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第二十錠 増薬の代償

 愛の存在を知っても、石井は態度を変えることはなかった。

「アオイに前世の記憶があったとしても、私にとってアオイはアオイだから。心の中の愛さんも、アオイの一部だから。私の好きな気持ちは変わらない」と思いを伝えてくれて、以降ずっと寄り添ってくれている。彼女のまっすぐな思いに愛は…葵は救われていた。

 あの日、初めて男女の交わりを経験した日から、二人は時折体を重ねるようになった。

 会う度毎回ではないものの、両親が不在となる日やクリスマス、バレンタインといった特別な日には人目を偲んで行為に及んだ。

 石井は生理が始まっているためできる日とできない日はあるが、生理前は求められることがある。その度に、石井を傷つけまいと、愛の思いを隠して葵は応じていた。彼女の気持ちに応えたい、と。

 あの日、初めてした時の最後に精液は出なかった。避妊用具はなかったため「あそこの感覚が変」と感じて引き抜いた直後、脈動しながら透明な液がわずかに出ただけで、白濁したものは出てこなかった。そして、気持ちいいという感覚もほぼなく、ビクン、ビクンと脈動する状況から絶頂を迎えたことを悟った。睾丸の奥、精巣があると思われる場所に鈍い痛みを覚えながら。年頃の男の子なら自らの手で精通を迎えてその気持ちよさの虜になっていることが多いと思われるが、葵の場合は見たくも触りたくもない性器。刺激により逝くことは初めてだった。

 九歳の頃から男性ホルモンを抑える薬を服用していたため、葵の体では生殖器が未発達の状態だった。睾丸は服用前からより小さくなり、精子が作られることはなかった。そのため、白濁せず分泌液のみがわずかに流れ出る程度だった。ペニスの方もあまり成長せず、立って用を足すときには苦労する大きさだった。それでも、石井と交際を始めてキスを重ねることで体は反応し、勃起を繰り返すうちに自然と剥けるようになっていた。はじめは下着に擦れるだけでも腰がひけてしまうほど敏感だったが、次第にそれも落ち着いた。後で調べてわかったが正常なことと知り、触れたくはないがお風呂で洗うくらいのことはしていた。それが功を奏したのか、石井と交わっても刺激に過敏に反応することもなく、行為を続けることができていた。

 初体験の後、葵としての気持ちを受け入れた石井はとても満足そうだった。いつもよりスキンシップが多く、行為を終えてもべったりだった。

 時折「好きだよ」と囁きながら、したくもない行為に及ぶことは愛にとっては苦痛でしかなかった。それでも石井のことが好きな気持ちに嘘はなく、大切な存在に変わりはない。だが、何度行為を重ねても気持ち良くはなれず、心に抵抗感を抱いていた。そしてキスだけで反応してしまうこの体も雄であることを自覚させられるため嫌いだった。それでもこの想いが石井に伝わることがないよう、ひた隠しにして愛を囁いていた。石井のことを好きな思いと行為が結び付かず、モヤモヤとした矛盾を抱えながら。


 季節は巡り、石井とは二度目の夏を迎えた。この年も例の神社で花火を眺め、愛を誓い合った。そのまま季節は秋から冬へと巡っていた。

 年が明けて。葵と石井は近所の神社へと初詣に来ていた。今年は受験の年。すでにお互いの志望校に願書は出してある。神頼み、ではないがお詣りの後にお揃いで御守りを買い、絵馬に合格祈願をした。葵は「由香と志望校合格」、由香は「アオイと志望校合格!」と。

 試験当日、葵は石井と揃って県北を目指す。行き先は鳥山高校。葵が目指すのは全寮制で国立大学を目指す特進クラス。石井も努力はしたものの、そこへの合格は厳しそうということで、寮のない普通クラスを受験した。普通とはいえ、偏差値は決して低くはなく、少し高めの県立高校と同等かそれ以上だった。倍率もそれなりにあり、石井の学力では合格ギリギリのラインだ。

 大本命の受験を終え、手応えを感じた葵にとっては他の私立や近隣の県立高校はあまり重要視していなかった。由香と同じ近隣の県立高校に行くのも悪くはないと思うものの、両親との関係が改善できない以上、選択肢としては選べなかった。

 受験結果が出る前に、葵にはやりたいことがあった。ホルモン剤の増薬である。

 軽視しているわけではないが、大本命で手応えを感じた以上、それより下の偏差値の高校ではある程度調子が出なくても何とかなると踏んでいた。そのため、これまで服用していなかった女性ホルモン剤を飲み始めた。

