貴女だけ苦しまないで。
「...愛花」
やはり衝撃が強かったようだ。
うつむいたまま愛花は固まってしまった。
聞かれたから答えただけ、以前ならそうだった。
だが、今は愛花の苦悩が痛い程分かる。
いや愛花だけじゃない、杏や霞の苦悩も全て...
「雫...いえシルコゥ様...何故それで2人は救われると?」
愛花は言葉を改めて私に聞く。
私の心を読めば済む事だが愛花は直接聞きたいのだろう。
「先ずは杏から言うわね。
知っての通り彼女は元サキュバス、この世界には存在しない種族。
サキュバスの性質は知っているでしょ?」
「はい」
愛花は少し顔を赤らめる。
向こうでサキュバスと何度か遭遇した記憶を思い出しているのだろう。
強烈なフェロモンを撒き散らし、男を狂わせる。
どんなに理性を働かそうとも、叶わない。
野生の雄となり襲い掛る。
妻や恋人の前であろうと構わずに。
解毒剤か解毒魔法が無ければ、人は死ぬまで精を搾り尽くされてしまう。
それがサキュバスの本能。
雄の精を自らの体内でエネルギーに転換させる。
その為に雄を誘うフェロモンを撒き散らすのだ。
「杏は普通のサキュバスと違っていた」
「違う?」
杏の過去は全て知ってると思ったが、愛花は知らなかったのか。
そういえば愛花は必要以上に人の心を見ない子だったわね。
「たまに生まれてくるの...人に近い感性を持ったサキュバスが」
「それって...」
愛花が激しい衝撃を受けている。
人に近い感性を持ったサキュバス、そんなのは地獄でしかない。
魔物にとってサキュバスは下位種族、精を処理するだけの存在。
人族にとっても危険を取り除けば最高の快楽を与える道具。
搾り尽くされる前に殺せばいいのだから...
「よく殺されませんでしたね」
「それは運が良かった...とは言えないか。
人を集める為の道具にされた訳だし」
杏から以前聞いた。
魔族によって人の住む街に放り込まれる。
当然裸だ、恐怖以外の何ものでもない。
だが、サキュバスにとってあらゆる感情はフェロモンを生成させる材料でしかない。
そして人に襲われる。
その隙に魔族は人間の街を蹂躙していた。
「絶望から彼女は覚醒した」
「まさか、それで?」
「そう魔王に」
「なんて事...」
涙を流す愛花。
いつも明るい杏にそんな過去があったと知らなかったからなら当然だろう。
魔王は突然生まれる。
絶望からだったり、人に殺された同族の恨みからだったり、女神の私ですら予想が出来ない物なのだ。
「...どうして有人の子を身籠れば助かると?」
絞る様な声で愛花は聞いた。
「簡単な事、杏は有人を愛してるからよ」
「そうですけど」
人に近い感覚を持った元サキュバスの杏。
そんな杏が愛する人の子供を身籠れば?
それは素晴らしい多幸感に包まれるだろう。
サキュバスの本能すら打ち勝つ程に。
「予想からでは無いのよ。
極稀な例だが過去にあったの、本当の愛を知ったサキュバスの例が。
死ぬまでサキュバスの本能が出る事はなかった」
愛花は私の目を見つめていた。
魔力を感じる、私が嘘を言ってないか調べているのだろう。
大丈夫、隠したりしないよ。
「それじゃ霞は?」
愛花の質問は次に移る。
杏の事は納得はしてないだろう。
でも愛花は冷静だ、それが彼女自身を苦しめているのに。
「霞は...」
「霞は?」
愛花は身を乗り出す。
異世界で一番の親友だったそうだし、今も彼女が大好きな愛花の気持ちは分かる。
バカとの過ちが許せないのだ。
いくら私が与えたスキルのせいだとしても。
彼女の過失、アルトが居ながらクズに恋慕の情を持ってしまった事に。
「あの子の苦しみは一生消えないわ」
「え?」
「例え有人の子供を身籠ろうともね」
「それじゃ話が違う!!」
怒りを露にする愛花。
掴み掛かって来ないだけ大したもの、今の私は彼女に勝てない。
魔力の殆どを封印しているのだから。
「それが霞の生きる枷になるからよ」
怯む事なく愛花を見つめる。
分かって貰うには言葉を尽くすしかない。
「枷?それが何故霞を救うと?」
「私は霞を救うとは言ってない、あくまでも乗り越える方法と言った筈よ」
「そんな詭弁...」
「座りなさい愛花」
「すみません」
椅子に座りなおす愛花。
まだ髪が逆立ってる、これほど感情的な彼女は珍しい。
「私の失敗もある、でも霞...ミザリーは間違いなくアルトが居ながら他の男に恋慕を抱いた」
「でも抱かれる程の気持ちは無かった筈で」
「確かに、誰でも抱く程度の感情。
気の迷い、実際に浮気する程では無かった。
でも私が糞に与えてしまったスキルでミザリーは犯してしまった。
最後に殺す所まで...」
「........」
真っ青な愛花はきっとミザリーがアルトを刺した光景を思い出している。
「何度も記憶を消しても同じ、霞の過ちは私や愛花の魔法なんかじゃ消えない」
「ええ」
僅かに頷って事は実際にやってみたのか。
「だから有人の子供を?」
「そうよ、過ちを抱えたまま。
でも死ねない、愛しい人の子を遺しては逝けないでしょ?
また裏切る事になるのだから」
「...うん」
苦しそうだ。
こんな愛花は見ていられない。
「あくまで1つの方法よ、実際に出来るかなんて分からない。
有人の気持ちは絶対に無視出来ないからね」
愛花の手をそっと握る。
血の気が無い、氷の様に冷えきっていた。
「私も一緒に考えてみる、だから一人で悩まないで」
「...ありがとう、シルコゥ様」
愛花はかすれた声で頭を下げた。
私は絶対に見捨てない、これ以上苦しまないで...




