聖都 古き良き聖なる都
時期は少し遡る。夏休みの最中の出来事だった。その手日、自宅に覚えのない荷物が届いた。中を開けると、辞書程の分厚い本が数冊入れられている。そこには、『月刊怪奇特別編集“全国怪奇備忘録”』と書かれてある。どうやら、月刊怪奇の編集部でまとめてきた本がようやく完成したらしい。
“全国怪奇備忘録”とは、『月刊怪奇』の代表作家十人が書いた長編小説を解説付きでまとめたものだ。今回届いた特装版の他、作者ごとに分冊の通常版と文庫版と電子版も出るらしい。
「これが初版限定の特装版か…、かなり分厚いな…。」
「何これ、製本技術の限界に挑戦しようとしてるの?」
私の横で妻の志保がその本を一冊取り出した。
「こういう本は短編をまとめるはずだが…、何故長編を一冊にまとめようとしたのか…。」
志保はその本を部屋から持ち出した。
「一編だけ読んでいい?全部読むのは大変そうだから。」
「ああ、構わないが…。」
志保は本を自分の部屋に持っていってしまった。
「これ…、どうしようかな…。」
部屋に残された私は残りの本が入った箱を見ながら一人考えていた。
しばらく経って、志保が本を返しにやって来た。
「ありがとう、面白かったよ。」
「それで、どの話を読んだんだ?」
「『聖都怪談』、陸奥行仁さんのね。面白かったよ。」
私が書いた話ではないのか…、一瞬溜め息を吐きそうになったが、すぐに止めた。
「『死出山怪奇譚』は何十回と読んでるから、解説文だけ読んだよ。」
「そっか…。」
志保は箱の中に本を戻し、私を見た。
「聖都に行きたいなぁ。あれから、私達まともに旅行してないでしょ?優太も大きくなったから、そろそろ泊まりの家族旅行も行けるかも知れないわね。」
聖都には私も行きたいと思っていた。今後の予定はどうだっただろうか。手帳を開くと手紙が入っていた。私はそれを取り出して読んでみる。
「それなら、一つ心当たりがあるんだ。知人に連絡するよ。」
私はそう言って携帯電話を取り出した。
手帳の手紙は、元家主の菊本武雄さんから届いたものだった。それは、家を私に売った後、息子夫婦と旅行したという話が書かれてある。その中には、『胡蝶邸』という屋敷の話があるのだ。
『胡蝶邸』とは、現代も残る呪術師の家系の邸宅で、菊本さんによるとこの家によく似ているらしい。
先程、志保には知人だと伝えたが、正確には異なる。だが、客として訪れた者の知人と伝えれば、分かってもらえるだろうという安直な私の考えだ。
手紙には『胡蝶邸』の電話番号が書かれていた。私はそこに電話する。すると、電話の向こうから聞き覚えのある声が聞こえた。
「あれ、その声は…。」
思わぬ声との再会に、私は長電話してしまったらしい。そして、予定までこの場で決まってしまった。
それから、電話を切ると、志保と優太にそれを伝えに向かった。それから、手帳に印を付けた後、早めの準備を始めた。
聖都とは、この世界の日本の首都だ。一時は帝都という名称でも呼ばれ、現在も帝とその一族が住まわれている。
聖都は、歴史的な街並みが残る旧市街、近代的な建造物が並ぶ新市街という二つの街に分かれている。歴史、文化、行政、教育の中枢を担っており、古代から重要な都市だ。
何故聖都がここまで発展したのか、それは聖都近辺は盆地になっており、海も近かったからだ。その為、聖都は古くから栄えていた。
ところが、人が集まるにつれ、聖都は怪異に襲われるようになる。それを防ぐ為、寺院や神社が多く、蝶野家のような有力な術士の家系が暮らしているそうだ。
私達は、国鉄で青波駅から浜崎駅まで乗った。それから、浜崎駅から高速鉄道に乗り替え、聖都駅へ向かう。
「あれ、聖都タワーだ!」
優太が車窓から見える聖都の景色を指差してそう言った。その先を見ると、確かに聖都タワーがそびえ立っている。聖都の新市街中心部に建つ巨大な塔だ。
聖都駅は、新市街の中心部に建っている。国鉄を始め私鉄各社、それから高速鉄道も通っている。浜崎駅とは比べものにならない程に巨大な駅だ。
私達はそこで降り、目的地がある旧市街へバスで向かった。地図で下調べをしていたが、新市街と旧市街を結ぶ道は入り組んでいる。しかも『胡蝶邸』は観光客が入らないような奥地にあるそうだから、余計にそう感じた。
「それで、知り合いってどんな方なの?」
「ああ、昔取材の時に世話になったんだ。彼女もここに来ているのかな、会うのが楽しみだよ。」
