第5章 その10
ゾンビが一体沈んだことで、戦況はわずかに、しかし確実に動いた。
だが、この戦場は未だ、邪悪な“悪魔たち”の支配下にあった。
残る一体、スケルトンが、ミアルヴィを新たな標的と定めて駆ける。
骨と骨が擦れ合うおぞましい音を立てながら、その手に握られたロングソードが、薙ぎ払うように水平に振るわれた。
「──っ!」
ミアルヴィは紙一重で身を翻し、切っ先をひらりとかわす。
「ただの骨のくせに……動きが、速すぎる……!」
その頃、レンは未だサキュバスの呪いに蝕まれていた。
視界はぐらぐらと揺れ、呼吸は鉛のように重い。だが、それでも──
「うるせぇ……! このまま、酔いどれみたいに寝ててたまるかよっ!」
酩酊に足を取られ、千鳥足になりながらも、彼は渾身の力でバスタードソードを振り抜いた。
狙うは、全ての元凶たるあの女──サキュバス!
薄笑いを浮かべていたその女の表情が、一瞬だけ驚きに強張る。
「──ふふっ、まさか、当たるとは……思ってもみなかったわ」
刃は、彼女の華奢な左肩を深々と斬り裂き、鮮血が闇に舞った。
女の体がよろめき、その艶めいた唇から、苦痛の呻きが小さく漏れる。
「……じゃあ、今度はこちらから“お返し”をしないとね」
サキュバスの瞳が、妖しい光を放った。だが、それよりも速く──
フィアの魔弾が、再び火を噴いた。
「……もう、消えて──《ヴェル・シオン・ラミナ》!」
純白の魔力エネルギーが、寸分の狂いもなくサキュバスの胸を撃ち抜く。
「──っ、あら……こんな悪夢……も、存外、悪くないかも……」
サキュバスは、最期の瞬間まで妖艶な笑みを浮かべたまま、その場に崩れ落ちた。
その身体はどす黒い靄へと変わり、まるで祭壇の床に溶け込むかのように、跡形もなく消え失せていく。
だが、ナベリウスは仲間が一人消えても、なお動じなかった。
三つの口から、再び雷の魔語が紡がれる。
「レク・テンブラ・ゼルヴァ……」
地が震えるほどの強大な魔力が、その三つの首に集束していく。
「今だ、詠唱中に叩く……!」
レンがよろめきながらも踏み込み、剣を振るう──が、その一撃は、またもやわずかに空を切った。
「くそっ……!」
そして、無慈悲な雷の鎖が、再び閃いた。
「──来る、っ……!」
フィアは、今度こそと防御の魔術を張ろうとしたが、間に合わない。迸る雷が、その細い体を容赦なく打ち据えた。
「きゃああああああっ……!」
壁に叩きつけられた彼女の服は焼け焦げ、全身を痙攣させながら崩れ落ちる。
エイリンもまた、雷の直撃を受けて膝から崩れ落ち、背負っていた矢筒から矢が派手に散らばった。
そして──
リアンは、雷を真正面から胸に受け、そのままぴくりとも動かなくなった。
何の言葉もなく、まるで舞台の幕が下りるかのように、彼は静かに倒れた。
「リアン……っ!」
レンの、怒りに満ちた声が響き渡った。
「このままじゃ……本当に、全滅する……!」
ミアルヴィが、ナベリウスへと果敢に斬りかかる。
「いつまでも好き勝手に吠えてんじゃないわよッ!」
ショートソードの切っ先が、翼の隙間を縫って突き刺さり、微かな手応えがあった。
だが、ナベリウスの首が鞭のようにしなり、その強靭な翼の一振りで、木の葉のように弾き飛ばされてしまう。
その間にも、ルードは再び祈りを紡いでいた。
「……光よ、汝の契約により、今一度、癒しの奇跡を届けたまえ──」
聖なる光が、フィアの体を包み込む。
「ありがとう……まだ、やれる……!」
フィアは、全身を苛む激痛に顔を歪めながらも、不屈の闘志で立ち上がった。
その頃、エイリンは散らばった矢を拾い、弓を構え直していた。
「まだよ……! まだ、倒れてなんかいられない……!」
狙いを定め、スケルトンに向けて放たれた矢は、しかし無情にも石壁に弾かれてしまう。
「くっ……!」
その一瞬の隙を、スケルトンが見逃すはずはなかった。ミアルヴィへと、その骸骨の体が躍りかかる。
ロングソードが、鋭く振り下ろされた。
「ミアルヴィ──ッ!」
ルードの叫びよりも早く、剣の刃が、彼女の腹部を深々と斬り裂いた。
「──がっ……!」
ミアルヴィは短い呻きと共に崩れ落ち、血だまりの中に倒れ伏す。
その尻尾が、ぴくりと一度だけ痙攣し、やがて静かに動きを止めた。
酩酊状態のまま、レンがナベリウスに再び斬りかかる。
だが、その剣の軌道は大きく的を外し、虚しく宙を裂くだけに終わった。
「っ……ちくしょう……!」




