聖都 聖なる都の百鬼夜行
『百鬼夜行』というのは、『聖都怪談』にある物語の一つだ。聖都には強力な結界が張られているが、ある年にそれが綻んで妖が大勢侵入したそうだ。
その時の被害は凄じいものだった。大勢の犠牲者が出ただけでなく、物的被害も甚大だったそうだ。
妖を認知する者が少なくなった現代では、この時代の天災だったと伝えられている。それでも、術士の家系は『百鬼夜行』の危険性を熟知しており、それを未然に防ぐ為にありとあらゆる対策をしているのだそうだ。
今夜、旧市街の中心部で聖都祭は開かれていた、はずだった。周囲の気配は異様なもので、人混みの中に異形が平然と混じっていた。
「まずいな、これは…」
「何がまずいんですか?」
「妖の気配がかなり充満している。聖都の結界が決壊したんだな。」
「結界が決壊したって洒落になりませんよ…。」
「いやいや、本当にそうだから。」
「そうなんですか。僕には分かりませんですが…。」
翔さんは『胡蝶の数珠』を押さえていた。
「数珠を着けているなら妖の気配も分かるのではないのか?」
「この数珠は五感に作用するようにはなっているんですが、第六感には作用しないんです。恐らくなんですが、茂さんや舞さんは第六感で視ているのではないですか?」
第六感という自覚はないが、その辺りに詳しい翔さんが言うなら間違いはないだろう。そう考えながら進んでいると、背後から志保の声が聞こえた。
「茂、さっきから何を言ってるの?」
私は志保を見た。その背後にも妖が居る。今はまだ襲いそうな気配はないが、このままでは襲われるのも時間の問題だろう。
「今年は祭どころではなさそうだ。志保と優太は戻ってくれないか?」
「茂はどうするの?」
「しばらく翔さんと舞君と行動するよ。」
志保は納得したような、そうでないような顔をしたが、すぐに振り向いて帰ろうとした。その時、翔さんがそれを呼び止めた。
「静さんにお迎えに来てもらいましょう。このまま二人で帰らせるのは危険です。」
翔さんは携帯電話を取り出して掛けた。すると、五分もしないうちに静さんがやって来た。そして、志保と優太は静さんと帰ってしまう。
「二人は、大丈夫なのかね?」
「心配は要りませんよ。静さんは長年蝶野家に仕えていますから、妖から最低限自分や人を守る術は身につけていますよ。」
翔さんは町を歩きながら人々に声を掛けていた。ところが、妖の存在を知らない人々はそれを信じようとしない。
それでも、蝶野家の当主がわざわざ出向いているのには何か訳があるだろうと察した者も少なくはなく、会場から出ていった。
「それにしても、何故妖達は人々を襲わないのかね?」
「多分、誰かが広範囲に術をかけているのだと思います。人々を守る為というのもありますが…、その逆も考えられますね。」
「逆とは?」
「僕達を油断させる為に妖自身が術を掛けている可能性ですね…。」
翔さんは懐から紙の束を取り出した。一見札束のように見えたがそうではなかった。この紙は神社の御札だったのだ。翔さんは、そのうちの何枚かを私に手渡した。
「これは…?」
「護身用です。一応ですが渡しておきますね。」
その御札には、独特の模様のような文字が書かれていた。何処の神社のものだろうか。私には読み取れなかった。
その後も翔さんは周囲を警戒しながら歩いていた。妖達がすぐ近くに居るというのに、誰もそれに気付いていない。翔さんは一人一人に声を掛け、時には携帯電話を操作して人々がこの場から離そうとしていた。被害が出る前にどうにか人々を避難させたいと考えているからだろう。
そんな時だった。目の前の妖の目の色が変わった。そして、私の前に現れ、有無を言わずに襲って来る。私は御札を妖の前にかざした。すると、御札は焼き切れ、妖は蒸発するように消えてしまった。
「護身用だ、悪いか?」
「何で僕より使いこなしているんですか…。」
「以前、知人の子に憑依していた妖を引き剥がした事があってね。」
「いや、何やってるんですか…。」
翔さんはそう話ながら人を襲おうとしている妖を振り解いていた。鬼退治の経験がある舞さんは術で翔さんの周囲の妖を倒していた。だが、二人の力があってもこの聖都中の妖を対処するのは難しいだろう。
「やはり私達の力だけでは限度がある。ここは別の術師や祭の関係者に頼むべきではないか?」
「そうですね、ですが信じてくれるかどうか…。」
「翔さんは蝶野家の御当主ですし、翔さんの言葉ならお偉いさんも耳を貸すのではないですか?」
