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第九錠 解氷

 石井由香が転校してきた日の昼休みと放課後、葵は石井に校内を案内することになった。

 若干、担任の押し付け感もあるが、五時間目が音楽で移動教室となるついでと、葵は部活動をしていないため放課後も時間はあったので引き受けることにした。

 授業の合間の休み時間には、石井の席には人だかりができて賑やかそうだった。

 その賑やかな空気感に葵は耐えきれず、授業が終わる度に席を離れていた。休み時間終了間際でも談笑は続いていた。

 給食を終えた昼休み、葵は石井に声をかける。

「それじゃ、まずは新校舎から行こうか。旧校舎もあるけど、五時間目の音楽室はこっちにあるから、向こうは放課後にね」

「うん、よろしくね」

 背後で女子達がぶーぶー言ってる気配を感じながら二人で連れ立って歩く。

 時間もそれほどないため、まずは新校舎から。新校舎には2〜3年の教室と職員室、視聴覚室、音楽室などがある。次は音楽室での授業のため、そこには最後に行けばいい。

(さて…何を話そうか)

 普段一人でいることが多いため、こういった時に話題をどう振っていいかわからなくなる。目的の部屋…職員室や各学年の教室が近くなったらそれに関する内容を話すが、その後の沈黙が気まずい。あれこれ思案していると、彼女の方から声をかけてきた。

「なんか、アオイくんの説明ってわかりやすいよね。端的で」

「そう?ってかマモルだけどね」

「あ、ごめん私ったらまた…」

「いや、いいよ別に。よく間違えられるし。この字見たら誰だって最初にアオイって思うからさ」

「うん、私もこの字ではよく見てたけど、マモルって読むのは知らなくて」

「そうだよね、俺も自分の名前なのに最初知らなかったし。この字、あんまり見る機会ないと思うけど…よく見るんだ」

 そう何気なく言った所で会話が止まる。チラリと見やると石井の表情が曇っていた。少し間を開いて石井が口を開く。

「お姉ちゃんが、(アオイ)って名前なの」

「お姉さんがいるんだ。同じ字とは偶然だね」

「うん…今はもう、いないんだけどね」

「あ…そうなんだ…ごめん」

 先ほど曇った表情はこれか、と察しがつく。大学進学や就職で家を出た、という感じではない。転校初日からバツが悪いことを聞いてしまった。

「お姉ちゃん亡くなってから少し経つけど、久しぶりにこの字の名前の人見てさ、ちょっと嬉しくなっちゃって。男の子だし、マモルって読むけど、マモルくんなんか落ち着いてるし、ちょっと他の子と違うかなって」

「落ち着いてるとはよく言われるけど…。アオイって呼んでもいいよ」

「え?」

「別に気にしてないし、初見では大抵アオイって呼ばれるし。俺もいまだにこの字見るとアオイってしか読めないから」

「いいの?親にもらった名前なのに、なんか悪い気がする」

「あだ名ってことでいいよ。特にこだわりはないから」

 マモルという名前に興味はない。むしろこの字ならアオイと呼んでほしい。女の子っぽい上に元々の名前、愛にも響きが似ている。

「そっか、じゃあアオイくんで」

「アオイでいいよ、嫌じゃなければ」

 せっかくアオイと呼んでくれるなら、君付けでない方がいい。その方が、男らしさを感じなくて済む。

「わかった。じゃあ…アオイ!」

「何?」

「いや、呼んでみただけ」

「なんだよそれ。あ、でここが音楽室。音楽の授業は毎回ここでやるから」

 葵の顔にも作り笑いではない、笑みが溢れる。その他にも色々話しながら目的の音楽室にたどり着いたが、予定より少し早いため、教室にはまだ誰もいなかった。

「放課後は吹奏楽部が練習してるから興味があったら見てみたら?」

「ううん、部活動はあんまり考えてないからいいかな。放課後は旧校舎を案内してくれるんだよね?」

「うん、その予定だよ。それじゃ、また放課後にね」

「うん、それじゃあ、また」

 そこで会話を一旦切り、用を足しにトイレへと足を運ぶ。戻ってきた時には石井の周りには女子生徒が数人おり、時間ギリギリに席へと着く。

(久しぶりに、人とまともに話した気がする)

 先程までの会話を思い返していた。自分よりはるかに幼い中学二年生の女の子との会話。自分を避けずに普通に接して会話したことに少し高揚感を覚えていた。姉の名前が自分と同じということで親近感もあるのかもしれない。

 この地域を知らないから、東京から来たから先入観もないのだろう。

 若いのに姉を亡くして、色々と思うこともあったから同学年の子とは違う感覚を覚えたのだろうか。この昼休みの出来事に思いを巡らせつつ、放課後を迎えようとしていた。


 放課後、石井の周りにいる女の子たちは部活があるからまた明日ね〜と足早に去っていった。

 教室にはまだ数人の生徒が残っているが、石井に話しかける子はいないようだ。

「それじゃ、旧校舎行ってみようか」

「うん、よろしくね。アオイ」

 渡り廊下を抜けて旧校舎へ足を運ぶ。こちらには理科室や家庭科室、図書室に加えて一年の教室がある。体育館に行くのも新校舎からは渡り廊下を抜けて旧校舎を通っていく必要がある。

