200_銀の大樹
突発の茶会を終え、俺たちは席を立った。
今、ミアとマレーナが器を返しに行っている。
買い物した品々が入った麻袋を持ち上げ、店を出る準備をする俺に、アルが言った。
「先ほど、ミアを抱き上げていたな」
「まあ……あの人混みでは転ぶ危険もあったからな。だから子供扱いを嫌うミアも、それを望んだんだ」
「十四歳だろう? 人混みが危険という年齢でもあるまい。彼女が望んだのは特別扱いだ」
特別扱い。
むろんミアを特別に思っているが。
「微妙な年齢よな。庇護されるべき子供であることに変わりは無いが、一方で子供扱いが無礼にもなろう」
「ああ、まったく難しい。世の父や兄はどうしているんだか」
俺も人の兄ではあるが、フェリシアは歳が近いし、結局良い兄でもいられなかった。
そんな俺の経験値では、歳の離れたミアへの接し方が、しばしば分からなくなる。
「ふ……」
薄く笑いながら、首を振るアル。
そこへ、ミアとマレーナが戻って来た。
「お待たせしました」
「アルさん、向こうに生花売りが出てるらしいんだども」
「うむ、行ってみるか」
「じゃあ、俺たちはここで」
「さようなら。アルさん、マレーナさん」
これ以上、邪魔をするわけにもいくまい。
改めて挨拶を交わし、二人と別れる。
それから茶店を出ると、ようやく雑踏も落ち着きつつあった。
「ん」
またミアが両手を上げる。
人の波がまばらになってきた以上、もう逸れたり転んだりする危険も無いと思うが……。
「ん」
「…………」
考えてみると、十四歳と言えば俺が騎士団に入る前年の歳だ。
既に戦いを志していたあの頃、俺は自分のことを子供だと思っていただろうか?
こうしてよくよく見れば、彼女の身長は一五〇センチ台後半。
歳から言って平均にやや満たないが、それでもずいぶん伸びたものだ。思えば、出会ってから二年近くも経つ。
整った面差しからは、いつの間にか幼さが消えつつあるようにも見える。
…………まあ、とはいえ子供は子供。
片手で持ててしまう存在であることには変わりない。
そう考えつつ、俺はミアを抱き上げるのだった。
◆
市場の出口に近づいてきたところで、叫び声が聞こえた。
「んだコラ!!」
「あァ!?」
若い魔族の男が二人、胸倉を掴んで怒鳴り合っている。
人が多くなれば、必然、トラブルも多くなる。
だが見たところ、よくあるレベルの小競り合いだ。さっさと制圧してしまおう。
そう考え、俺はミアを下ろし、麻袋を地面に置いた。
そして男たちの方へ向き直った時、二人のところへ別の誰かが近づいていた。
「邪魔です。往来の真ん中ですよ」
女性だ。人間である。
歳のころは二十代前半。
艶のある黒髪が横顔を覆っている。ショートボブというやつだ。
細身で、腰には……珍しいな。刺突剣を差している。
「何だと!? 人間がこの街で調子コイてんじゃねえぞ!!」
男が、その女に掴みかかる。
対して女は向かってくる手首を取り、ぐるりと捻った。
小手返しである。
「ぐぁ!?」
洗練された技術とスピードであった。
男は何をされたのかも分からなかったであろう。一瞬で膝をついていた。
女は、その膝に向けて側面から蹴り込むべく、足を振り上げる。
骨や靭帯を損傷せしめる角度だ。
「よせ。そこまでやる必要は無い」
俺が割って入る。
女は俺を見ると、男から手を放した。
「ひ……!」
男は脱兎の如く逃げ出す。
この細身の女に、恐怖を感じたのだろう。
もう一人の男も居なくなっていた。
「…………」
逃げる男に対し、女は少しの興味も向けなかった。
彼女の意識は一点に向けられている。俺だ。
彼女が俺に叩きつけているのは、強烈な殺意であった。
この街にあって、魔族から敵意を向けられることは少なくない。
だが、それよりも遥かに強い殺意が、いま人間から向けられている。
彼女は射殺すような視線を俺にぶつけていた。
「…………」
傍らのミアが、落ち着かぬ表情で俺を見上げる。
「大丈夫だミア。後ろへ」
そう告げると、ミアは素直に後ろへ下がった。
その間も、女は俺を睨み続けている。びりびりと皮膚を刺すような殺気を発しながら。
「…………」
俺も女へ視線を向ける。正確に言うと、女の方へ。
問題は、彼女の後ろに居る存在なのだ。
そう。本当に怖いのはこの女ではない。
俺の意識を捉えて放さないのは、別の存在。
女の少し後方に居る、体の大きな男である。
「彼女を諫めてもらえないか?」
「そうだな」
俺が声をかけると、男は前に踏み出し、女の肩に手を置いた。
