日常 #4
金曜のお昼休みともなれば、週末の話題であちらこちらに華が咲く。夏休みまで
一ヵ月を切っているので、休みの計画を練っている気の早い子たちもいる。いや、
もう遅いくらいかも。
私、由美、剛ちゃん、岳くんの四人は、昼食を済ませると今朝の続きを話し合う
ため、連れ立って音楽教室に向かった。
由美と私で歌えるように女性ダブルボーカルの曲を選ぶということで、岳くんが
海外アーティストの楽曲を披露してくれた。聞いたことあるような気もするけど、
きっと私らの親世代の楽曲だ。
英語じゃ歌えないよ、というと由美も岳くんも困ったような反応を示す。
ゴメンね、注文が多くって、私。
やっぱり、私抜きの三人でやればって言ったんだけど、由美がどうしても四人で
やるって聞かないんだよね。由美ってば、変なとこが頑固だ。
四人で一緒にやれること。
そんな話をしていたとき、由美が何気に発した一言を、私が剛ちゃんと岳くんに
繋いだのが切っ掛けで、バンドの話が盛り上がった。だから、やるんだったら四人
というのが由美の拘り。
最初の切っ掛けと、その時の気持ちを大切にする。それが由美なんだ。
まあ、一緒にやろうと言われて、私も悪い気はしない。
結局、昼休みだけではバンドの方針は結論が出なかったので、放課後にまた話し
合うことになった。
○
こんな感じで、昼休みはクラス全員が週末モードなのに、午後最初の授業が数学
とは酷だよね。
Σの記号が、横倒しのMにしか見えない私には、睡魔との戦いの時間。しかも、
困った事に数学はクラス担任の四谷先生なんだな。
内申書に”授業中は寝てばかり”とか書かれたらどうしよう。
チャイムが鳴って、四谷先生が教室に入ってくる。
「はい。それじゃ、おとといの小テスト返すからね」
と言ってからテストを返し始めた。
このテスト、少し自信あるんだよね。私にしては勉強したんだ、この時だけ。
といっても、平均点には届くんじゃないかという程度の、遠慮がちな自信なんだ
けど…。
ところが、私にテスト用紙を返す番になって、四谷先生が私の顔をじーっと見て
何やら意味ありげにニヤリと笑った。
なんで変顔作って見せるのよ。ひょっとして、いつもよりうんと酷い点なの?
四谷先生に応えるように、えーっと口を曲げて変顔のお返し。
見て楽しい結果ではなさそうなので、受け取ったテストは裏返しのまま二つ折に
して机の奥にしまいこんだ。
「じゃ、今回の小テストの講評ね。ポイントは二つ」
テストの度に講評をするのが四谷先生のスタイル。だけど、この講評がいっつも
長くなって、授業が休み時間にかかってしまうのが困りものだ。
「ポイントの一つ目は応用問題。入試では、基本問題を確実に解いて、応用問題で
差をつけるのがセオリーです。なんですが、今回は設問4の応用問題が難しかった
らしくて、四人しか正解者がいませんでした」
難しいなんてもんじゃないわョ。私なんて手も足もでなかった。と心の中で声を
大にして抗議する。
「おかげて100点取れたのもその四人だけです。でも、うれしいことに、その内
の一人はいつもなら平均点に届かない点数取ってる人でした。今回は相当頑張った
みたいですね。ハイ、拍手」
みんな関心が薄いのか、まばらな拍手が起こる。
いつもは平均点以下なのに、今回は100点取ったって? 誰なんだろ、一体。
まぁ私には関係ないけどサ。
「ポイントの二つ目。今の話と関係あるけど、いくら100点とっても自分の名前
を間違えたら駄目だかんね。入試では不合格になるから、よく確かめること」
小学生かよ、と野次が飛び、どっと笑い声が上がる。
ホント誰なんだろ。と私も顔が緩む。
「一緒んなって笑ってるけど、お前の事だからな。佐藤」
ええー!? なにナニ何、今の。どういう事。
再び、教室に笑い声が上がり、クラスメイトの視線が私を射抜く。
恥ずかしいなんてもんじゃない。顔が真っ赤になっていくのが自分でもわかる。
耳でお湯が沸かせるんじゃないだろうか。…って、お湯を沸かすのは臍か?
四谷先生、なにトンデモなこと言ってんのよ。
そりゃぁ、名前は間違えるかもしれないョ、私は。でも、100点なんて金輪際
あり得ないんだから。だって、設問4は全然お手上げで、答書いてないんだもの。
先生の方こそ、他の人のテストと間違ってるんじゃないの。
机の奥のテストを引っ張り出すと、二つ折りをおそるおそる広げてみる。
あれっ、これ何。テスト用紙の一番下、設問4の箇所に何やら書かれている。
なんだか良く分からない数式が数行続いたあとに
『以上、証明終わり』
の文字。
これ、私の字だ。なんで?
混乱した頭のまま、二つ折りを完全に開いてみる。すると、得点欄には生まれて
から今まで見たことのない100の数字。おまけにハナマルと”よくできました”
の赤い文字。小学生か。
そして、氏名欄には完全に私の筆跡で『佐藤茉菜』のサインが残ってる。
「マナ?!」
声を出してから、慌てて手を口に当てたがあとのまつり。私って思った事が直ぐ
口をついて出ちゃうんだよね。これで今まで幾度しくじった事か。
「どうした。佐藤。授業中に大声出しちゃ、そりゃ『マナー』違反だわな」
再び教室に笑い声が響き、私の顔の温度も急上昇。
駄洒落言ってる場合じゃないわよ。ほんとにもう。
茉菜。まな、マナ、茉菜。
茉菜は本当にいるんだ。
三日前にあったアノ出来事は、やっぱり夢じゃなかったんだ。