第3章 その13
壮絶な戦いの末、一行は再び“扉”の前へと戻ってきた。焼け焦げた怪物の残骸の向こうに、今度こそ本物の通路が、静かに口を開けている。
「この先に……」
フィアの呟きに、誰もがごくりと唾を飲んだ。これだけの犠牲を払ったのだ。何もないはずがない。
「行くぞ」
レンが先頭に立ち、ルードが掲げる杖の光を頼りに、一行は通路の奥へと足を踏み入れた。
その瞬間――世界が変質した。
一歩足を踏み入れただけで、空気が変わる。皮膚にまとわりつくような、現実から切り離されたかのような、ぬるりとした違和感。そして、心の奥底に直接響くような、古の囁き声が聞こえた。
《……サラ=ノウ=リゼ……》
意味の分からない、だが決して忘れることのできない響き。
「いまの声は……一体……?」
リアンが警戒するようにレイピアを構えるが、敵の姿はない。
そこは、境界が曖昧な、無限に広がるかのような空間だった。床は半透明の水晶でできており、一歩進むごとに、足元から星屑のような光の波紋が広がる。天井と壁の区別はなく、淡く発光する銀色の霧が、空間全体を幻想的に満たしていた。
「空気が……冷たい。まるで真冬の山頂にいるみたいだ」
ルードの吐く息が、白く凍る。
空間の中央には、床そのものに刻まれた巨大な魔法陣が、青白い光を放ちながらゆっくりと回転していた。その複雑で美しい紋様は、明らかに人間の手によるものではない。
「この魔法陣、ただの封印じゃないわ……。何かを“繋ぎ止めている”……?」
フィアが、魔力の流れを読み解こうと目を凝らした、その時だった。
ふわり、と。
何もなかったはずの空間に、いくつもの光の柱が立ち上り、白いローブをまとった人々の幻影が浮かび上がった。老人、若者、男、女――その誰もが、悲壮な覚悟を決めた表情で、魔法陣に魔力を注いでいる。声は聞こえない。だが、彼らが命を賭して、何かとてつもないものを封じようとしていることだけは、痛いほど伝わってきた。
やがて、幻影の中の一人、中心に立つ賢者らしき老人が、ゆっくりとこちらを振り返った。その瞳は、まるで悠久の時を超え、今ここにいるミアルヴィたちを真っ直ぐに見つめているかのようだった。
《――門は、開かれようとしている。我らが命を捧げても、これを完全に封じることは叶わぬだろう……》
その声は、耳ではなく、魂に直接語りかけてくる。
《“目”の紋章を持つ者が再び現れたならば、継承者に伝えよ。“失われし道”は、未だ完全には閉ざされてはいない、と》
その言葉を合図に、空間が悲鳴を上げるように歪んだ。
霧の天井が裂け、禍々しい紫色の空と、そこに浮かぶ巨大な黒い塔、そして無数の“目”の紋章が浮かび上がる。門の向こう側から、言葉にできないほどの巨大な“何か”が、こちらを覗き込もうとしていた。
「これは……魔界!?」
フィアが絶叫する。
門の内側から、漆黒の触手が伸びてくる――その寸前。
パキィィィン!!
甲高い音と共に幻影が砕け散り、禍々しい光景も霧の向こうへと消え去った。
激しい揺れが収まった後、魔法陣の中央に、静かに石造りの小さな祭壇が姿を現した。その上には、一枚の古びた石板が安置されている。
フィアがそれを手に取ると、そこには見慣れぬ地図と、古代文字で記された地名が刻まれていた。
「……次の、封印の場所……」
その時、消えかかっていた賢者の幻影が、再びこちらを振り返った。その表情は、先ほどまでの悲壮なものではなく、どこか穏やかな、未来を信じるような優しい眼差しだった。
《継承者よ。時は、満ちようとしている――》
その言葉を最後に、幻影は完全に消え去り、空間そのものが崩壊を始めた。
「戻るぞ!」
レンの檄に応え、一行は出口へと駆け出す。背後で、水晶の床が砕け、銀色の霧が闇に飲まれていく。
間一髪で通路を駆け抜け、元の遺跡へと戻った彼らが振り返ると、そこにはもう、通路も扉も存在しなかった。ただ、冷たい石の壁があるだけ。
まるで、今までの出来事すべてが、幻だったかのように。
だが、フィアの手に握られた石板だけが、それが紛れもない現実であったことを、雄弁に物語っていた。




