205_要請
「落ち着きました。ロルフ殿、それと皆さま。かたじけない」
軍本部の医務室。
俺の目の前では、白髪と白髭を持つ紳士が、ベッドに腰をかけている。
彼はロンドシウス王国の第一騎士団で副団長を務める男、フランシス・ベルマンだ。
ヘンセンの軍本部を、この人が訪ねて来ようとは。
明らかに只事ならぬ事態だが、傷病者を大勢で取り囲むわけにもいかず、この場には、俺のほか数名の武官と文官、および医務官が居るのみだ。
もっとも、室外には当然、兵たちが待機している。
相手は敵軍の幹部、しかもかなりの重要人物なのだ。
本部全体が強い警戒感で満たされるのは当然である。
ベルマンもそこには気づいているはずだが、特に気にした様子は無い。
「話に聞いたことがありますが、これは馬乳酒ですかな」
「え、ええ」
「実に美味だ。遠征で地方に行った際などは、その地特有のものを食すのが楽しみでしてな」
ベルマンの手には、馬乳酒を綺麗に飲み干した椀があった。
馬乳酒には酒精がほぼ含まれず、代わりに栄養価は高い。
酸味が心地良く、疲れた者でも飲み易いため、傷病者へ供されることがあるのだ。
「ところ変われば文化も変わる。殊に、この種の発酵食は奥深い違いを見せてくれますな」
「まあ……そうですね」
智者で鳴るこの人物は、魔族の文化にも知識を持っているようだ。
とりあえず空の椀を持たせるのも悪いのでポットを手に取る。
「……では、良ければもう一杯」
「おお、有り難い」
礼を言い、注がれた馬乳酒に口をつけるベルマン。
味わい、僅かに相好を崩した。
「うむ」
瞑目し、静かに頷いている。
ティセリウス団長同様、この副団長も絵になる人物である。
「それでベルマン副団長、何があったのですか?」
わざわざ腹の探り合いをする状況でもあるまいと、俺は単刀直入に尋ねる。
ベルマンの方も同じ意見であったようで、簡潔に即答した。
「襲撃を受けたのです」
「誰に?」
いつ、どこでよりも重要な確認。
本来の敵である魔族から攻撃されたなら、俺たちのもとへ来るはずが無い。
「第一騎士団の部下たちからです」
「…………」
「団長を標的とした夜襲です。野営中のところを狙われました」
味方が守る野営地で就寝しているところを、内部から襲われたのか。
襲撃者たちも、やることが徹底している。
「野営と言うと、進軍中だったのですか?」
「そうです。ダオハン族との戦いへ赴く途上でした」
聞いている情報と符合する。
第一騎士団は東部を離れて移動を開始していた。
彼らが向かった先は、ダオハン族支配地域なのではないかと予想されていたのだ。
そこへ向かったリーゼたちが第一騎士団とぶつかる可能性があったが、状況はまた変わったらしい。
何もかもが、目まぐるしく流転する。
何人もの人間が、盤上に謀を持ち込んでいるのだ。
「貴方がた連合がダオハン族への援軍を出しているなら、その軍と戦うのは第一騎士団ではありません。第一は機能を失いました。それ以上のことは私には分かりませんが、伝令は出した方が宜しいでしょうな」
彼は嘘を言っていない。
こんなことを偽るために、第一騎士団の副団長たる人物を単身敵地に遣るなど、策としてまずあり得ない。
俺は武官の一人に目を向けた。リーゼたちに伝令を出すのだ。
武官が頷き、部屋を出ていくのを見届けてから、俺はベルマンへ向き直る。
「それで、ティセリウス団長の安否は?」
「分かりません。敵襲に晒される中、逸れてしまいました」
「そうですか……」
「ただ、状況は極めて悪い。団長はかなり深く負傷しています。あの傷では、そう遠くまで逃げられないでしょう」
ベルマンはここヘンセンまで逃げ延びてきたが、ティセリウス団長はそれが望める状況ではないらしい。
重傷を負っていては、馬を駆るにも限度がある。それでは、いずれ敵に見つかるだろう。
ただ、ティセリウス団長がそうも傷を負わされる姿は想像しづらい。
「ベルマン副団長。虚を突かれたとは言え、ティセリウス団長がそこまで後れをとるでしょうか?」
「敵が放った攻撃は、予想し得ぬものだったのです。団長も私も、まったく見たことの無い魔法攻撃を受けましてな」
「どんな魔法ですか?」
問うと、ベルマンは目を伏せて息を吐いた。
彼にしては珍しく、苦い顔をしている。
椀を握る手に、少しだけ力が入っていることが分かった。