女は、振り向いて男と目を合わせ、それから再度俺を睨み、一つ舌打ちをして後ろに下がる。
「私の部下が無作法をした。済まない」
男はそう言った。
客観的に、女は無作法に及んではいない。喧嘩を仲裁しただけだ。
今にも殺さんとするような視線と殺気を向けてはきたが、それは問題ではなかった。
問題はこの男である。
「気にしていない。怖いのはあんただ」
男の後ろで、細身の女が再度舌打ちをし、なお俺を睨みつける。
自分を蔑ろにされたと思ったのだろう。
だが、構ってはいられない。
あの女も相当だが、俺は警戒心のすべてを目の前の男へ向けねばならなかった。
見たところ、歳は四十代半ば。少しウェーブのかかった長い銀髪が肩にかかっている。
体の大きさは俺とほぼ同じだ。つまり大きい。
太い腕、厚い胸板、そして厳めしい相貌は、見るからに強者のそれであった。
しかし殺気は感じられない。自然体で、ただそこに立っている。
それどころか、こうして向き合っているのに気配の類を何も感じさせない。絶無だ。
そして、帯剣している。
俺の腰にも剣はあるが、この人混みの中でそれを抜きたくはない。
いや、人混みが無くとも、この男と斬り結ぶのは……。
「これは聞きしに勝るな。確か歳は二十二と聞いたが、その若さでその境地か」
その声は重く響く低音であった。
男はどうやら俺を賞賛している。
俺と同様に、彼も俺を測ったようだ。
「私を怖いと言ったが、もう少し教えてくれ。お前は私をどう見る?」
「……以前、ステファン・クロンヘイムと対峙した時、その構えを見ただけで感じた。凄まじい強さだと」
「実際、あの男は強かった」
「だが今、それ以上のものを感じている」
クロンヘイムの時と違い、目の前の男は構えてすらいない。
肩口も胸も胴も、まったく防御されていない。
にもかかわらず、どこにも隙が見当たらなかった。
視線、重心、筋肉の動き、そして呼吸。
彼はそれらを、完璧なレベルで機能させている。
結果、対峙するだけで優位を取っているのだ。事も無く、ごく当然であるかのように。
気が遠くなるほどの研鑽の果てでしか持ち得ぬそれは、紛れも無く剣士の技術であった。
「……あんたが誰なのか、たぶん俺には分かる」
「なら名乗り合う必要は無いな」
見るべき使い手と出会ったなら、名を知りたがるのが剣士の性。
だが今、それは不要だ。
それに、互いに名乗れば戦いが始まってしまうような気がする。
名乗りをあげれば剣を抜く。そんな古戦場のような作法を持っているわけではないが、とにかく今は矛を納めるべきだ。
人々が日常を営むこの場で、そして後ろにミアが居る状況で、戦うという選択肢は無い。
目の前に居る、この相手と戦う選択肢は。
「意見は一致したようだ」
男はそう言って踵を返す。俺の肚を読むなど、この男にとって容易いことなのだろう。
彼は背中を見せているが、やはり斬り込む隙が無い。斬り込んで倒せるイメージが欠片も湧かない。
「用は済んだ。私はすぐに街を去るゆえ、余計な犠牲を出さぬよう頼む」
一度立ち止まって横顔をこちらへ向けると、彼はそう告げた。
この男が俺の考えているとおりの人物なら、後顧の憂いを断つべきである。
だが追手を向けても、彼の言うとおり、連合の側に被害が出るだけだろう。
彼を倒すには、強烈な個の武力が必要だ。
「奴をこの場で殺さないんですか!?」
「自らに出来ぬことを人へ求むな」
再び歩き出した男は、言い募る女を諫めつつ去っていく。
女の方は歯噛みしながら俺を睨んでいたが、やがて視線を外して男に続いた。
「ふぅ……」
男が歩き去るのを見届け、俺は息を吐く。
ミアが近づいてきて、俺の服の裾をぎゅっと掴んだ。
「ロルフ様……」
俺を案じるミア。
敏い彼女とて、あの男の強さが分かるわけではない。
だが、只事でない空気は感じたのだろう。
「まったく、ミアを怖がらせるとは許せんな。さっきの奴ら」
冗談めかして言い、笑顔を作る。
すると彼女も、応えて小さく笑ってくれた。
この笑顔を守るために、いずれあの男とも戦うことになるのだろうか。
しかし、あの男はおそらく俺より……。
「…………」
────ロルフ様は負けません。…………いちばん、いちばん強いですから。
目の前の子が、かつて言ってくれた言葉。
そうだ。そうだとも。
俺は誰にも負けられないのだ。
この回で、本作は200話に到達しました。
皆様の応援の賜物です。ありがとうございます!
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