エピローグ
冥府の城に着くと、ラファエルは玉座の間に通された。玉座にはタナトスが座り、エレシュキガルは脇に立っている。
「イシュタル、光希達の身体を復元するから準備を」
イシュタルと呼ばれたエレシュキガルは「はい、姉様」と答えて、慌ただしく準備に走った。
「あの子はわたしの妹で、イシュタル。わたしが本物のエレシュキガル。冥界の女神」
よく見れば、二人はそっくりな顔立ちだった。妹のイシュタルが冥界神の地位と仕事を羨んだので、姉のエレシュキガルは名前ごと立場を貸していたそうだ。
「姉様、準備ができました」
タナトスは立ち上がり、復活の儀式を執り行った。
「それぞれの名前を書いた紙人形を並べ、コキュートスの水を吹きつけ、命の灰をふりかける」
紙人形はみるみる大きくなり、ボンっと白煙を上げて肉体になった。
「意外に簡単なことなのですね」
作業中のタナトスに代わってイシュタルが答える。
「そうね、これをやっていい相手かどうか選ぶのも冥界神の仕事の一つなの。作業自体は難しくないわ」
三人の肉体が出来上がり、仰向けに横たえてタナトスが言う。
「キスしてあげて。キスしてる間に乗り移れば元に戻れる」
ラファエルがそれぞれの唇にキスすると、美希とサッちゃんが復活した。
「光希パパにもチューしますか? サッちゃんママ怒りませんか?」
「しょうがないから今回だけ許すわ」
ラファエルは神妙にうなずき、光希に口付けた。
「……あれ、まだですか?」
何度キスし直しても光希が動かない。
「まさか、魂がラファエルの心に溶けちゃったとか?」
美希が心配そうに言うが、サッちゃんは首を振った。サッちゃんは魔法術で鳩の幻影を作り出し、光希の身体に豆をまく。
「待ってくれ! それだけは勘弁して!」
光希は飛び起きて豆を払い、美希の後に隠れた。
「ラファエルちゃんとのキスがそんなに名残惜しかったのかしら?」
サッちゃんが「行け」と号令をかけると、鳩たちは光希に向かって飛び立った。
「やめっ……やめて~!」
――サッちゃんと光希の小競り合いが終わると、タナトスが空間を切り裂く。
「イシュタル、頼んだわよ」
地球の地上に戻ろうとする一行。イシュタルはタナトスの袖をつまんで泣きべそをかいた。
「お姉ちゃん、もう行っちゃうの……?」
「わたしは魔界を復興して、バフォメットといいことをする。あなたが言いだして受けた仕事なのだから、しっかりやり遂げなさい」
イシュタルはとうとう、うえ~んと泣きだしてしまい、タナトスの腰にすがりついて離れない。
「困った子。……そうだ、あなたにお土産がある」
タナトスは、まだ片付けていなかった肉体復活セットに向かう。ギルガメシュと書いた紙人形を肉体化し、自ら口付けて魂を吹き込んだ。
「こ、ここは……どこだ? あ、あんたはあのときの! こっち来るな、死神女!」
復活したギルガメシュとは、亮輔だった。美希のストーカーをしていた男子生徒である。
「洪水で死んでさまよっていたところをさらっておいた。イシュタルの大好物」
イシュタルは亮輔に抱きついて、テンションマックスになっていた。
「ギルガメシュ! またこうして会えるなんて、イシュタル嬉しくて嬉しくて変になっちゃいますわ~」
アルビノの美少女に抱きつかれ、まんざらでも無さそうな亮輔だった。
「ギルガメシュ、うちの変態妹を頼む。おまえの変態趣味を思う存分ぶつけても、その子は喜ぶはず。二人で永遠を楽しむといい」
「頑張ってね」
美希がウィンクして去ると亮輔は名残惜しそうにしたが、イシュタルに押し倒されて、すぐにどうでもよくなった。来る日も来る日も何万年も二人は飽きることなく、ラブラブな日々を過ごしたましたとさ。
エンリルの洪水がおさまってからというもの、労働力の多い地上はみるみるうちに復興していった。魔界は元々物質化で栄えた文化だから、復興もお手の物だった。天界と地獄の住人は復興を諦め、地上や魔界に移住した。
地上に生き残った人口と移民で平等に土地を分け、天界アマランサスの栽培が盛んに行われていた。天界アマランサスの栽培は難しくなく、大人も子どもも自分に割り当てられた土地を管理して、いつでも十分な量を確保できた。