「石井さんはクラスに馴染むの早いね」

「そうかな、普通だと思うけど。あ、私も苗字じゃなくて由香でいいよ。みんなもそう呼んでるし」

「了解、じゃあこれからは由香で」

「うん。その方がいい。アオイはなんで休み時間教室にいないの?授業終わるとすぐどっか行っちゃうし」

「別に…トイレ行ったりしてるだけだよ」

「そうなんだ。若いのに大変だね」

「いや、毎回トイレなわけないじゃん」

「え、そうなの?会話の流れだとそういうことかと思った」

(この子、天然…?)

 こんな会話をしながら旧校舎を案内していく。目の前で女の子が集まって談笑してる空気に耐えられない、とは言えない。そこに自身が加わることにも抵抗を感じていた。

 旧校舎案内の途中で図書室を訪れると、すでに何人かの生徒が勉強をしている。高校受験を控えた三年生だろう。

「図書室はここね。本は結構充実してるし、放課後は学校閉まるまで勉強してる人もいるみたいだよ」

「そうなんだ。意外と広いし本の数、多いね」

「まあね、本読みたいなら駅前の図書館の方がたくさんあるけど」

「あ、あの新そうなキレイな施設?私、行ってみたいって思ってたけどまだ行けてないんだよね」

「あそこは去年完成したばかりで綺麗だし、学習スペースもあるから過ごしやすいよ」

「アオイもよく行くの?」

「学校終わったら図書館にいることが多いかな。勉強したり、新しい雑誌が出たら読んだりするし」

「雑誌?どんなの読むの?」

「Cuteはよく読むし、あとはSugarあたりかな」

「え、Cuteって女の子のだよね?Sugarも」

 しまった、と思った時にはもう遅い。久々に女の子と会話していて、昔の自分の感覚になってしまっていた。普段なら設定通り、少年漫画雑誌の名前を答えていたのに。冷や汗をかくと共に、胸の鼓動が早くなる。

「アオイって…なんか男の子っぽくないもんね。髪も綺麗で長いし。声変わりもまだだよね。なんか、顔も幼いし」

「そ、そうかな…」

 由香は向き直り、葵のことをじっと見つめる。その後、頭のてっぺんから爪先まで一通り眺めてみる。目の前にいるのが、本当に男の子なのかと疑うかのように。その仕草に、鼓動はさらに早まる。

 葵の髪が長いというのは事実で、伸ばしていた。とはいっても、女の子のようなロングではなく、トップの髪を長く伸ばしてサイドや襟足の方は短く処理する。これにより、全体のシルエットは短いものの髪単体で見れば長くなっている。

 彼女の指摘する通り、声変わりはまだ…というよりも訪れていない。男性化を抑えるホルモン剤を早くから摂取していたため、発現していない。そのため声だけでなく、体も他の同級生の男の子と比べると小さい上に顔立ちも小学生のように幼い。見方によっては女の子に見えなくもなかった。

 今までそんなことを言われたことはないが、初対面の彼女がそう思うということは、みんながそう思っているということ…と葵は解釈した。

「うん、なんかそんな感じがする。アオイって、女の子に興味あるの?好きとか彼女がほしいとかそういうのじゃなくて。てか、付き合ってる人いる?」

「それは…」

 言葉に詰まる。興味があるとかそんなレベルではない。自分は本当は女の子なんだ。十七歳の、愛という名前の女の子だと、言ってしまいたい。

「ごめん、こういうことって、聞いちゃダメだよね。プライベートなことだし。気にしないで。あ、雑誌のことも誰にも言わないから大丈夫だよ」

「あ…うん、ごめん。ありがとう。…その、付き合ってる人は、いない」

「よかった!じゃあさ、今度の休みにさ、駅前の図書館連れてってよ。引っ越す前から何度か駅には来てて気になってたんだ。彼女いるなら悪いけど、フリーならいいよね?」

「ああ、いいよ。お安い御用で」

「じゃあ、決まりね。楽しみにしてる」

「うん、今週の土曜でいいかな?」

「いいよ。何時から開いてるの」

「十時だよ。休館日は基本月曜日」

「そうなんだ。じゃあ、十時に駅前で待ち合わせにしない?」

「いいよ。それじゃあ土曜の十時に」

 トントン拍子に話は進み、土曜日には石井と図書館へ行くことになった。この葵の体となってから初めてできた友人と呼べそうな存在。

 偶発的なこととはいえ、女の子としての側面を見せてしまったがそれを嫌な顔せず受け入れてくれた。それだけで、自分の中の女の子としての心を初めて表現できて、受け入れてもらえた気がして嬉しかった。

 胸の鼓動は、しばらく落ち着きそうにはない。

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