223_天使降臨
深手を負った身体で遠くへ行かれても困る。
やはり探しに行こうかと考え始める俺だったが、そこへティセリウス団長は戻って来た。
「お嬢様。素敵なお召し物ですな」
「私ぐらいになると、こういうのも着こなせるのだ」
軽口で迎えたのはベルマンだ。
高台で敵を撃退し、こちらへ駆けつけたのである。
第五騎士団は引き下がり、しばらく留まったあと、別ルートに迂回して南へ向かったようだ。
兵を失いつつも、ダオハン族との戦いへ赴いたのだろう。
「ベルマン。世話をかけたな」
「お嬢様のお世話がこの老骨の仕事ですれば」
目尻を下げて相好を崩すベルマン。
彼が感じている安堵の度合いが分かる表情であった。
「ベルマン……後で伝えることがある。そして私はお前に詫びねばならぬ。私は分不相応にも、自身に抱え込んでいた」
やはり彼女は、何かを知っているようだ。
それは俺たちにも伝えられることになるだろう。
「何、詳しくは聞かずとも、お嬢様に待ち人があることは気づいておりましたとも。これから更に忙しくなりそうですな」
待ち人、か。
そして彼の言うとおり、これから忙しくなる。戦いはより激しさを増すに違いない。
だが、こうして新たな仲間たちを得て、俺の見通しは明るくもある。
「姉上。合流した第一騎士団に回復術士も居ます。改めて手当てを」
「そうだな」
伯爵に促され、ティセリウス団長は手当てに向かう。
そして思い出したように言った。
「そうだ、エリアス。私はヘンセンへ移るぞ」
「ええ、それが筋でしょう。ただ時々はこの地へお越しを」
笑顔で答える伯爵。
彼の治めるこの地がどうなるのか、まだ分からない。
いずれにせよ、ティセリウス伯爵を慕う人心に添った体制が必要であり、今後も彼の尽力は不可欠となるだろう。
「よし、手当てが済んだら出発の準備だ。行こうロルフ。ヘンセンへ」
「はい」
「………………」
「………………」
皆が黙る。
ボリスはじめ騎士たちが、何か言いたげであった。
「いや、その前に服を着よう」
そうして欲しい。
戦っている間はそれどころではなかったが、さすがに目の毒である。
◆
それから数日ののち、大陸の東部戦線に動きがあった。
王国軍が大規模攻勢に出て勝利を収めたのだ。
それは大勝と言って良い勝ちぶりで、前線を大きく押し込むに至った。
第二騎士団が維持し、長く膠着していた戦線。
第二の解体後は、第一騎士団がこの地を受け持ち、戦勝を重ねていた。
だが、新たに東部を担当した第三騎士団は、前任者たちを大きく上回る成果を挙げたのだ。
この地では領を接する貴族らの反目が長く課題となっており、英雄ティセリウスは自らを旗印としてそれをまとめ上げていたが、第三騎士団団長エーリク・リンデルのアプローチは違った。
鉱山を求める者には採掘権の買い付けを斡旋し、融資を求める者には銀行家と渡りをつけた。
そして張り巡らせた情報網でこの地の権力構造を把握していたリンデルは、それに従って幾つかの婚姻を世話したのだ。
リンデルが持ちかけた結婚相手は、彼が人脈を敷いていた中央近くの貴族家子女たちであった。
姻家となることで権勢を増すのは、古来より多くの諸侯が好んだ手法。
彼の提案は歓迎され、瞬く間に信頼を得ることとなる。
もっとも、一事が万事、血を流さずに解決出来るものではなく、多分に暴力的な手段も用いた
ある貴族家の借金を整理させるに際しては、手形の回収時に複数の死者を出している。
リンデルは、元より流血無き勝利を求めているわけではない。
魔族を殺すことは元より、味方の血も必要に応じて流させた。
そして結果として、東部を安定させている。
各家へのリンデルの影響力は多大で、これは半ば平定、即ちリンデルによる地方の掌握とも言えた。
「それ、ティセリウス領からの報告ですか」
「ああ」
第三騎士団本部。
執務卓の前でリンデルは、参謀長フェリクスと向き合っていた。
数日前にティセリウス領で行われた戦闘。その報告書が、もう取りまとめられているのだ。
情報を得るにおいて、そのスピードがどれほど重要か。リンデルは、それを最も正しく理解している者の一人であった。
「第五が敵と遭遇して敗れたようだ」
「ティセリウス領で遭遇戦? ああ……なるほど」
すぐに前後の事情を察するフェリクス。
リンデルが信を置く彼も、当然ながら知恵者であった。
怠惰な中年の小男だが、頭脳の方は非常に明晰で、かつてステファン・クロンヘイムに重用されたほどのことはある。
「負け切る前に引き下がりましたか?」
「ああ。兵力を三割ほど削られた時点で諦めている」
王国領内で予期せぬ敵を捕捉しながら退くなど、本来あってはならない。