 高校に入ってからと決めていたが、前倒ししたのには理由がある。

 一つ目は早く女性化したいという点に尽きる。石井にも話したが、女性ホルモンをどんなに入れても本物の女性にはなれないことは自覚している。それでも、この体を女性に近づけたいという思いに変わりはなかった。

 二つ目は環境の変化に対応するためだった。合格すれば四月から寮での生活が始まる。そこから女性ホルモン剤の服用を始めていては、心身にどのような影響が及ぶかわからないまま新たな環境での生活を始めることになる。心身に不調を抱えていては授業についていくことさえ困難となりかねない。それが予見されているからこそ、慣れた環境にいるうちに体を慣らしておこうと思った。そしてこの選択は当たりだったと後々思うことになる。


 女性ホルモンには卵胞ホルモンと黄体ホルモンの二種類がある。これまで葵が服用してきたのは黄体ホルモンの薬で、平たくいうと男性化を抑える効果がある。今回追加したのは卵胞ホルモンで、こちらも噛み砕いて言えば、服用により心身共に女性らしくなっていく。卵胞ホルモンにもいくつか種類があるが、その中でも強力なエチニルエストラジオール(EE)を選んだ。比較的時間のあるこの時期に一気に女性化し、ある程度進んだら弱いホルモン剤に切り替えて負担軽減と維持を図る計画だ。強力である分、肝臓への負担が大きい事や血栓症になりやすいと先人たちのブログや医療関係のサイトで評されている。長期間飲むわけではないから、と判断しての選択だった。

 今回のホルモン剤はE Eの卵胞ホルモンと黄体ホルモンが配合された、いわゆる低容量ピルを選んだ。海外産ではあるものの、生理不順や避妊目的でも使用されているものなので比較的安価に入手しやすく飲みやすい上、卵胞、黄体を一錠で取れるのも魅力だった。

 女性ホルモンは血中濃度を維持することが大切、とネット記事では記されていることがある。飲んでから何時間後に成分が血液中に入るのか。また、効果が半分になる、いわゆる半減期は何時間後なのか。その辺りも調べて適切な服用時間を弾き出す。ホルモンの濃度を安定させればそれだけホルモン値の乱れによる副作用を減らせるだけでなく、女性化の効果を安定的に得られる。色々と試算したものの、コスト上の問題と効果が未知数であることからまずは朝に一錠飲むことにした。小中学生でも女の子はピルを処方されることはある。臨床データも女の子のものはあるだろうが、自己投薬で黄体ホルモンを摂取してきた中学生男子にピルを投与したデータなどないだろうからあてにはできない。ましてや、ネットに書かれているのは成人のコメントが多く、子供には参考にならない。今回も飲みながら適所を探り当てることになる。

 葵が服用した記録をまとめると次のようになる。

 服用一日目。朝食前に自室で飲み、何事も変わりなく過ごす。昼前、何故だか鼓動が激しくなり、ソワソワして落ち着かない気持ちになる。この感覚は夕方まで続き、夜にかけてやがて落ち着いていった。

 服用二〜三日目くらいまではほぼ同じ様相が続いた。胸がドキドキして集中できない、動悸のような症状が続いた。当初は原因がわからずにいたが、ほぼ同じ時間帯に同様の症状が起こることから、ホルモン服用の副作用だと薄々気づき始めていた。

 四日目の朝、それは突然訪れた。いつもの感覚で洗顔した時、顔が柔らかくモチモチになっていた。この十六年間、忘れていた愛の頃の肌の感覚に似ていた。泡に包まれた手が頬の柔肌を撫でる度に、冷水で泡を流す度に、その差は感じられた。

「あれ、この肌…」

 あの頃の感覚を思い出し、体が女の子に近づいている事実に一人喜びを感じずにはいられなかった。女性ホルモンの摂取により、肌のきめ細やかさが増していた。

 次に感じられたのは髪質の変化だ。朝の洗顔後、何気なく手櫛をしていた所指通りがいつもより滑らかなことに気づく。長さはあるが少し固かった髪質がしなやかで柔らかくなり、指が通る度サラサラとしていた。これも、女の子らしさを感じる変化として愛の心を喜ばせた。

 十日ほど経つと、今度は胸に鈍痛が走り始める。何もしていないのに、筋肉痛とは違う胸の奥に感じるズンとした重い痛み。ズキズキ、チクチクと痛むほど、愛の頃の感覚を思い出していた。胸が育つ前兆だ、と。愛も子供から大人の女性に育つ過程で胸の痛みを経験していた。グラビアアイドルのように大きくはないものの、それなりの大きさだったので、今回もそうなって欲しいと願っていた。そしてあの頃の体験の焼き直しが始まる。まずは胸の先端がピンと立ち、下着に触れるだけで痛い程敏感になる。生まれながらの女の子はこの頃には保護のためにもブラジャーを身につけるのだろうが、葵の姿では叶わない。これには耐えるしかなかった。その後は時間をかけて胸が柔らかく育っていく。左右で育ちのバランスの悪さもあるものの、ゆっくりと丸みを帯びた形が形成されていく。ある程度育つ頃には胸の痛みも治まってきていた。女性ホルモンの摂取に伴い成長した乳腺が成長限界に達したためと判断した。

