001:出会いは「ドラマ」よりもドラマチックらしい
きっと、僕には僕の信じた『才能』が無かったのだ。
鉛筆を握り込んだ指が、弱弱しく震える。そよ風に湧き立つ雑木林の騒めきは、まるで僕の惨めな有様を密かに嘲笑っているかのようだった。
『おまえは選ばれた側の人間に違いない』 数回の成功体験は、そうやって僕をそそのかし続けた。
ほんの数十キロメートル四方の世界で生きていた僕は、それがありふれたものだとはつゆ知らずに、言われるがままそれを盲信した。
凹凸を滑る線が不可知な機微によって揺らぐ。スケッチブックに無数の筆跡で留めた女性の微笑みは、たった一点の歪みから空中に溶けだしてしまった。
決して目には映らないそれを零すまいとして線を重ねても、純真無垢を失った紙に秩序のない黒鉛の引っ掻き傷が残るばかりだった。
「――ダメだ。こんな崩れた絵じゃ。こんな僕じゃ⋯⋯」
高校生にもなって、友人たちの前で声高に語った大きな夢。家族に言って入学させてもらった美術予備校。
その場では父も母も「頑張って」と快諾した風な物言いだったが、親という視座で現実を俯瞰すれば、それはきっと手放しで応援できるような提案ではなかったはずだ。
だから僕は『僕の可能性』を示し続けなければならない。存在するかも分からないそれを証明し続けなければならなかったのだ。
しかし、現実はどうだろうか。
全身全霊を懸けた作品でさえ、講評会では微塵も相手にされず、評価なんてもちろん指導やダメ出しの対象とすら見なされない。
入学時点では僕より拙かった生徒数名は、厳しい指導の一つ一つを貪欲に咀嚼し、僕の実力ラインなんて助走ついでに走り抜けて行ってしまった。僕にはそんな気概もなかったのだ。
「もう辞めにしよう。何回描いたってきっと変わらない」
気晴らしに訪れた裏山の川辺の空気も、僕の鈍い神経にはいかなる効能も示さなかった。
よろめきながら腰を上げると、長い間折りたたまれていた脚に軽く痺れを感じる。
低い草の生えた地面に散らばった道具たちを土埃ごと手提げに放り込んだ僕は、そのままの態勢で足早に帰り支度を始めた。
夕焼けは赤く、確かにそこに横たわっている。しかし今の僕には、それが透明なレンズ越しに見上げたかのように、もっと遠くの別の世界にあるみたいに感じられた。
「僕って、何なんだろう。結局何ができるんだろう」
手提げの紐が指の隙間から零れ落ちる。コトンと微かな音が響いたのちに、西風がごうごうと雑木林に吹き付けた。
「――その奇妙な装い⋯⋯ 貴様、さては我が敵国フマヌの魔法士だな?」
風の音が減衰し凪ぎきった頃、左手側の木々の奥から女性の声のようなものが聞こえた。
つい先程までは捉えることもできなかった人の気配をまじまじと感じる。
数秒遅れてから、ブーツのような硬い靴底が低い藪を踏みしめるような音が、一つ二つと僕の耳を突いた。
「この魔王軍に奇襲を仕掛けたところまでは褒め称えよう。だが、肝心の戦闘がなおざりになっているぞ。君たちはこの戦闘において二つ、判断を誤った」
鬼気迫るセリフに思わず注目を惹かれ、僕は枝垂れた首を声の上流の側へと振った。
――ドラマか何かの撮影だろうか。
この地域は都心というよりはずっと郊外に位置しているものの、頻繁にドラマや映画の撮影が行われるほど、広大で閑散とした自然に溢れている訳でもない。もし撮影の申請があったのだとすれば、それは極めて珍しいことのように思う。
馴染の風景に撮影という新参者が入り込むことを煩わしく思う気持ちと、なんだか全てどうでもいいような気持ちが、同時に挙手をした。
「土産話として⋯⋯ いや、冥途の土産として⋯⋯ が正しいか? ――魔王軍からのアドバイスとして、この私が代表しこれから死せる貴様に教えてしんぜよう!」
顔を上げてまず視界に収まったのは、軽めの甲冑を纏った黒髪の女性が、鈍く光る西洋剣を携えてこちらへゆっくりと歩みを進めている場面だった。金属の面積が少なく、戦闘シーンでもキャラクターの識別に長けている、西洋風ファンタジーアニメ作品などで馴染の深い雰囲気の鎧だ。
周囲を一瞥し、少なくとも自分が大きく映り込んでしまうような位置にカメラがないとこを確認してから、僕は茂みに腰を屈めて消極的な野次馬をすることにした。
「一つ。この程度の幻術魔法で私を欺けると見積もったこと」
女優が見得をきるように剣を大きく回転させると、肩から胸を覆う甲冑がはらはらと声を上げて波打った。
――それにしてもリアルな衣装だ。
甲冑には繊細な汚し加工が施されているようで、散見される傷や割れもまるで実際に戦闘を通過したかのような現実味を帯びていた。美術スタッフの狂気的な拘りと解釈せずにはいられない。
「――二つ」
セリフが耳を刺したと同時に、僕の視界から女優の姿が一瞬にして消えた。彼女の両足を取り囲んでいた草木の葉が、渦を巻くようにしてその衝撃に靡く。
「――不意の一撃で、この私を殺し損ねたことだ」
女は剣の刃を僕の喉元に突きつけた。風に沸いた枝葉の喧騒はまだ微塵も覚めていない。震える下顎に金属の乾いた冷やかさが不規則なリズムで伝わる。
僕と女との間には、目視で数十メートルほどの隔たりがあったなずだ。それを一秒にも満たない速度で⋯⋯
決して映画やドラマの撮影の類ではないことなど、ちょっとの思考も必要とせずとも、
肌に備わる感覚器官の全てからすでに理解していた。
しかし、それだけが理解できても、この唐突に励起した異質と、数ミリメートル前まで差し迫った生命線の理由の何一つも紐解けなかった。
きっと情けない声が零れている。僅かな望みに掛けて逃走の計画を企てても、手足がバタついて全く言うことを聞かない。僕を構成する全ての部位が各々の方針で自分だけはと生存を企んでいるようで、全身の連携だけでなく思考も絶海に飲まれていく。
「さらばだ。愚かなフマヌの刺客――」
まるで街路樹を眺めるかのような無機質な目つきを微塵たりとも変容させず、女は弧を描いて剣を振り上げた。
生々しい風切り音が鼓膜を射貫く。
僕の首筋を目掛けて、冷酷にもその刃は振り下ろされた。僕は縫いつけられたように動かなくなった瞳を、反射的に閉ざした。
――痛みを、感じない?
第一話のご読了ありがとうございます。ストックの続く限りは定期的に投稿していくつもりですので、温かく見守っていただけると嬉しいです。
作品の分類されるカテゴリーについて非常に悩んでいます。