だが、この敵の目的は進攻でも破壊工作でもない。その点には見当がついたはずである。
この際は対応を放棄し、本来予定されていた戦いに向かうのが正しいだろう。
「魔族たちを前にその選択が出来たのは、上出来でしょうな」
フェリクスの言うとおりであった。
戦う兵力が自軍にありながら、魔族に背を向け撤退する。しかも王国領内で。
一般的な王国の価値観において、それは許容されにくい。
リンデルとて、数年前であれば撤退を選べなかったに違いない。
「あの参謀長がそうさせたのかもな」
リンデルの情報網を以てしても、優秀という以外に当たり障りの無い情報しか出てこない、第五騎士団の参謀長。
それが却って怪しく、リンデルは彼を要注意人物と捉えていた。
「確かエドガー・ベイロン、でしたか」
「ああ。彼なら北側にも気づいていたかもしれん」
「北側?」
「見ろ、ここだ。戦端を開いた時点で北側の山に陣取り、斜面を駆け下りて仕掛ければ良かったのだ」
そうしていれば、犠牲は出たものの、許容範囲内の損害で勝てたはず。
この戦いは長引かせてはならなかったのだ。
「気づいていたのなら、何故そうしなかったのですか?」
「私が知るわけないだろう」
「何でもご存じだったのかと」
「皮肉はよせ」
そう言いつつも、彼はこの腹心を気に入っていた。
リンデルは優秀な者を好む。
故にこそ、優秀であるにもかかわらず神と契れなかった男を、心底から嫌った。
そして、注視せねばならない人物がもう一人。
エミリー・ヴァレニウスである。
数年前にリンデルが睨んだとおり、エミリーは強さとカリスマ性を手に入れている。
だが、リンデルは彼女との間に誼を築いていない。
彼女には惹かれるものがあったが、どこか危ういものを感じるのだ。
「………………」
「何にせよ、また情勢が動きますな」
フェリクスの言葉に、薄い笑みを浮かべるリンデル。
かつては急進的な思想に突き動かされる面もあった彼だが、現在では冷静さを手に入れていた。
しかし、それでも激動の時代を喜んでいる。
「楽しみなことだ」
それはエーリク・リンデルの、心底よりの本音であった。
◆
「以上がご報告です」
エステル・ティセリウスの暗殺。
それが失敗したことを首謀者に伝えると、報告者は押し黙った。
目の前に居る、高貴極まる存在の言葉を待っているのだ。
「分かりました」
だが、首謀者が口にしたのはそれだけであった。
報告者は、手巾で頬の汗を拭い、問いかける。
「続けて、何か策を?」
「何もありません。下がって結構です」
「……は」
標的のティセリウスが敵地へ落ち延びた以上、出来ることは無い。
この件は終わりである。
それが分かっていた報告者は、恐縮した様子で退室した。
「…………」
部屋に残った首謀者は、一人静かに瞑目している。
長い銀髪に白磁のような肌。
セラフィーナ・デメテル・ロンドシウスであった。
しばしののち、目を開けると、その目をテーブルに向ける。
そしてティーカップを手に取り、そこに満たされた紅茶を口へ運んだ。
「もう……貴女を縛るものはありません」
世界の欺瞞を終わらせるために、こうしなければならなかった。
これが絶対に必要だった。
連合には勢いがある。
だが、彼らが王都へ迫るほどに、王国の戦力は加速度的に精強さを増す。
そして何より、聖者とその弟子たち。
彼らは本当に恐ろしい。本来なら、人の身で立ち向かうことなど叶わぬ存在である。
「…………」
ビョルンのような忠臣たちが願ってくれたように、国をこそ守るべきという思いはある。
そして今までは、聖者に対抗出来る見通しがまったく無い以上、ただ国を優先した。
でも今は違う。対抗出来る。
ついにこの時が来たのだ。
学術院で会った、あの強き人。
きっと世界を変えてくれる。
だから彼に、彼女を託した。
自分が知る限り、最高の英雄。
ずっと国と人々を守ってくれた、無敵の騎士様。
意地悪なやり方だったかもしれないけど、予想以上の事態になって焦ったけど、ああでもしないと出て行ってくれないから。
セラフィーナは強い人ではなかったが、彼女は最後に決意したのだ。
そう。最後である。
王族すら掌握する聖者とその一派。
その楔は、セラフィーナの胸にも打ち込まれている。
王族が皆、結ばせられる契約魔法。
自身の子にも同様に結ばせることを契約に含んだそれは、彼ら彼女らを縛っている。
裏切りの代償は死であった。
それを百も承知で、彼女はこれを選んだのだ。
セラフィーナは、ティーカップをソーサーに置いた。
テーブルの上で紅茶はまだ湯気を立てている。
一つ息を吐くと、彼女は項垂れるように顔を下に傾けた。
「誰より強い……私の、お友だち…………」
────あなた、つよいのね! おともだちになりましょう!