 他にも、日が経つにつれて体重が減少し、減り幅は最大で三kgになった。体に蓄えられていた筋肉が徐々に失われ、脂肪へと置き換わる。腹部、臀部、胸、腕、顔…急激な変化はないものの、今後数ヶ月、数年もの時間をかけて女性らしさを作り出していく。また、元々色白だった肌の色がより白くなったように感じられた。特に腕の内側や脚など、あまり日の当たらない箇所は顕著だった。女性ホルモンの摂取により皮膚が薄くなり、白く透き通るようになっていた。その分日差しには弱く、冬でさえ日焼け止めを塗らないとジリジリとした痛みを感じる。

 こうした体の変化までは良かった。過去に愛の経験があったから、気を使う部分は増えたが不安を感じることなく過ごすことができていた。むしろ、これと併せて訪れていた生理がないだけ楽かも、と内心思わなくもなかった。

 だが、本当に辛いのはここからだった。内面の変化である。

 服用を始めてすぐに動悸や焦燥感のような症状は現れた。急激な女性ホルモンの増加に伴うホルモンバランスの崩れによる影響で、日中眠気が出たりイライラしやすくなって怒りっぽくなっていた。授業中や塾、自室で机に向かっている時もウトウトしてしまい、休み時間ごとに冷水で顔を洗うなど眠らないよう気をつけていた。ホルモンバランスの乱れによる更年期障害のような症状に加えて情緒面での不安定さは続く。顕著だったのが、悲しい出来事があれば自分のことじゃなくても胸が痛くなる上、涙もろくなってすぐに泣いていた。ドラマを見れば感情移入してボロ泣きしてしまい、隣で見ていた母からは「どうしたの、何泣いてんの?」と言われてしまうほどだった。ニュースの悲しい事件やドラマの中といった、他人事でも心に響きやすくなってしまった。これまでは…愛の頃ですらそんなことは一度もなかったというのに。

 反面、悪い波にも当てられやすく感情が乱れる事が増え、その影響を受ける範囲も広くなった。

 TVやネット、これまではなんとも思わなかった記事一つで感情が乱れてしまう。それらと付き合っていくのにも気をつかうようになった。

 こういった変化に、石井は敏感だった。薬を追加して間もなく。感情面で波ができてきたこと、髪質が変わってきたこと、肌が白くなってきたこと…外見だけでなく、内面での変化に違和感を覚えてのことだった。今更隠すことでもないため、薬を増やしたことを葵は正直に伝えた時のことだった。

「そっか…。ついに始めたんだね。おめでとう、でいいのかな」

 自身の好きなアオイが変わってしまう。ついにこの日が来たと、見せないようにしていた寂しさが葵にも伝わっていた。

「アオイが変わっちゃうのはちょっと寂しい気もするけど、ずっと憧れだったもんね。女の子の体になるのが。だから、私は応援してるよ。辛かったら、無理しないで言ってね?」

「ありがとう。なんか、ごめん。胸も痛いからたぶん、そのうち出てくると思う。でも、下はついたままだから気持ち悪い体になると思う…」

「それは仕方ないよ。手術はハタチ過ぎてからなんでしょ?それまでは辛いだろうけど…理想の体に近づいてると思えばいいんじゃない?」

「そうだね。ありがとう」

「私より胸、大きくならないでよね?」

「なんでさ、別にいいじゃん。柔らかくて揉み応えあるかもよ?」

「あ、えっちしてるときそんなこと考えてるんだ。やっぱりアオイはえっちぃなぁ」

「な、違…」

 この、他愛のない話ができるのもあと僅か。実際に体が変われば、今の薬を長く取り続ければ今度こそ交わることはできないかもしれないと葵は思う。石井の心を、体を満たしてあげられなくなるかもしれない。その点は気がかりだった。

 それでも、薬を止めようとは思わなかった。副作用で苦しむことはあったとしても、男の体を少しでも女性らしくしたい。少しでも、理想の姿に近づきたい。ただ、その一心だった。

 心の中で一人、葵は思う。

 いつも、由香にばっかり負担かけて、我慢させてばっかりでごめん、と。

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