霞と杏の限界。
「許してアルト!!」
「霞?」
隣のベッドで眠っていた霞の叫び声に飛び起きる。
電気を点けると霞は真っ青な顔で身体中を掻き毟っていた。
「止めろ触るな!!この身体はアルトの物なんだ!」
「どうしたの霞!?しっかりして!」
血だらけの腕を掴み、押さえ付ける。
凄い力だ、小柄な女の力と思えない。
自分に体力強化を掛け、なんとか押さえる。
「...アルト...死なないで...アルト...」
霞の叫び声が小さくなる。
涙が、いや身体の至る所から体液が流れ、ベッドの上は酷い惨状になっていた。
「よし、[スリーブ]」
霞に催眠を掛ける。
混乱したままの状態では上手く魔法が効かない。
血だらけの霞をビニールシートを引いた床に降ろす。
治療魔法を掛けるにしても、ベッドの上では傷や体液がシーツに張り付いてしまう。
次にパジャマと下着を脱がせる。
これもシーツと同じ理由からだけど、力の入ってない人間から衣服を脱がすのは大変な作業だ。
「せっかくの胸が台無しだよ」
霞の願いで大きく膨らました胸。
掴んで引っ張ったのだろう、皮膚の一部が裂けていた。
「元に戻してやろうかしら」
その方が良い様に思う。
掴みたくとも掴めないだろうから。
「止めとこ」
1年前、大きくなった胸に笑った霞の顔を思い出した。
「...[ヒール]」
手から発せられる優しい光が彼女を包む。
身体から生々しい傷が消えていった。
「よいしょ」
汚れたシーツと毛布を洗面所に運ぶ。
洗濯機で丸洗い出来る物を使っているから凄く便利だ。
魔法で綺麗にするより洗濯の方が好き。
まあ跡が残れば結局魔法で綺麗にするんだけど。
新しいシーツと毛布、そして下着とパジャマを寝室に運ぶ。
女の力では大変な作業だが、今は体力強化が掛かっているので大丈夫。
霞を着替えさせ、新しくシーツを引き直したベッドに再び寝かせる。
静かな寝息の霞。
全く暢気な物だ。
「...アルト」
「嘘?」
小さな声だけど確かに聞こえた。
そんな、まだ1時間くらいしか経ってないよ。
結構強く魔法は掛けたんだ。
普通なら半日は強い眠りに落ちる筈なのに...
翌朝、霞はいつも通りに目を覚ました。
結局私は一睡もしないまま朝を迎え、ダイニングでコーヒーを飲んでいた。
「また愛花に迷惑を掛けたみたいだな」
霞は気まずい顔をしながらパジャマの襟を掴む。
寝る前と違うパジャマを着ていたら何かあったと思うのは当然だ、それに。
「また見ちゃったんだね」
「...ああ」
言葉少なく椅子に腰を降ろす霞。
今年20になる彼女だが愛らしい容貌は高校時代から変わらない。
でもその胸はやっぱり変だよ。
「最近多くない?」
「そうかな」
首を捻る霞。
何度か発作的に自殺しようとしたので記憶を消してるのを知らないのだ。
昨夜の様に素早く処置をすれば大事にはならないので記憶は消さないで済む。
お陰で最近は僅かな声にも直ぐ目が覚める癖がついた。
「そろそろ行くか」
「そうね」
簡単な朝食を終え、身支度を済ませた私達はマンションを出る。
大学に入ってから私は霞と同じ部屋で下宿生活を送っていた。
「おはよう有人」
「愛花おはよう」
大学に着くと有人が嬉しそうに手を振る。
アルトだった頃の凛々しさは失われたが、今の有人も私は大好きだ。
「有人おはよう」
「岬さん、おはよう」
霞は少し元気が無い。
昨日見た悪夢のせいだろう。
で、有人は霞の何処を見てるの?
