完璧なママ友
「はじめまして。美月です」
その一言で、空気が変わった気がした。
四月。新学期初日の保護者会。教室の後ろに集まった母親たちは、どこかぎこちない距離感で立ち話をしていた。
その中に、彼女はいた。
柔らかく巻いた髪に、清潔感のあるワンピース。派手じゃないのに、なぜか目を引く。そして何より、“ちゃんとしている”。
「真央さんですよね?さっき先生が呼んでましたよね」
名前を呼ばれて、少し驚いた。
「え、あ……はい」
「同じクラスで嬉しくて。うちの子、人見知りで」
にこっと笑うその顔は、どこまでも自然だった。
(感じ、いい人だな)
そう思ったのが、最初だった。
帰り道、一緒に歩いていたママが小声で言った。
「ねえ、さっきの人すごくない?」
「え?」
「ほら、美月さん。もう何人とも連絡先交換してたよ」
振り返ると、確かに彼女は人の輪の中心にいた。笑って、うなずいて、相手の話を丁寧に聞いている。
まるで、最初からそこにいたみたいに。
「すごいね……」
思わずそう言うと、
「でしょ?ああいう人って、すぐ中心になるんだよね」
どこか含みのある言い方だった。
家に帰ると、夫の健太がリビングにいた。
「どうだった?保護者会」
「うん、普通かな。でもね——すごく感じのいい人がいて」
「へえ、美人?」
「……まあ、うん」
軽く答えたつもりだったのに、
「いいじゃん、そういう人。仲良くなっとけよ」
なぜか少しだけ、引っかかった。
数日後。
「真央さん、おはようございます」
振り返ると、美月がいた。
「今日、お迎え一緒にどうですか?」
自然な誘い方だった。断る理由もなくて、私はうなずいた。
それから、距離は一気に縮まった。
連絡先を交換して、送り迎えで会えば話をして、気づけば毎日のようにやり取りしていた。
『今日のお弁当、すごいですね!』
『真央さんってほんと丁寧な暮らししてますよね』
そんな言葉が、少しだけくすぐったくて、でも嬉しかった。
(ちゃんと見てくれてる人がいるんだ)
そう思えたから。
「この前、美月さんと会ったよ」
ある日、健太が何気なく言った。
「え?」
「スーパーでさ。子どもと一緒にいた」
胸が、わずかにざわついた。
「……話したの?」
「ちょっとだけ。感じいい人だな」
その言葉に、なぜか違和感が残った。
(そっか、会ったんだ)
ただそれだけのことなのに。
違和感は、小さなところから始まった。
「真央さんの旦那さんって、帰り遅い日ありますよね?」
ある日の帰り道、美月が何気なく言った。
「え、まあ……仕事で」
「大変ですね。でも、ちゃんと奥さん大事にしてくれてそう」
そう言って笑う。
——なのに、どうして。
(なんでそんなこと知ってるの?)
聞こうとして、やめた。気にしすぎかもしれない。
その日の夜。
「今日、遅くなる」
健太からのLINE。珍しいことじゃないのに、指が止まった。
“遅い日ありますよね?”
さっきの言葉が、頭から離れない。
数日後。
「ねえ、聞いた?」
ママ友の一人が、声を潜めて言った。
「……何を?」
「真央さんのこと」
嫌な予感がした。
「なんか、旦那さんとうまくいってないって」
心臓が、ドクンと音を立てた。
「……え?」
「あと、最近帰り遅いとか、いろいろ」
そんな話、誰にもしていない。
「誰がそんなこと——」
言いかけて、止まった。
頭の中に、ひとりの顔が浮かぶ。
優しくて、感じがよくて、完璧な——
「美月さんが、ちょっと心配してたよ」
その一言で、すべてが繋がった気がした。
帰り道、足が妙に重かった。
(気のせい、だよね)
そう思おうとしても、考えが止まらない。
その夜、何気なく開いたスマホに見慣れない通知があった。
——「おすすめの知り合い」
そこに表示されたのは、夫と、美月の名前だった。
すでに「友達」になっている状態で。
画面を見つめたまま、動けなかった。
(……いつから?)
指先が、冷たくなる。
そのとき、スマホが震えた。
美月からのLINEだった。
『今日もお疲れさまでした』
『無理しないでくださいね』
——何を、知ってるの?
初めて思った。
あの人は優しいんじゃない。
“知りすぎている”
そして、そのときはまだ知らなかった。
この出会いが、私の人生を全部壊すことになるなんて。