「雨のように降り注ぐ魔法です。その雨滴の一つ一つが、恐るべき殺傷力を持っていました」
「それは……確かに見たことがありませんね」
「ただ、聞いたことはあるのです。豪雨の如き光矢を降らせる弓があると」
それを聞いて、ベルマンが見せている苦い顔の理由が分かった。
襲撃者たちは、想像以上に危険な者たちだったのだ。
「弓……神器ですか」
「恐らく」
相手が反動的な少数勢力でしか無いなら、ベルマンにとっても対応のしようはあるだろう。
そもそも、中央にそういう者たちが居るのは、元より予想出来ていたことだ。
だが襲撃者は、神器などというものを持ち出してきた。
持ち出せるはずの無いものを持ち出し、しかも使い方を心得ている。
つまり、ティセリウス団長を排除しようとしている勢力は、王国か教会の中枢と繋がっている可能性が高い。
「……そこまでの事態になっていたのですか」
動乱の世。
世界は、凄まじい規模と速度で動いている。
歴史の流れを巨獣の歩みに喩えたのは、誰だったか。
時代の鳴動というものは、決して止められないのだ。
「正直に申しまして、この老骨、これほどの状況は想像しませんでした」
「俺もです」
ティセリウス団長が中央の不興を買っていたとは言え、彼女は重要な戦力なのだ。
エミリーという、民の人気を集める次代の英雄が居たとしても、ティセリウス団長を排する理由にはならない。
彼女は従属的とは言えず、中央にとって扱いづらい存在ではあったようだが、暗殺してしまうのは理屈に合わないのだ。
俺の脳裏に、エーリク・リンデルの姿が浮かんだ。
彼はかつて、第三騎士団の前団長、マティアス・ユーホルトを排除し、自身が団長に納まっている。
今回、同じようなことをしている可能性はあるだろうか?
「…………」
しかし、団を率いる地位を既に得ている現在、それをする利は無さそうに思える。
彼の野心は中央へ向いているはずだ。
他の騎士団の団長を追い落としても、さして彼の利益にならない。
ましてティセリウス団長は中央での権勢を欲しておらず、かつ高官らとの関係も良くない。
リンデルの栄達を邪魔する存在とは言えないのではないか。
「……暗殺を企てた者について、ベルマン副団長に心当たりは?」
「ご存じのことと思いますが、近年、団長は一部の高官から疎まれておりました。しかし、ここまでの挙に及び得る者となると……」
言って、首を横に振るベルマン。
彼にも思い当たるところは無いようだ。
ティセリウス団長を殺すことで、いったい誰が得をするというのか。
あるいは、損得とは別の理で、あの聖者が……?
いや、どうも答えは出そうにない。
しかし、それでも今は行動を選ばなければ。
「ベルマン副団長。俺は、ティセリウス団長は健在だと思っています。副団長の考えは?」
「無論、同じです。団長はそう簡単にやられません。どこかで耐えているはず」
静かな語り口であった。
手に持った椀に目を落としたまま、彼は話す。
「ですが、かつて無い危機なのです。ロルフ殿」
「はい」
「団長を……エステルお嬢様を救って頂きたい」
「………………」
ベルマンは、それを口にした。
重大な意味を持つその言葉を。
「俺たちに、それを求めるのですか?」
「はい。お願いしたく」
「俺たちは敵、連合軍です」
「しかし今、最も頼りにすべきは貴方なのです」
ティセリウス団長を救うための最適な選択がこれであると、彼は言っている。
それは俺にとって有り難い評価であった。
それに、彼女が国へ帰るのは難しいかもしれない。
中枢権力に彼女を害する意思があるのだ。
帰ったところで、再度刃を向けられるか、或いは何がしかの罪を着せられるか。
一度ここまで大きな行動を起こした以上、相手ももう引き下がらない。
「ロルフ殿」
ベルマンは、強い眼差しを俺に向ける。
決断を迫る眼差しを。
「……分かりました」
本来は、武官が即答してはならない案件である。
だが、議会か族長に話を通してから回答します、などと言えば、いま得るべき信頼を損なうだろう。
事後承諾になることを議会から責められはするだろうが、ここで日和った言葉は選べない。
だから俺は、姿勢を正して今、答える。
「この将軍ロルフが請け負います」
書籍版『煤まみれの騎士』第8巻が、2026年5月17日に発売になります。
今回も大幅加筆でお送りします。
どうぞよろしく!





