6 襟山彩香③―ⅰ
電気も消えた真っ暗な部屋で、ベッドに寝転がって彩香は天井を見上げていた。天井を見ている訳では無い。ただ、考え事をするのに寝転がって上を向くのが彩香の流儀である。
考えているのは無論、白川旭と交換ノートについて。ただ、いくら考えても答えは出ず、まどろみと相まって煙や霧の様な纏わり付く不快感だけが残っていく。彩香は閉じゆく意識の中静かに、今日の夢はきっと悪夢だろうと感じていた。
「そこはmayじゃなくてmustだってば」
彩香が凛の英文に物申す。凛は「うー」と唸りながら、机に向かって英文の訂正に取り組む。
――セミの鳴き声も聞こえ始める時頃。中学二年生の期末テストを迎えつつある襟山彩香と坂島凛の二人は、凛からの提案で勉強会に興じていた。二人はバランス良く得意教科が分かれている為、教え合う分には効率の良い二人組である。
「ふー、きゅーけー」
凛が手を万歳して後ろに倒れ込む。先程まで手に持っていたシャーペンが宙を舞い、音を立ててノートの上に落ちた。彩香はそれにやれやれと額に手を添え、しかし妹に怒りきれない姉の様な表情で自分のノートも机の端に追いやる。
凛は彩香がノートを端に追いやったのを視界の隅で捉えると、がばっと素早く起き上がり、風の如く部屋から走り出でた。どたどたと音がしばらく続いたかと思うと、程無くして音が彩香の待つ部屋に再接近し、凛が戻って来た。両手にはお菓子とジュースとコップが乗ったお盆が持たれており、完全完備と言った具合だ。凛の休憩における勉強時とは一味違う速度に嘆息を吐きつつ、彩香はお盆の上でぐらぐらと不安定になっていたお菓子をある程度持ち受けた。
「その頑張りを勉強に活かしなさいな」
「ぶーぶー。それはそれだよね」
二人は会話を交えつつ机の上にお菓子やコップを広げていく。その量の多さには休憩を長く取るつもりであるのが言外に見えた。
「ふひぃー。極楽かな極楽かな」
「休憩は十分だけね」
「うぇー、そりゃ無いよ彩香ちゃん」
目の前のお菓子の山を見てだらけきった笑みを浮かべていた凛が、彩香の厳しい一言に目くじらを立てて反意を示す。もっとも、彩香がそれを容認する事などあり得ない。優しくもあり、厳しくもある。血の繋がりこそ無いが、彩香は凛の姉の様な立ち位置であるのだ。
「凛が英語教えてくだせーって言ったんでしょ。ちゃんとしなさい」
「ぶーぶー」
「豚か、おのれは」
彩香は凛にツッコミを入れつつ、にこやかな笑みを浮かべていたが、凛からの返答が無い事に怪訝な顔をして凛の顔を覗きこんだ。凛は彩香の表情に気付いたのか、一瞬の間を置いてあたふたと顔の前で手を振って健在ぶりをアピールする。
「いや、大丈夫だよ? ただ、ちょっと考え事しててさー」
「考え事?」
「うん。――利久の事」
「ああ……」
凛の言葉に、彩香は今ここに居ない男の事を思い浮かべた。大塚利久。いつもなら勉強会に呼んでいる筈なのだが、今日は呼んでいない。それはひとえに凛が拒んだからだ。拒む、と言ってもネガティブな拒否では無い。片思い相手と同じ部屋に長時間居る気恥かしさに耐えられないという、可愛らしい動機だ。
「むー、どうしたらいいと思う?」
「そんなの聞かれても私にどう答えろと?」
「むー……」
スナック菓子を頬張りつつ、凛は机に突っ伏して口を尖らせる。彩香としては自分の妹の様な存在である凛の恋を応援したいと考えているし、利久の人の良さを知っている彩香としても凛と結び付いても拒む理由など――何も無い。
無い筈なのに。
無い、筈なのに。
「うん、うん。そうしよう!」
彩香が思い悩んでいた間に、何やら凛が決意の宿る目で拳を握りしめていた。
「どうしたの?」
「明日、告白する」
「えっ」
彩香の心臓が一瞬止まった。血液に液体窒素でも混ぜられたかの様に身体中に痛みと凍える冷たさが巡るのを感じる。それを余所に、自分の中で綿密に立てられたのであろう計画を、凛が朗々と説明し始める。
「今日の交換ノート私だからさ、それに手紙挟んで明日利久に渡して。どこか……屋上にでも呼びだして告白っ! どう?」
「え、いいんじゃない?」
自分の口から勝手に出た言葉に、彩香は驚きつつ、問題無く応対出来た身勝手な口に感謝する。凛は凛で彩香の言葉に太鼓判を得たかのような力強さを手に入れ、熱意新たに拳を上に突き上げる。
「よっしゃあぁ、明日は決戦だぁ」
彩香は凛に笑みを向けつつ、身の張り裂けそうな焦燥感を必死に抑え込んでいた。




