温室の扉をくぐり、外に出た瞬間、空気が変わる。
柱の陰に控えていたミアルヴィが、両腕を上に伸ばしながらあくびを一つ。
尻尾をゆるりと揺らして近づいてくる。
「とりあえず、火の手は収まったわね。次は、“目”の話を通す番だね」
リアンは彼女の横に並び、真っ直ぐ前を見据えた。
「ここからが本題。……準備、始めよう」
温室での話し合いを終え、夕暮れどきの宿に戻ったリアンは、仲間たちを集めて報告を始めた。
「話はまとまったよ。ヴェルト家の兄妹――レオニスとアレイナ、それぞれの誤解は解けた。お互いに非難をやめて、共同で調査も進めていくって。王政への口添えも、二重で取りつけた」
リアンの言葉を聞いて、レンが腕を組みながら静かに呟いた。
「動きたい貴族ってのは嫌いじゃない。でも、現場が荒れるのはごめんだ。……ちゃんと線を引こうぜ」
エイリンは短く頷く。
「話は聞くけど、地に足がついてないとね。勢いだけで動かれると、こっちが振り回されるから」
ルードは穏やかに笑い、手元の記録に目を落とした。
「願いは立派です。……でも、大事なのは“どうやって実現するか”。橋のかけ方を間違えれば、崩れるのも早いですから」
フィアは静かに資料をめくりながら言った。
「勢いがあるのは確か。でも、それを支える“数”と“手順”が必要。裏付けがなければ、風向きはすぐに変わる」
ミアルヴィは耳をぴくりと動かし、尻尾を軽く振った。
「誰が裏で得をするのか。先に見ておかないとね。表の言葉と裏の動きが同じとは限らないし」
レンは肩をすくめながら、視線を窓の外に流した。
「ま、どっちでもいいさ。約束を守るやつなら、俺はついていく。今んとこ、リアンは信用できる」
空気は軽くはなかったが、妙な重さもなかった。
それぞれがそれぞれの立場で考え、感じたことを口にした。
意見の違いはある。
けれど、そこにぶつかり合いはない。
――少しずつ。
彼らの中で、それぞれの「立ち位置」が形になってきていた。
温室での和解から数日。
ヴェルト家の小会議室に、関係者たちが再び顔を揃えた。
席についたのは、アレイナの側近、レオニスの近習、ルード、そしてリアン。
丸卓の中央には、書類や記録紙、印布が並べられている。
ルードが開いた帳面を確認しながら、言葉を整えた。
「今日の目的は、あの温室での合意を“形”にすることです。感情ではなく、手順で動く。王政に通すためには、それが何よりも重要になります」
具体的な対応項目は、順に整理されていった。
――厩の監督体制の見直し
裏門に確認員を二名増員。
搬入時は封蝋と印の二重確認を実施。
記録は日ごとに保管し、点検は週次で行う。
――港倉三番での事情聴取
対象者は三層。
書記、荷役、見張り。
それぞれ順番を分けて聞き取りし、内容を突き合わせる。
偽印の出所については、神殿と商連双方へ照会を送る。
――王政への口添えの具体化
アレイナはリーダン神殿への書状草案を起草中。
レオニスは侍従長への口頭連絡を済ませ、時刻を合わせて二重の推薦が届くようにする。
――“目の紋章”報告の整備
宗教的な解釈と、治安上の報告を分冊で提出する。
事件一覧には、時系列・地域・被害の種類を網羅し、数字には出典を明記。
読み手が誤解しないよう、脚注には注釈をつけることが義務付けられた。
それぞれの役割分担も、自然と定まっていった。
リアンは報告書の目次と構成案を整え、
ミアルヴィは港の裏取りを継続、商会と偽印職人の線を洗い直す。
フィアは紋章に関する資料を精査し、描線の癖や類似点を抽出。
エイリンは移動時の護衛と、話し合いの際の人払いの手配を担い、
レンは倉庫や裏道の見取り図を描き起こした。
ルードは合意文に署名欄を加え、王政に提出するための封蝋を温めていた。
短い沈黙ののち、レオニスが口を開く。
「ここから先は、王政の“前室”だ。足を踏み外さないようにな」
アレイナも頷き、視線をリアンに向けた。
「数字で話す。感情は置いていくわよ」
リアンは、静かに手帳を開き、最後のページに一行だけ書き込んだ。
――扉は言葉で開く。
だが中で歩くのは、手順だ。
準備は整った。