魔界同様、働きたい者が働き、学びたい者はいつまでも学生や研究者でいられる社会になった。もちろん、自分のアマランサスさえ管理していれば、遊び人をやっていたってかまわない。中にはアマランサスの管理さえしない怠け者もいたが、彼等はオーラを使うこともないので問題無かった。生きるための最低条件として労働があった時代と比べ、人々は寛容になり、悪事を働く者も格段に減った。
美希とラファエルは中学三年生になっていた。とはいえ、受験戦争という概念もなくなり、学生達は青春時代を存分に謳歌した。
「ただいま~」
美希とラファエルは手をつないで学校から帰ってきた。正式な養子縁組をして、ラファエルも大沢家の娘になっていた。どちらが姉かという論争に決着がつくことはなかったが、有名な美人姉妹ということだけは間違いなかった。
「あれ、二人とも今日は畑に行くんじゃなかったの?」
リビングでくつろいでいる両親を見て、美希は首を傾げた。
「実はね、二人に妹ができたのよ」
姉妹はサッちゃんの手を取ってキャーキャー騒ぐ。
「……でも、その子はひょっとしてエンリルさんだったりしませんか?」
ラファエルの質問に、光希がうなずく。
「それは十分考えられる。でもまあ、女の子だしさ~、サッちゃんに似て美人で可愛くて優しい子に育つと思うよ」
生まれる前からの親バカっぷり。サッちゃんがクスッと笑う。
「どんな子であれ、愛情をかけて育てれば、きっといい子になるわ」
「ラマシュトゥとエヴァ、二人のグレートマザーがいる家なんだから、誰が生まれてきたって平気よ」
美希はサッちゃんの下腹部に手を当て、その手が白く光る。
「あ、チートです。ずるして祝福したらガブちゃんに叱られます」
「可愛い妹のためなら、ちょっとぐらい怒られてもいいもん」
美希はベーっと舌を出す。
「そうだ、ガブリエルさんから手紙がきてたわよ」
手渡されたのは美希とラファエルに宛てた手紙だった。ガブリエルとメタトロンは金星の開拓に従事していた。金星開拓は将来の人口増加に備えての政策である。
「え~! ガブちゃんもおめでただって!」
またしてもキャーキャー大騒ぎの姉妹。サッちゃんは目を真ん丸にして驚いている。
「父様の子どもっていうことは……わたしの異母兄弟?」
「え? 異母兄弟って……サッちゃんは知らないんですか?」
ラファエルは美希の顔を見る。美希は慌てて目をそらした。
「大事なこと、言い忘れてますね? ミカ」
「ごめん……忘れてたかも……」
ガブリエルやメタトロンに話が通じやすくするため、天界の神性を一時的に持たせたときのことだった。ガブリエルは長い間心の奥底に封印していた記憶を取り戻したのだ。それは、最愛の娘が迎えにくるのを待ちながら、寸前のところで原爆で亡くなったときのつらい記憶だった。
「ガブちゃんはサツキさんです。サッちゃんの本当のママですよ」
サッちゃんは「そんなわけないわ」と、笑いだす。
「母様はおしとやかな日本人女性だったのよ。ガブリエルさんみたいな金髪グラマーのキャリアウーマンとは正反対のタイプじゃないの」
美希はヒソヒソ話でもするように口の横に手を添えて言う。
「メッティはね、実はブロンドでおっぱいの大きい女の子が好きなの。ああ見えて結構ムッツリさんみたいよ」
サッちゃんは遠い目で過去を振り返る。
「やだ、ほんとだ。後妻のメイドさんがまさに金髪でグラマーさんだったわ。じゃあ、母様は父様の好みそうな身体を持って、でも、つらい記憶は封印したままで父様のそばにずっといたのね」
「メッティだけはそのことにずっと前から気付いていました。でも、ガブちゃんが思い出したくないなら思い出さなくていいと、ずっと我慢してました。……男です。大人しそうに見えて、凄い人です」
サッちゃんはプーッとほっぺを膨らます。
「でも、わたしにぐらい言ってくれてもよかったと思わない? ずっと母様はどこに行ったんだろうって心配してたんだから」
それでもサッちゃんは幸せそうに目を閉じ、「ま、いっか」とつぶやいた。
安定期に入ったらみんなで金星旅行に行こうと、光希は提案した。
「じゃあ、本屋さんで金星のガイドブック見てくる!」
「あ、パパアイス食べたい。ついでに買ってきて~」
「了解です! いってきまーす!」
澄み渡った青空の下、元気に駆けだして行く姉妹。怖いぐらいに何もかもが上手くいく日常。幸せな日々。それでも彼女達は恐れない。最高の家族に最高に愛されていると知っているから。愛を知る子ども達はいつだって無敵なのだ。
――了――