第6章 その1
石畳の通りの先、夏の光を裂いてそびえる白亜の城砦と尖塔群。
その麓には、川を遡る商船の帆がひるがえり、まるで空に舞う海鳥の羽のように風を捉えていた。
ここは王政の心臓、首都シリス。
人と荷物、噂話が混ざり合って街を満し、ひとつの大きなうねりとなって流れている。
「……港の匂いだな。塩と、商売の匂いがする」
リアンが肩に担いだ楽器箱を少し持ち直して、笑った。
通りの隅では、一匹の毛並みのよい猫が石段で日向ぼっこをしており、すぐそばで短く「にゃ」と鳴く。
ルードはそっと胸元の聖印に触れながら、仲間たちに向き直った。
「まずは、ルーシード神殿へ行こう。この街では、まずそこからだ」
彼の歩みは静かだったが、まるで迷いがなかった。
ほどなくして一行は、舵輪と猫の浮き彫りが掲げられた青と白の神殿へとたどり着く。
漂う香の香りが鼻をかすめ、巡礼者たちの影が、石畳に長く落ちていた。
やがて応接の間に通され、現れたのは穏やかな目元の壮年の司祭だった。
ルードの姿を見るなり、柔らかな笑みを浮かべて目を細める。
「よく来てくれたね。君は……強い加護に包まれている。さて、話を聞かせてもらえるかな?」
神官の問いに、ルードが一礼し、彼らは順を追ってこれまでの旅路を語った。
“目の紋章”のこと、各地で起きている異変、そして――王政に繋がる糸口を探していること。
話を聞き終えた司祭は、長い沈黙の末にうなずいた。
「……なるほど、事情は分かった。君たちの話は、確かに一考に値するだろう。後押しはしよう。ただし……王政への橋を渡すのは我々ではなく、リーダン神殿の務めだ」
そこで言葉を区切り、彼は少しだけ声を低めた。
「今の宮中は、少々……ざわついている。いくつかの家の問題でね。慎重に動いたほうがいいだろう」
ルードは静かに礼を返すと、他の仲間も軽く頭を下げた。
こうして、彼らは次の扉――リーダン神殿の扉を叩くことになる。
白石を積み上げた荘厳な建物の回廊に、仲間たちの靴音が反響していた。
高窓から差し込む光は彩色ガラスを透かし、床の白に淡く紋章のような影を描き出す。
ここが――リーダン神殿。
首都シリスにおいて、王政と深い関係を持つ由緒ある神殿だった。
一行を出迎えたのは、典儀官らしき冷静な面持ちの男だった。
儀礼的な動きで一礼し、背後の書記が羽根ペンを走らせる。
「王政への取次ぎをご希望とのことですが……」
言葉の端に、すでに断りの響きが混ざっている。
「……あいにく、今は内政が非常に立て込んでおります。特に、ヴェルト家の後継者争いが尾を引いておりまして。各家の駆け引きが絶えません。外部の方を通す余裕は、現状ございません」
その言葉に、レンがわずかに拳を握ったが、それを見たフィアがさりげなく袖口を引いて制した。
典儀官はあくまで穏やかに、けれどどこか機械的に続ける。
「ただ、助言を一つ。道はひとつとは限りません。正面が塞がれているならば――関係者の“力”を借りる道もあります」
それはつまり、神殿ではこれ以上取り次げないという婉曲な拒絶だった。
言葉の裏を読むまでもなく、彼らはそれを理解した。
丁寧に辞して神殿を後にするとき、外はもう西日に包まれていた。
広い石段の向こうで、川のきらめきが沈む太陽に照らされ、まるで黄金の帯のように揺れていた。
正面の扉は――確かに、重く閉ざされていた。
昼前、彼らは川沿いの宿に戻った。
二間に分かれて借りている部屋は、まだ旅の埃を引きずったままだ。
階下の共同食堂は昼の客で賑わっていて、宿の主が水差しを卓に置いて笑顔を見せ、すぐに去っていった。
エイリンがふっと肩の力を抜いて、呟いた。
「……つまり、正面から行くのは無理ってことね」
フィアが静かに頷く。
「でも、文庫の規模は大きい。あの“目の印”の由来、もっと調べられるかもしれない」
レンは拳を握って、ぐっと胸に引き寄せるように言った。
「俺は護りに回る。誰かが動くなら、ちゃんと付いていく」
ルードが短くまとめるように言った。
「それぞれの動きに合わせて、撤退の合図を決めておきましょう。無理はしないこと」
ミアルヴィは腰に下げた道具袋の中身を確かめながら、扉口で足を止めた。
「“内”のほうを当たってくる。顔と顔で動く、川筋のほうね」
その言葉に、エイリンが軽く目を細める。
問いかけるような視線に、ミアルヴィは小さく頷いて返した。
「合図は、長・短・長。夕刻までには戻る」
すっと身を翻し、ミアルヴィが扉の向こうに消えていく。
残った部屋の中には、地図と紙束の気配が残された。
フィアは文献の目録を書き出し、ルードは神殿の学匠への紹介文を整える。
エイリンは下町の“噂の網”の回り方を簡潔に語り、レンは扉と窓の死角を確認していた。
窓辺に立ったリアンは、静かに川面を見下ろした。
水が陽光に砕かれ、金の粉のようにきらめいている。
(剣じゃない。歌でもない、“何か”が――)
その輪郭の曖昧な芽生えを、リアンは胸の奥深くにしまい込むと、静かに紙束へと手を伸ばした。