余程の事が無い限り、私が仕事上で出会った者と志保達は知り合わない。私は家族も連れて行くと伝えたが、向こうに迷惑にならなかっただろうか。
しばらくバスに乗り、ようやく『胡蝶邸』のすぐ近くまでやって来た。そして、地図を頼りに向かう。
そして辿り着いた『胡蝶邸』はとても広大な屋敷だった。庭は整えられており、屋敷の名の通り大勢の蝶が舞っている。
呼び鈴を鳴らすと着物姿の女性が迎え出た。
「こんにちは、よくぞお越しくださいました。」
私達は彼女に礼をすると彼女は更に深々とお辞儀をした。
「ご主人様が奥の部屋でお待ちです。どうぞこちらへ。」
私達は屋敷の奥にある主人の部屋に案内された。そして、三人並んで畳の間に正座をして待っている。
しばらく経って、主人と思われる人物が姿を見せた。ご主人様と呼ばれていたから、威厳がある男性か老紳士を想像していた。
ところが、目の前の人物はそのどちらとも異なった。彼は袴姿でも分かる程に華奢な身体をしていた。また、顔つきは童顔で、正装でなければ中高生と間違えただろう。
「初めまして渡辺茂さん。私は蝶野家現当主の蝶野翔と申します。本日はこちらにお越しくださってありがとうございます。」
彼は現代の呪術師の末裔とは思えない程に深々とお辞儀をした。先程こちらまで案内した女性といい、蝶野家は非常に礼を重んじる家系なのだろうか。
「いえいえ、こちらこそ突然お邪魔してすみません。」
翔さんは私よりも年下に見えたが、思わず敬語になる。だが、年下だからといって彼は当主、つまりこの家の主なのだから敬意を払わなければならない。そんな事を考え、私は翔さんに負けじと深々と礼をすると、畳に頭をぶつけてしまった。そんな私に驚いたのか、翔さんは私を支えて起こした。
「大丈夫ですか?それと、お礼なら舞さんに伝えてくださいませんか?舞さんは貴方とお会いするのを心待ちにしてましたよ。」
翔さんがそう言うと、襖が開いた。中から現れたのは私にとって懐かしい顔だ。
「お久し振りです、茂さん!」
「舞君!宮原で会った以来だな!」
私は立ち上がり、舞君の側へ向かった。
蝶野舞君は『夢幻の華』の舞台である宮原で出会った子だ。蝶の精霊である胡蝶の力を宿していて、仲間と共に鬼を退治した。
「あれから元気にしてたか?瞬君と同級生だから今小学六年生になるのかな。」
「はい!元気にしてますよ。」
舞君は私の手を引いて翔さんの元へ連れて来た。
そこで立ち上がった翔さんは非常に小柄だった。身長は志保よりも低く見える。袴の上から着ている羽織も丈が合っていなかった。
「舞君と翔さんはどのような関係なのかね?」
「一言で言うと親戚ですね。翔さんの家系が本家で、私達の家系が分家と呼ばれています。」
舞君に懐かれてる私を見て、翔さんは不思議に思ったらしい。
「二人はどのような関係ですか?」
「取材の時に知り合ったんだ。」
敬語が抜けていると気付いた私は一瞬焦ったが、翔さんはにこりと笑った。
「大丈夫ですよ、お客様ですから。それに、僕も小説家である先生にお聞したいことが沢山あります。」
翔さんは部屋の奥に入った。どうやら、支度をしているらしい。
そして翔さんは洋服に着替えていた。半袖のシャツにベスト、それから紺色のスラックスという服装だ。更に手には小さな鞄を持っていた。
「これから出掛けます。良かったら皆様もご一緒しませんか?」
私達は翔さんと共に外へ出た。そして、旧市街の大通りにある『高月堂』という店に入る。
『高月堂』は和菓子屋と茶房になっていた。夏のこの時期だからか、かき氷がよく売れている。翔さんが客達をしばらく見ていると、一人の店員が声を掛けた。
「翔!それと、横に居るのは…。」
「従姉妹の舞さんと、それからお客様の渡辺さん達だよ。」
「そっか、鈴芽達は先に来てるぞ。」
店員が差した先には男女一組が席に座っている。
「翔君!こっちだよ!」
「先に座わっているよ。」
二人は翔さんと仲が良い知人らしく笑いながら招いた。私達も一緒に座らせてもらう。そして、それぞれかき氷を注文し、一緒に食べた。
私達が来てからまず話題になったのは怪奇小説家『闇深太郎』としての私の話だった。稲守鈴芽さんが職業は何かという事を聞いてきたばかりについ盛り上がってしまった。
「え、作家さんなんですか?」
「ああ、最近は『月刊怪奇』で連載もしてるよ。」
『月刊怪奇』の話に反応したのは、八木久遠さんだった。彼は毎月それを読んでいるらしい。
