別れ道 #4
どこをどう走って来たのか覚えていない。
私はいま、オバケトンネルを抜け、茉菜世界のオバケ病院の中にいる。
こちらに来て直ぐ、茉菜に電話をかけた。もうすぐ茉菜が来てくれる。
茉菜なら私の全部を理解してくれている。
私の全てを受け入れてくれる。
茉菜は裏切ったりしない。ウソをついたりしない。
だって、もう一人の私だもの。
私の心の拠り所は、もはや茉菜だけになった。
間もなく、オバケ鏡を抜けて心配顔の茉菜が姿を現す。
その顔を見て気が緩んだのか、私の涙腺から再び熱い滴が溢れ始める。
茉菜が走りよって来て、私を抱きすくめる。その胸の中にもたれて思い切り涙を
流す。
茉菜は何も訊かずに、私の体を支え続けてくれる。
茉菜の温もりを肌で感じて私の心も温まる。涙も収まって来た。
私が落ち着くのを待っていたように、茉菜が優しく声をかけてくれる。
「どうしたの? いきなり『助けて、直ぐ来て』とか言われてビックリしたよ」
その問いかけに答えたいけれど、熱を帯びた頭では上手く纏めて話せはしない。
うん、うん。と意味のない返事をするのが精一杯。
それでも、この二日の出来事を、途切れ途切れに茉菜に語って聞かせる。
寂しさと、悲しさと、苦しさと。諸々の負の感情の綯い交ぜになった遣る瀬無い
思いを茉菜に向かって吐き出した。
「そうか、そうか。辛かったね。苦しかったね」
茉菜が私の髪を梳りながら、優しく囁く。
「私。なにが何だかわからないの。何が寂しいのか、何が悲しいのか分からない。
上手く言葉にできないの。でも、苦しくて、辛くて…」
「由美と岳くんが交際を始めたのに、その事を自分に教えてくれなかった。それが
仲間外れにされたようで寂しい。嘘をつかれたようで悲しい。そうなんでしょ」
その通りだと思う。 私は、静かにうなずく。
「それと……、間違ってたら御免ね…。由美を岳くんに取られたような気がして、
切ない。そうじゃない?」
違う! と否定したいところだけど。多分、その通りだ。
「どうして、わかるの」
「それは…」
と言ってから、茉菜は大きなため息をつく。
「やっぱり、私が当事者じゃないから、冷静に見られるんだと思う」
そう言って、茉菜は言葉を止める。
数瞬おいて、茉菜がいかにも心苦しいといった顔で、
「だから…、これから芽菜にとって、耳の痛いことを言うかもしれない」
と続けた。
私が疑問の表情を送ると、茉菜はそれに答えるように静かに話を続ける。
「ねえ、芽菜。落ち着いて聞いてね。あなたが今とても苦しいのは分かってるよ。
だけど、私も芽菜の由美と何度も接してるけれど、由美は表裏のある子じゃない。
岳くんとの事を黙ってたのも、何か事情があるんだと思う」
「事情? どんな事情があるっていうの。それに、どんな事情があったって、嘘を
ついて良い筈がない。どんな理由があっても、私は許せない」
茉菜の予期せぬ発言に、思わず声が大きくなってしまう。
「…由美は、あなたの大切な友達でしょ。信じてあげなきゃ」
「信じたいよ。でも、もう信じられない。何を言われても嘘に思えてしまう」
茉菜は困った風な表情で私を見つめる。
私はその芽菜に思いのたけをぶつける。
「こんな風に思う自分が嫌な人間だって、自分でも分かってる。だけど、何を考え
ても悪い方に考えが向かっちゃう」
茉菜は何も答えない。
きっと、私に全部吐き出させた方が良いと思っているのだろう。
「私は、由美のことを一番の友達だって思ってた。だけど、今の由美は私のことを
一番の友達とは思っていない。一番は岳くんで、私のことは却って邪魔だと思って
いるんだ」
自分の言葉で、自分の胸が締め付けられる。
「岳くんだって、私が居ないほうが良いと思ってるに決まってる。私が居なければ
ずっと由美と一緒に居られるもの。あの人たちにとって、私は邪魔者なんだ」
止まっていた涙が、再び溢れ出す。
自分はお邪魔虫だから。
剛ちゃんが再三に亘って、私に言っていた言葉の真意を、私は漸く理解した。
それと同時に、私の頭にふと、別な疑念が湧き上がる。
「そうか。剛ちゃん、由美たちが付き合い始めた事を、前から知っていたんだ」
私の怒りの矛先が、剛ちゃんに向かう。
