波紋 #3
また、会話のない行進が続く。
右手に城址公園が見えてきた。
お堀の水があるお蔭で、この辺りは涼やかな雰囲気になっている。水面にうつる
日光が心なしか優しげだ。
「ナッチ。ちょっと話したいことがあるんだけど、少し休んでいかないか」
剛ちゃんが、城址公園の方を指差しながら、私を引き留めた。
これって、まさか。
それまで、ゆっくり鼓動を刻んでいた心臓が、一気にアップテンポに変わる。
この会話、昨日、茉菜の剛ちゃんと交わしたのと同じ。この流れだと…。
「えーと、何の…話かな?」
「まぁ、落ち着いてゆっくり話そうぜ」
「ここで聞きたいんだけど」
「ここで? 往来の真ん中だぞ」
「だから、手短に」
「…進路希望の話だけど…」
やっぱりだ。このままだと、拙いパターン。
「え、えーと。その話は、また今度にしよう」
「いや。俺、あした進路面談でさ、その前にナッチに聞いときたい事があるんだ」
これは、いよいよキスコース間違いなし。この場を離れないと…。
「ごめん。私、急用思い出しちゃった。じゃ、これで…」
挨拶もそこそこに、その場から大急ぎで退散する私。
剛ちゃんが、何やら呼び止めていたけれど、聞こえない素振りで走って帰った。
次の日…。重い気分で目を覚ます。今日は、重力が二割増しになっていないか?
学校に行くのが辛い。でも、時計の針は否応なく、登校時間の到来を告げる。
いつもの待ち合わせ場所。 直ぐに剛ちゃんと岳くんと合流する。
昨日と全く同じように、由美ちゃんと岳くん、私と剛ちゃんの二組に分裂。
楽しそうにお喋りをするペアの後を、押し黙って歩くもう一組のペア。
剛ちゃんが、時おり心配そうに私の顔を覗き込む。その眼差しが却って重い。
もう、剛ちゃんの目を普通に見られない。普通に話せない。普通の自分でいられ
ない。剛ちゃんとの間から、普通の時間がいなくなった。
次の日も、前日のリプレイ動画を見るように同じシーンが繰り返される。
剛ちゃんと、友達として接する事ができない。
この苦しみを、だれかにを分かってほしい。でも、誰にも相談できない。
茉菜と話をしたら、少しは楽になれるかもしれない。
だけど、ここ何日間か、茉菜世界との時間のズレが不安定に変動している。
一昨日は十二時間。昨日は四時間、昨日は九時間。これでは、いつ何がおきるか
分からない。だから、世界を行き来するのは極力避ける約束になっている。
どうしよう。私はどうしたらよいのだろう。胸を押しつぶされるような苦しみの
中で、授業を受けた。
そして一学期最後の日を迎えた。今、私は由美と一緒に校舎の屋上にいる。
終業式の終わった後、由美から屋上に行こうと誘われたのだ。
連れ出された理由がわからず、私は神妙な面持ちで彼女の前に立っている。
「ナッチ。ナッチは私の恩人、私は今まで幾度も助けられてきた。だから、今度は
私の番。ナッチ、剛ちゃんと何かあったんでしょ?。今週は、ずっと様子がおかし
かったもの」
そうだ。誰よりも近しい由美の存在を忘れていた。
由美の顔を見て、ふと、高校に入学したばかりの頃を思い出す。
あの頃の由美は、お昼休みに、いつも独りでお弁当を食べていたっけ。
その様子は、見ていてあまりにも辛そうだった。だから私は、当時一緒にお昼を
食べてた女の子グループに、あの子も誘おうと提案してみた。
「イジメが原因で引っ越して来たらしいよ」
「雰囲気暗いし~」
「一人が好きなんでしょ。ほっとけば」
と、誰も取り合ってくれる様子がないので、私はそのグループを抜けて、由美に
声をかけたんだ。
それ以来、由美とは親友として付き合っている。
由美なら、私の気持ちを理解してくれるかもしれない。
「なんというか…。上手く説明できないけど」
次の言葉が出ない…。
由美は私の感情が吐き出されるのを辛抱強く待ってくれている。
なんとか、私の今の心情を伝えないと。
「私。剛ちゃんと、今の関係が…ずっと続いて欲しいの。でも、それが壊れそうに
思える事があって、それで…」
私の沈んだ声を聴いて、由美が溜め息を漏らす。
「ナッチでも、そんなふうに考える事があるんだね。でも、ナッチと剛ちゃんの間
なら心配することは無いよ。そりゃあ、長くお付き合いしていれば色んな事がある
かもだけど…」
長くお付き合いしていれば…。どうやら、由美は私と剛ちゃんの関係を誤解して
いる。
そうだ。由美には、ちゃんと私の剛ちゃんに対する思いを伝えておきたい。
「由美には、私と剛ちゃんとが付き合ってるように見えてるんだね。でも、それは
違うの」
由美が声にならない驚きの声を発する。由美の笑顔が引っ込んでしまう。
「剛ちゃんはね、私にとって友達以上、幼馴染以上の大切な人。何も言わなくても
分かり合える関係。でも恋人とか付き合ってるとかの関係じゃないの」
由美が強張った顔のままで頷く。
「剛ちゃんは、例えるならば私の故郷かな。私が最後に帰っていける心の拠り所、
そんな存在。私ね、剛ちゃんとは今のままの距離感のままで居たいんだ、ずっと」
私の故郷。
私、剛ちゃんのことをそんな風に思っているんだ。
由美と話をしているうちに、自分でも気づかなかった心の中が見えてきた。
「私、中学の時バスケ部だった。バスケが大好きで。でも、入れ込み過ぎて上級生
と喧嘩になって、部を辞めてしまった。私、気持ちが入り過ぎると、人とぶつかっ
ちゃうの」
なぜだろう。今まで話したことの無かった私の秘密を、由美に語っている。
「それと同じ。もし私と剛ちゃんとが恋人同士になったら、幼馴染みの気安さで、
いつか剛ちゃんと衝突する気がする。それが喧嘩に発展したら、破局に…発展した
としたら、もう、今の関係に戻れない。その事が…怖い」
私は、小学五年生の夏休みを思い出す。
剛ちゃんがアメリカへ旅立ってしまった時の胸の痛みが蘇る。
あの時、私は剛ちゃんからの手紙で救われた。
遠く離れていても、心が通じていると思えたから…。
でも、もし、私たちの心の繋がりが千切れたとしたら。私は悲しみの淵から這い
上がる事などできないだろう。胸の苦しみが癒されることはないだろう。
目頭が熱くなる。頬を涙が伝う。
私は、由美に初めて泪を見せた。
由美もそれがショックだったのか、固い表情のまま私を見つめている。
「だから、私は今のままが良い。今のままの剛ちゃんとの関係が、ずっと続いて
くれたら良い」
うん。と小さく声を出す由美。
「由美。由美も剛ちゃんと同じ。私にとって、大切な存在。岳くんもそう。四人は
私の心の故郷なの」
由美が頷く。
「私たち四人、これからもずっと友達でいよう。ずっと、ずっと、このままで…。
四人が大人になっても、知らない誰かと結婚しても、それでも私達はずっと友達。
そうであって欲しい。ね、約束だよ」
「えっ…。う、うん…。そうだね…」
由美が何かを決心したような表情で頷いてみせる。
由美に打ち明けたことで、楽になった気がする。
明日から、剛ちゃんとも普通に接することができるような気がする。
そうだ、いつも通りにしていればいい。
そうすれば、また同じ明日がやって来るはず。
これで、きっと元の私たちに戻れる。そう、思った。