ウンディーネの霊薬
部屋に一人残されたリマは、ゆっくりと顔を上げてアレフを見た。先ほどよりも表情は和らいでいたが、だいぶ息苦しそうにしている。
額にかかる緋色の髪を避けてそこに触れると、いつもより体温が熱い。彼は元より魔術で炎を扱うため体温は高めらしいが、それをおおきく上回るだろう。リマはすぐに濡れタオルをのせた。
特に反応が無いのでリマは途端に怖くなりアレフの左手を握り締めた。もし彼が起きていたら、痛いと苦言を呈されるかもしれない。それくらいの力で握っていた。
「ごめん、っ…なさい……」
リマは怖くなった反面、握ると熱いくらいの手に少しだけ安心を覚えて我慢していた涙が溢れてきた。
(泣いちゃダメ……私の所為なのに)
もっと自分が強ければ、もっと魔力があったなら、こんなことにはならなかったかもしれない。考えれば考えるほど湧き起こる自責の念に、涙が止まらない。
「私が、泣いちゃ……ダメ、なのに…」
手のひらで押さえても止まらなかった。ポロポロと落ちる雫はアレフが眠っているシーツを濡らしていく。
「…うっ……く…」
「!!」
ふと呻き声が聞こえた。慌てて涙を拭ってアレフの顔を見る。熱が上がったのか、じんわり汗をかいていた。
「熱出てるもんね。…水、飲めるのかな」
意外にも頭は正常に働く自分に驚く。リマは水差しに手を伸ばして、病人のために細くなっている注ぎ口を、彼の口元に持っていった。唇の間に当てると、それをアレフは無意識に口に含んだ。コクリと喉が鳴ったことで、水が飲めたことを知る。
「よ、よかっ…」
「っ!!ゴホッ!ゲホ!!」
水差しを戻した瞬間、突然体を曲げてアレフがむせてしまった。寝たまま水を飲むと度々こうなるので、リマは彼の背中を擦る。苦しそうな呼吸のままアレフの目がうっすらと開いた。
「……ぁ?」
「アレフ!?」
「っ……頭痛ぇ」
「よ、よかった。目を覚まして…」
うっすらと開いた瞼の奥と目が合うと、リマの涙はいよいよ止まる気配がなくなった。
「お前、なに泣いて…」
虚ろな目でリマを見ていたアレフが無意識に手を伸ばした。脳裏に泣き顔のイグニスがよぎる。
「そんなことはいいから!お水、飲む?」
「いや…眠い……それに冷てぇ」
とリマの涙に濡れた手を認識するようにジッと見た。
「なんか……これ、冷たいな…」
ほどんど寝落ちかけて彼は再び目を閉じた。リマは自分で確かめてみたがそんなことはなさそうだ。どうやら熱のせいでそう感じるらしい。アレフの声が聴けたことにリマは安心して瞼が重くなった。
(そういえば、魔力切れてたんだ……)
リマはベッドに突っ伏すると、そのままふわふわとした思考が途切れた。アレフの腕に落ちた涙が、淡く光りながら腕を遡って行くのを見ずに。
* * * * *
「重い!!」
「きゃあ!!」
ドタバタと慌ただしい隣から聞こえてくる音にレムとディアンは目を覚ました。シルフィはレムの上で目を擦っている。
「あんたたちうるさいわよ!!」
部屋越しにレイラのくぐもった声が聞こえて、彼女が部屋に入ったことがわかった。
「………」
「起きたみたいだね~」
「あぁ。元気そうだなアレフ」
「見に行こうか。シルフィ起きてる?」
「……はい、おはようございます」
ベッドに座ったままでレムが腕の中のシルフィを覗き込むと、彼女は少し恥ずかしそうに挨拶してから、「降ろして下さい」と小さく言った。
「開けるよ~」
レムがひょっこり顔を出すと、そこにはベッドの上に正座させられた少年と少女が、そばで仁王立ちしているレイラに頭を下げていた。
「まったくケガ人は大人しくしてなさい!多少魔力の質がかみ合わないからってすぐ突っかからないの!」
「ご、ごめんなさい……」
「あらら、でも元気そうだね」
「ちょうどいいわ、現状の整理をしましょう。ほらアレフ、傷見せて」
「傷?」
右肩出しなさい、と言うレイラの言葉にアレフは首を捻った。
「城の聖堂で戦った相手、神官の四霊柱と名乗っていたけど…奴らはおそらく【魔族】よ」
「魔族?」
「え?魔物なのか?」
その単語にその場にいた全員が口々に繰り返した。
「魔物はもともと、魔族と呼ばれる種族なの。様々な個体がいるように、あいつらのような【ヒト型】もいる。実際に見たのは初めてだけど」
「僕も文献で読んだことあるけど、実在していたなんて…」
「魔物であるのは事実だから、あんたは石化を喰らったの」
とレイラの説明を受けるとアレフは腑に落ちたようで、なるほど、と呟いた。
「関心してないで、肩見せなさいってば」
グイッと袖を捲るとレイラが息を呑んだ。
「どうしたの?」
レムが覗き込むと、そこに石化の痕はなかった。灰色に硬質化していた患部は、血色の良い健康的な肌色に戻っていた。
「治ってる…よね?」
「一晩で治るのか?昨日の医者は確か…」
「【解除】以外はあり得ないわ。それに」
レイラはすぅ、と目を細めて確かにコアの流れを視た。
「跡があるの」
「レイラさんのようにエルフの眼を持つ方々は、どんな風に見えているんですか?」
「濃さによって変わるんだけど、魔術の痕跡の場合は霧状にぼんやり光ってる感じね。でもこれは……まるで血痕みたいね」
シルフィの素朴な疑問に彼女が淡々と答えると、それに対してレムがうわぁ…とこぼした。
「その言い方だと、僕たちには見えないから薬品反応みたい」
「そう、それ!それが一番近いわ!」
「言いたい放題だな。俺、石化してたのか」
「私を庇ってくれたから、ごめんなさい」
「水属性のコアだし、リマ以外ありえないんだけど…」
リマには全く心当たりがなかった。魔術師にも治癒術が使える者とそうでない者がいるように、精霊の子にも当てはまるらしい。属性の物質に触れたりすることで自己回復はできるようだが、他者への治癒がリマにはできない。
「………涙」
レイラが腕を組んで考え込んでいると、ぽつりとアレフが呟いた。
「涙?」
「伝説や噂程度にウンディーネの流す涙は霊薬だって聞いたことがある」
そう言うとレイラは小さく唸ると、どこか納得したような顔をした。
「そうかもしれないわね。あー、ウンディーネの研究に参加しとくんだったぁ」
「そういえば、レイラさんって精霊研究員だったっけ」
「失礼ねディアン。あたしは室長よ?宮廷魔術師よ?ウンディーネについてはサイモンに任せてたから、手が回らなかったのよ。でも、本当によかったわ」
リマは何故サイモンがベイシアに訪れたのか納得した。彼はウンディーネについて調査するために鏡窟に行き、そこでリマと出会った。
偶然ではなく、必然だった出会いをしたようだ。