どうして、その事を私に教えてくれなかったの。なんで、黙っていたの。
剛ちゃんに対して、暗い感情が渦巻き始める。
「きっと、剛ちゃんは由美と岳くんのことが、妬ましいんだ。それで、由美たちの
関係を、自分で認めたくないから、私に黙っていたんだ」
そういえば、他にも思い当たる事がある。
「分かった。最近、私に大事な話があるって何度も何度も言ってきたけど。由美と
岳くんが恋仲になったのが悔しいから、手近な私をカノジョに…」
「それは違う…」
今まで、私に喋らせるままでいた茉菜が、強い口調で口を挟んだ。
茉菜の射るような視線に、私は一瞬唖然とする。
茉菜は、大きく息を吐いて、表情を緩めると、私を諭すように、言葉を続ける。
「…剛ちゃんは、そんな事をする…人じゃない」
私も、怒りを剛ちゃんに飛び火させたことを、少し後悔。
けれど、その一方で納得のいかない部分もある。
「でも、剛ちゃんの最近の言動の理由が、他に思い当らない…」
「芽菜の剛ちゃんはね、あなたのことが好きだよ。6年前から…ずっと」
「えっ!? 何のこと? 6年前から? ずっと? 何それ。何を証拠に?」
茉菜の顔が何時になく険しくなる。
「人が誰かを好きになることに『証拠』という言葉は馴染まない。けど、証拠なら
ある」
茉菜は何のことを言っているのだろう。6年前の証拠? 一体何。
「6年前。剛ちゃんがアメリカに行った時のことを覚えてる? アメリカに渡って
暫くの間、頻繁に絵葉書を送ってくれてたわよね」
もちろん忘れたりはしない。
あの絵葉書のおかげで、私は剛ちゃんが居なくなった寂しさに、押し潰されずに
すんだ。その絵葉書は、今も机の中にしまってある。
「その絵葉書に、必ず一文が書き添えられてたのも覚えてる」
うなずく私。
「その文の最初の文字を続けて読むと、告白の文章になっているの」
えっ!? 思わず驚きの声がでる。
あの絵葉書なら、時々見返すことがある。でも、そんな秘密は気付かずにいた。
「全然分からなかった。茉菜は昔から知ってたの」
「ううん。私も知らなかった。剛ちゃんと付き合いはじめて、教えてもらったの」
そうか、そうだよね。普通気がつかないよ。
茉菜が話を続ける。
「当時、私もその告白に気付かず返事をせずにいた。そうしたら、剛ちゃん、私に
振られたと思ったのね。ナッパって綽名を付けたことが私の心の傷になり、自分を
拒んでいる。そう思ったんだって」
茉菜が遠い目になる。
「それでも、剛ちゃんは私のことを諦めきれなくて、6年間私のことを想い続けて
くれた。私、それを聞いて、凄く嬉しかった。剛ちゃんを好きになって、良かった
と思う」
茉菜が私の方を振り返る。
「でも、これは私の剛ちゃんの話。芽菜の剛ちゃんは……、自分で確かめて」
それは確かめてみたい気はする。でも、なんか話が違っていないか?
いつのまに、剛ちゃんの話にすり替わった? 私は由美との事で、苦しんでいる
のに。
茉菜が私の目を見ならが訴える。
「芽菜。由美のことも、剛ちゃんと同じだよ。見えてるこよだけが、真実とは限ら
ないの。あなたの見えない所、見えてるけれど気付かない所に、真実があるのかも
しれない。由美はあなたを騙すよう子じゃない。きっと、何か事情があったのよ」
由美の肩を持つ物言いに、私は自分が非難されたように感じてカチンと来た。
「事情? どんな事情があったって、私を仲間外れにして良い分けないでしょ」
「だから、それは理由を聞いて…」
「理由なんて関係ない! 私は、由美が私を除け者にした事が許せないの」
「芽菜。由美はあなたの大事な友達でしょ。信じてあげなきゃ」
茉菜が冷静に話せば話すだけ、私の苛立ちがつのっていく。
「茉菜、どうして分かってくれないの! あなたなら、私の気持ちを理解できる筈
なのに」
「わかるよ。でも、このままだと大切な友達を無くしちゃう」
「違う…。由美はもう…、友達なんかじゃない…」
自分で驚く程の怖い声が、喉をついて出た。その声が、私の心の最後の堰を打ち
崩す。
「茉菜もそうだ。誰も私のことを分かって。私は、もう…独りぼっちなんだ」
私は茉菜に背を向けて走り出す。
茉菜の叫びを遥か後方に残して、私は一度も振り返ることなく走り続けた。




