第三話
リオンは窓の低いところを担当した。
足台に乗って真剣な顔で布を動かす姿は可愛かったが、力の入れ方が壊滅的で、最初のうちは逆に汚くなった。
「駄目です。円を描くように。ほら、こう」
「むずかしい」
「最初は誰でも難しい。でも続けたらできるようになります」
リアは床の拭き方を習った。最初は雑巾を水浸しにして廊下を水浸しにした。
「えー、なんで絞るの面倒」
「絞らないと逆に汚くなります。それに、床が濡れすぎると誰かが転びます」
「それは嫌だ」
渋々絞るようになった。
二人の成長はゆっくりだったが、エルシアは急かさなかった。
幸子は知っていた。上手になるのを褒めるより、やろうとしていることを認める方が、人は伸びる。
三ヶ月も経つころには、双子は小さいながら本当に戦力になっていた。
他の清掃員たちも最初は困惑していたが、すぐに懐かれてしまった。
王宮の清掃部門は、知らぬ間に王族付きのほんわかした職場になっていた。
問題は、上の人間にそれが知られたときだった。
その日、エルシアが謁見に呼ばれた。
清掃員が謁見に呼ばれることは、普通ない。
エルシアは自分が何かやらかしたのかと思ったが、心当たりは「王子が窓拭きで転落しかけたのを支えた件」くらいだ。
あれは自分のせいではないと思うが。
玉座の間に入ると、そこには国王が一人、書類を片手に立っていた。
グレード・ロゼリウス国王。
三十四歳。亡き王妃を深く愛し、その死後は執務に沈んで人々を遠ざけていると噂の人物。
実物は、たしかに目の奥に疲労と悲しみの影があったが、それを差し引いても随分と整った顔立ちをしていた。
幸子の目が「いい素材だけど手入れが足りない」と瞬時に判断した。クマが酷い。
「エルシア・フォン・ヴラディ、現王宮清掃員か」
「はい、陛下」
「リオンとリアが毎日お前のことを話す。飯を食いながら、風呂に入りながら、寝る前の読み聞かせの途中でも。正直、父親として複雑な心境だ」
エルシアは「申し訳ありません」と言おうとしたが、国王が手を上げて遮った。
「謝らせたいわけではない。……あの子たちが笑うようになった」
国王の声が、一瞬だけ揺れた。
「妻が死んで以来、リアはずっと泣いていた。リオンは逆に全然泣かなくなった。どちらも心配だった。だが今は二人とも、顔色がいい。食欲も戻った。夜もよく眠れているらしい」
エルシアは黙って聞いていた。
「お前は何をしたんだ」
「一緒にいました。それだけです」
「それだけ、か」
「あとは、お掃除を教えました。汚れを落として綺麗になると、気持ちが少し楽になることがありますから」
国王はじっとエルシアを見た。
幸子の目には、その視線が『値踏み』ではなく『測ろうとしている』ものだとわかった。
騙そうとしているのではなく、本当に理解しようとしている目だ。
「お前、貴族の娘だな」
「元令嬢です。今は清掃員です」
「なぜ清掃員に」
「事情があって実家を出まして。でも掃除は好きなので。職に困りませんでした」
「……強い人間だな」
エルシアは首を傾げた。強いつもりはなかった。ただ幸子として生きた五十八年が、そうさせたのだ。
「お前に頼みたいことがある」
「はい」
「双子の、世話役をやってほしい。無論、清掃の仕事との兼務でも構わない。給料は増やす。あの子たちがお前を必要としているのが、父親の俺にもわかる」
エルシアは少し考えた。
断る理由はなかった。双子のことは、本当に好きだった。
幸子として持てなかった子供の代わり、というわけでもないが、あの小さい二人のそばにいることは、エルシアの心を満たした。
「わかりました。お受けします」
「助かる。それと」
国王が珍しく、少し困ったような顔をした。
「私の部屋も、掃除してくれないか。今の担当者が、正直いまいちでな」
エルシアが国王の執務室を見に行くと、『いまいち』どころではなかった。
書類の山、重なった食器、厚く積もった棚の埃。
悲しみに沈んだ男の部屋というのは、かくも荒廃するものか、と幸子的な目が分析した。
「一日いただけますか」
「好きにしてくれ」
エルシアは袖をまくった。
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