やっぱり元に戻そうかしら。
「杏と雫は?」
霞が杏と雫が居ない事に気づく。
あの2人が有人を1人にするなんて。
「杏の体調が悪いから、家で姉さんが見てるよ」
「そうなの」
珍しい、杏は元魔王だ。
今は人間に転生してるが、体調が悪いなんて考えられない。
「私ちょっと行ってくる。
霞、後お願いね」
「は?」
「愛花、宜しく頼むよ」
驚いた霞が固まる。
有人は暢気な顔だ。
雫は有人と杏の3人で大学から程近いマンションに住んでいる。
「雫、居る?」
「愛花、今はちょっと...」
マンションのインターホンから聞こえる雫の声は少し焦っている。
何かあったのは間違いない。
「私に出来る事ない?」
「...わかった、今開けるわね」
オートロックが解除され玄関の自動ドアが開く。
雫はここ数年魔法を殆ど使わなくなった。
何の為か分からない。
しかし強い意志を感じていた。
「雫、今日はどうし...」
玄関を開けた途端襲い掛るこの臭い。
間違いない、これはサキュバスが発する淫靡なフェロモン。
たちまち私の身体が発情する。
「...解毒」
目眩に苦しみながら自分に魔法を掛ける。
思考が戻り、身体の疼きが収まった。
「浄化」
続けて部屋の空気を綺麗にする。
これだけ強烈な臭いを嗅ぎ続けたらまた疼いてしまう。
「雫、上がるわよ」
玄関を上がり部屋の扉を開ける。
中では真っ赤な顔で雫が踞っていた。
右手は何をしていたか彼女の名誉の為に言わないでおこう。
「[解毒]」
「ありがとう」
ふらつきながら雫は立ち上がる。
顔が赤いのは恥ずかしいからか?
「杏は?」
「今寝てるわ」
「そう」
雫が寝かしたのだろう。
「ちょっと待ってて、シャワー浴びてくるから」
雫は急いで風呂場に消える。
サキュバスの怖さは異世界で見ていたから分かる。
品行方正な人間が突如理性を失い襲い掛る。
それはこの世界にある媚薬の比では無い。
「お待たせ」
「大変だった...ね?」
部屋の隅々まで染み付いたサキュバスの臭いを消しているとシャワーを終えた雫が入ってきた、下着姿で。
「ごめんね、今は衣服が擦れるだけでもダメなの」
「自分で何とかならなかったの?」
「うん、杏を眠らせるのに結構魔力使っちゃったから」
バツが悪そうな雫。
でも綺麗な女性の下着姿は同性でも目のやり場に困る。
「杏、もう限界みたい」
テーブルセットの椅子に腰掛け、雫が呟いた。
「限界?」
「ええ、サキュバスの本能よ。
有人を誘惑したい、繋がりたって」
「そうなの...」
「今日も有人を先にマンションから出した途端だった」
「それで、ああなったのね」
「油断したわ」
また真っ赤になる雫。
忘れてあげたい、無理か。
「霞もよ」
「霞も?」
「このところ2、3日置きに悪夢に魘されてるわ。
ナツキに操られ、抱かれた記憶、アルトを刺した記憶にね」
「さすがは元剣姫ね。
あの時廃人から直ぐに立ち直った精神力は健在か...」
苦しそうな雫。
自分が女神としてクズに与えてしまったスキルによって悲劇は起こされたのだから。
「どうしたら良い?」
「それは...」
雫は苦しそうに俯く。
女神として私より遥かに長い年月を生きてきたんだ。
対処法くらい知っているだろう。
「...1つだけ」
「1つ?」
「1つだけ方法がある。
悪夢を乗り越え、サキュバスの本能を抑える方法が」
「本当に?」
そんな方法があるなら何故今まで黙っていたんだ!?
「でも愛花、貴女には残酷よ」
「え?」
真剣な雫。
気迫のこもった彼女の目に怯んでしまう。
下着姿だけど。
「聞きたい?」
「うん」
先ずは聞かないと。
「有人の」
「有人の?」
「有人の子供を身籠らせる事よ」
「は~?」
雫の言葉が理解出来ない私だった。