「そうですか、それなら行ってきます。」
翔さんは一人で祭の中心部へ向かった。
その一方で、私と舞君は周囲の様子を見て回る。
「今回は妖の退治よりも人々の救助を優先された方が良いですね。翔さんの呼び掛けに応えた方も居ますが、そうではない方も居ますから。」
舞さんは風の妖術で進路を拓いた。妖達はあっという間になぎ倒されていく。そういえば、舞君が術を使うのを見るのは初めてだ。遥君や晦君と戦ったというのは聞いていたが、まさかここまでの力があるとは思わなかった。
あの後、翔さんはどうなったのだろう。特殊な力を持たないとはいえ、彼は蝶野家の当主だ。私が知り得ない秘策があるのだろうか。
「翔さんなら心配いりませんよ。」
「あれだけ普通そうなんだが、やはり何かあるのだろうか。」
舞君はあまり翔さんを心配していなかった。それもそうだ。舞君の方が付き合いが長いのだ。蝶野家の当主で従兄弟の翔さんをよく分かっているのだろう。
しばらく経って、翔さんが戻って来た。手には『胡蝶の数珠』がしっかりと握り締められている。
「翔さん、話は出来たのですか?」
「どうにかね、他の術師の助けを借りられるようになったよ。それと祭は中止にしてもらって、お客様には帰っていただきました。」
翔さんは、突然前を向いて走り出した。その先には祭の関係者と思われる人々が倒れていた。中には、見覚えのある方も居る。それは、先程までかき氷を一緒に食べていた鈴芽さんと久遠さんだった。彼らは祭の関係者で逃げられなかったのだろうか。その場で倒れていた。
「鈴芽さん!それと久遠君まで!」
「どうするか?私達で逃がせるか?」
「いえ、このままで構いません。妖達は聖都の術師が倒したようです。」
翔さんは数珠を手にして唱え始めた。
「『風よ、蝶よ、先祖の神々よ。我に力を分け与えよ。』」
翔さんがそう唱え終わると、私達の頭上にシャボン玉のような膜が広がった。それは聖都の空全体を覆い尽くしていく。
「結界を張り直しました。これでもう大丈夫です。」
翔さんがそう言うと、不思議な事に倒れていた人々が全員起き上がった。
「皆さん、無事で良かったですね。」
「それにしても、誰がこんな事を…?」
「以前の百鬼夜行でも首謀者は分かってませんからね。」
聖都を包み込む程の結界を張った翔さんは、何事もなかったように『胡蝶の数珠』を握っていた。
「やはり君は蝶野家の当主なんだな。只者ではないな。」
「それはお互い様ですよ。僕からして見れば茂さんこそ只者ではないと思いますよ。」
翔さんはそう言って笑った。そして、関係者達と話した後、私達を連れて会場から出た。
それから、私達はようやく志保達が待つ胡蝶邸に戻った。静さんが私達を迎えてくれる。
「翔さん、それから皆様方、お帰りなさいませ。ご無事で何よりです。」
「ただいま、帰って参りましたよ。」
翔さんは草履を脱ぎ、一礼して上がった。私達も後に続く。
居間には志保と優太、それから翠子さんと橙子さんが待っていた。
「茂、それから翔さんと舞ちゃん、本当に大丈夫だった?」
「ああ、どうにか二人のお陰でね。どうにかなったよ。」
「二人ともありがとね。」
翔さんは先程の術が身体に応えたのか、羽織と数珠を外して畳に座り込んだ。
「すみません、お見苦しいところを…。」
「いいんだ、ゆっくりしてくれ。」
「ありがとうございます…。」
そうしてしばらく休んでいた翔さんは、一段落したのか私達の前に立った。
「来年こそは聖都祭出来るようにしますから、また来てくださいませんか?」
「ああ、そうだな。また来るよ。だが…、妖達に取り囲まれるのも悪くはなかったな。」
翔さんは驚いた顔をした後、頭を抱えてその場にまた座り込んでしまった。
その日の夜は、蝶野家に泊まった。中をゆっくり見たいという気持ちはあったのだが、『百鬼夜行』の件で私も疲れたのか、すぐに眠ってしまった。
翌日の早朝、私達は胡蝶邸を発った。蝶野家一同がお見送りをしてくれる。
「蝶野家の皆様、色々お世話になりました。また来年伺いますね。」
そして、お土産屋に立ち寄った後、高速鉄道に乗って青波台へ帰る。
「とんだ旅になったね、茂?」
「ああ、でも楽しかったよ。良い家族旅行になったんじゃないか?」
予期せぬ事態に巻込まれたとはいえ、家族旅行は楽しかった。改めて思う。私は旅をするのが好きなんだと。今回の旅は仕事関係ではなかったが、自由な旅もまた良いものではないかと気付いたのだ。




