別れ道 #3
由美と岳くんが廊下を曲がり、姿が隠れるまで私はその背中を見送った。
私の胸には暗い二つの思いが絡み合って渦巻いている。
一つは、由美の涙を心配する気持。
もう一つは、由美が相談相手として、岳くんを選んだことに対する悔しさ。
由美はどうして、私ではなく岳くんを選んだんだろう。
由美を苦しめてる原因は私なの、だから私に相談できないの?
忌まわしい考えが頭に浮かぶ。胸の中の暗い渦は、痛みとなって私を突き刺す。
そんな私の心を知ってか知らずか、剛ちゃんは独り黙々と後片付けをしている。
お門違いなのは分かってるけど、なんだか剛ちゃんが憎らしくなってきた。
イーッ! 思いっきりの変顔を剛ちゃんにぶつける。
不意に剛ちゃんが顔を上げたので目があった。
不味い。慌てて素知らぬ風を装う。
剛ちゃんが、ヨッコラセと立ち上がり、仏頂面で私の隣にやってくる。
私がしかめっ面で立ち尽くしている間に、剛ちゃんは音楽室に鍵をかけて
「さぁ、帰ろうぜ」
と言って、さっさと歩き出す。
私は剛ちゃんの後に無言でついて行く。
エントランスホールについたところで、
「俺、職員室に鍵を届けてくるから、待っていてくれないか。帰りに話したい事が
ある」
と剛ちゃんが言った。
「話って何?」
「うーん。将来のこととか…」
「ひょっとして、進路希望の件?」
「それも…ある」
って、それは。
ナッチは進路決めた? → 同じ大学に行かね? → 告白 or キス
のパターンじゃない。だめ、ダメ、駄目。
「えーっと…。私。由美のことが心配で、そんな話をする気分じゃない…」
「由美ちゃんのことも…、関係がある」
何それ? どういうこと? と思案する間もなく、
「とにかく、ここで待っていてくれ」
と剛ちゃんが職員室の方に歩き出した。
どうしよう。私、本当に今は由美の事で頭が一杯。他の事など考えられないよ。
私は、剛ちゃんが廊下の角を曲がった頃合を見計らい。
「御免、剛ちゃん。わたし一人で考えたい事があるから、先に帰る」
と叫んで、 エントランスホールから外へ駆け出した。
お、おーい。と剛ちゃんの声がするけど、聞こえないフリをして走る。
玄関を出たら、直ぐ方向を変えて校舎の影に身を隠す。
剛ちゃんをやり過ごすためだ。
暫くして剛ちゃんが慌てた様子で玄関から飛び出してくる。
キョロキョロと辺りを見回してから自転車置き場に走る。
瞬く間に、自転車に乗った剛ちゃんが現れて風のように校門から去っていく。
ほんと、御免ね。剛ちゃん。でも、今は自分一人で考えたいの。
何を考えるかといえば、由美のことだ。
今朝、由美と一緒に学校に来る途中で、由美の屈託は私が原因なのでは、と推理
した。その時は、すぐにその推理を私自身で否定した。
だって、全く心当たりが無いんだもの。
でも、同じ疑念が頭の中に湧き上がっている。由美の悩みの対象は、私なのでは
ないかという疑念。それが何より証拠には、由美は、悩みの相談相手として私では
なく、岳くんを選んでる。
でも、やっぱり私には由美を苦しめるような言動をした覚えが全くないんだ。
答えの見つからない自問を、堂々巡りに繰り返しながら駅前通りを進む。
汗ばむ大気の蒸し暑さも、地面からの照り返しも、私の冷え切った心を溶かせは
しない。
考え事をしながら歩くうちに、城址公園の前まで来ていた。
ふと気が付くと、通りの先の人混みの中に剛ちゃんを見つけた。
こちらに向かって自転車を押しながら、キョロキョロ辺りの様子を伺っている。
私の事を探しているんだ、きっと。
私は咄嗟に通りから城址公園に逸れ、櫓門の柱の陰に身を潜める。
今は、剛ちゃんと話をする気分じゃない。
柱の陰に潜んだままで、剛ちゃんが通り過ぎるのを待つ。
あの様子だと、剛ちゃんは学校と私の家の間を往復して私を見つけるつもりだ。
しょうがない。公園を抜けて、裏の道を通って帰ろう。
そう、思って後ろを向いた時、思いがけない光景が飛び込んできた。
公園の一角にある木蔭に、由美と岳くんが向かい合わせに立っている。
由美と岳くん、こんな所で相談していたの?
でも、相談とは違う雰囲気。
私は不穏なものを感じて、近くの木の茂みに姿を隠す。
由美は両の拳を胸の前で合わせ、祈るように何事か岳くんに訴えている。
それに対し、岳くんが困り顔で首を横に振ると、由美は両の掌に顔を埋めた。
由美が泣いているのが、遠目からでも分かる。
そのとき、岳くんが由美を抱きしめ、二つのシルエットが一つに重なった。
氷の塊を飲み込んだように、息が詰まる。
思いもよらず、突きつけられた事実。
私は、今やっと理解した。由美と岳くんはつき合っているんだ。
恋人同士だったんだ。
由美! どうして、そんな大事な事を、私に教えてくれなかったの?
それとも、私が大事を打ち明けるに値しない人間だと思ったの?
私だけが蚊帳の外に置かれていた。
その事実が黒く悲しい寂しさとなって、私を締め付ける。
終業式の日、四人は友達のままでいようと約束をした。あれは嘘だったの。私に
嘘をついてまで、自分たちの関係を隠したかったの。
そんなに……、私を……信じられなかったの。
負のイメージの連鎖は、日食が地を覆うように、私の心を暗闇に変えていく。
この二日間、由美は何かに苦しめられていた。
私は、それを自分の苦しみと感じ心を痛めた。
由美の苦しみの原因が、自分なのではないか、と思い悩み、もがき苦しんだ。
私は、由美のことだけを考え、由美のために心を砕いていたのに…、由美は私の
事など眼中に無かった。由美の心は岳くんで埋め尽くされていたんだ。
頭の中が熱い。何も、考えられない。
私は隠れていた木の茂みから姿を現し、フラフラと由美達の方に向かって歩く。
岳くんと目が合う。由美が岳くんの反応に気が付いて顔を上げる。
一つに重なったシルエットが二つに離れる。
「…ナッチ。あの…違うの…、私は…」
由美が何か言いかけた。私を誤魔化すための偽りの言葉なんか聞きたくない。
「嘘つき」
自分でも思いも寄らぬ強い単語が口から飛び出した。
その言葉が、自分の気持ちを更に闇の深穴に突き落とす。
「嘘つき! 由美なんか…、由美なんか、もう友達じゃない!」
私は、ありったけの大声で非難の言葉を由美にぶつけ、その場から走り去った。