「『月刊怪奇』は学校の図書館に置かれていたよ。かなりマイナーな雑誌だけど、僕は読んでる。」
「へぇ、確か『聖都怪談』の陸奥先生もそこで連載してたよね。」
すると、先程翔さんと話していた店員の方が何処からか色紙を持って来た。この『高月堂』は著名人のご贔屓の店として巷では有名らしい。言われて見れば壁にはサインや絵が沢山飾られていた。
「この店には陸奥先生もご来店してましたよ。もしかして、あなたも陸奥先生のように取材ですか?」
「いや、そうではないんだ。私達はあくまで個人的に旅行してるだけだよ。」
「そうですか…。それでは、ごゆっくり。」
店員はサインが書かれた色紙を受け取り、奥の部屋に入ってしまった。
「遊星君学校の時と雰囲気違うね。流石この『高月堂』の跡継ぎだね。」
「先程の店員と知り合いなのかね?」
「高月遊星君。彼は『高月堂』の跡継ぎで僕達と同学年です。」
翔さんはそう言いながら溶けかけたかき氷をゆっくり食べた。
これだけ見れば、誰も翔さんを呪術師の末裔と思わないだろう。彼は良い意味で平凡な青年だった。私達のように過酷な運命に翻弄され、普通の感覚を失ってはいない。彼はどのような日々を送っていたのだろう。少なくとも、狂気を帯びていた若かりし頃の私には想像出来なかった。
『高月堂』の店員達を始め、今日の聖都は何処か騒がしい。菊本さんの話によると聖都の旧市街は静かな町だそうだが、どういう事だろう。
「今夜は聖都祭なんです。それで皆さん忙しくしていますね。」
「聖都祭?ああ、『聖都怪談』に出て来た祭か。」
「そうですね。」
すると、稲守さんと八木さんは何かを思い出したように立ち上がり、勘定を机に置いた。
「私達、準備があるからそろそろ行かなきゃいけないの。お先に失礼します。」
「それじゃあね、翔君と舞ちゃん。それから渡辺さん、色々とありがとうございました。」
彼らが去った後、二人分のかき氷代を受け取った翔さんは、それを手に載せ、何か考えているかのように無言になった。その上から更に私達の代金を載せる。
「私達の代金だ。一緒に払ってくれないか?」
「はい、ありがとうございます…。」
翔さんは自分の分と合わせた代金の山をそのまま店員に支払った。
聖都祭の直前まで私達は蝶野家で翔さんと話した。優太は翔さんのお母様である翠子さんとお祖母様の橙子さんと遊んでいる。先程、私達を案内した家政婦の平塚静さんは帰ってきた私達を迎え、お茶を用意してくれた。
翔さんは羽織袴に着替え、ゆっくりとお茶を飲んだ。祭の直前だというのに随分と余裕だった。
「祭の準備には行かなくていいのかね?」
「僕達が主催という訳ではないですからね。僕達の役目は祭が無事に終わるか見届ける事ですからね。」
翔さんの腕には数珠が巻かれてあった。今の翔さんは霊や妖が視える状態だ。
そうでもしないと当主としての仕事は出来ないのか。本当なら視えなくていいはずのものを視て生きてならないのか。私はそんな翔さんが気の毒だった。
だが、当の本人はそれを気にする事なく私達にこんな事を聞いてきた。
「それで、茂さんは何故志保さんとご結婚されたのですか?」
翔さんは私の前に身を乗り出してくる。
「まさか君が初対面の人の色恋沙汰を聞くような人とは思わなかったよ…。」
「僕は純粋に興味があります。何故茂さんが結婚出来たのか気になります。」
「まぁ、色々と深い事情があってね…。」
私よりも先に話出したのは志保だった。志保は私が知らない私の過去を語り始めたのだ。翔さんは最初こそ目を輝かせて聞いていたが、だんだん考え込み出した。
「志保さんの話が本当なら、茂さんはかなりの期間妖に憑依された事になりますね。それでよく生きて正気に戻れましたね。」
「そうなの、でも茂が無事で良かったよ。」
「茂さんも志保さんもお互いの事が大切なんですね。そんな仲が少し羨ましいです。ですが、僕にも居ますよ。本当に好きで大切な方が。」
翔さんは照れ隠しに笑った。若くしてそのような大切な存在に気付けたのだろうか。だからこそ、どんな困難があっても乗り超えられたのだろう。翔さんは立ち上がり、再び出掛ける準備を始めた。
それから、私達は聖都祭へ向かった。都で行われる盛大な祭。私は輝かしいものとばかり思っていた。
だが、そこで待っていたのは異様な光景だった。誰が今夜この聖なる都が異形が蔓延る魔境と化すと想定出来ただろう。そうとは知らず私達は会場へと向かっていった。