────セラフィーナ殿下……。ふふ、私で宜しければ。
紅茶の湯気の向こう、セラフィーナは一人、世界と別れを告げた。
遠い日の記憶を、その胸に抱いて。
◆
ダオハン族は古い成り立ちを持ち、そのため多くの氏族との間に交友関係を持っている。
ゆえに連合にとって、彼らの参入は重要であった。
今回、連合参加が決まった彼らへ王国が攻撃を仕掛けたのは、戦略上妥当と言える。
他氏族との繋がりを断ちつつも、連合への参加それ自体を掣肘する狙いがあるのだ。
これに対して、連合も援軍の派遣を即断した。
程近い地域に住むレゥ族の軍勢と、旧アルテアン領の反乱軍、そしてヘンセンからも、リーゼを将とする軍が派遣された。
こうして彼ら連合軍はダオハン族の支配地域に入り、迎撃戦の準備を整えたのだ。
その後、王国軍の方で、この戦いに向けて幾らかの紆余曲折が発生し、軍の到着が遅れることとなった。
そのため連合軍とダオハン族軍は、充分な時間をかけて迎撃態勢を整えることが出来たのである。
備えは万全であった。
しかも向かってくる第五騎士団は途中、遭遇戦で兵力を損なったという。これも追い風と言えた。
しかし、リーゼは少しも油断しない。将兵らに緊張感を保たせたまま、第五騎士団を待ち構える。
そして戦いは幕を開けた。
この日は曇天。今にも雨が降り出しそうな分厚い雲の下、戦闘は始まる。
兵力のうえでは、連合とダオハン族が優勢。自陣に引き込んだ地の利もある。
きっと勝てる。そのはずであった。
◆
「う……」
地に倒れ伏し、拳を握りしめるリーゼ。
顔を上げて視線を向けた先、ずっと遠くにそれは居た。
同じく倒れ伏す連合の兵たちの間を、静かに歩いていく。
彼女が行使する力は、あまりにも強大であった。
元より、彼女の力は神罰に喩えられることが多かったが、今日見せているそれは、喩えではないようにすら思えた。
彼女は天の使いとして、神の力そのものを顕現させている。まさに神の代行者として、ここに居る。
味方の騎士の何割かは、本当にそう感じた。
歓喜する者、むせび泣く者、膝をついて手を合わせる者。彼らは皆、女神の力を目撃しているのだ。
「エミリー……」
しかしイェルドは、額に冷や汗を流していた。
掠れた声で上官の名を呼ぶが、遠い彼女には届かない。
いや、届いたところで、彼女は視線すら寄越さなかっただろう。
フェリシアの件で沈んでいたエミリー。
更にあのスアビニ村で何があったのか、戻った後はいっそう様子が変わっていた。
そして今、あまりにも常軌を逸した強さを見せている。
ここまでの潜在能力が彼女にあったことを、イェルドも知らなかったのだ。
迷いを捨てて強くなったと言えば、それまでかもしれない。
だが、それにしても強すぎる。あまりにも強すぎる。
イェルドは、戦慄に震えていた。
灰色の分厚い雲に覆われた空の下を、静かに、ゆっくりと歩くエミリー。遺体が転がる中を、何らの感情も見せぬままに。
ごうごうと風の音が鳴り、その風に白いマントがはためく。
周囲の空気が、ばしりと音を立てた。帯電しているのだ。
エミリーの瞳には、何も映っていない。
その眼はまるで、空洞であった。
第6部完です。
また第7部でお会い出来たら幸いです!
そして書籍版 最新8巻発売中です!
↓バナー広告の下から是非チェックを!





