十五、猫の声と謎の開門
あのシラードという男性が現れてからまた数日が経ち、アマンダさんは連日カルテシウスとシラードについてせかせかと調べて回っておりました。
シラードについては、研究者でありながら資産家で、数年前に自身は現場から離れており、実質的にはラボは全て後任者に譲渡した形になっているということが分かったそうです。しかし、あのカルテシウスという者については全く情報がなく、その全てがすっかり謎のままでした。
フィロソフィアの正門についても、やはり門を開ける手立てはどうにもなく、第一の地底都市の場所の特定を、仕方なしに集中的に調査しているというふうなのでした。
そんな調子でどの調査も思うように成果を上げられておりませんでしたが、学びの道には忍耐が必要だと、ここ数日ジャンバニさんがアマンダさんのお父さんがまだラボを持っていなかった頃の話を交えて繰り返し繰り返し聞かせてくれます。流石にそろそろ同じお話を聞くのは疲れてしまっているのですが、ジャンバニさんの言うとおり、今は我慢の時なのかも分かりません。
だけれども、昨日からそんなラボを席巻しておりましたのは、そのどんな調査の話でもなく、ソヨが何度か聞いたというあの猫の声の話題でした。
今まではソヨが聞いたというだけでしたので、大人の人はみんな何かの勘違いだろうと思っておりました。しかし、昨日の夕暮れに、正門前で作業をしていた研究員と発掘員の数名が、やはり同じに猫の声を聞いたというのです。それも全員が口を揃えて、門の中から聞こえたというものですから、もうラボ中で様々な憶測が飛び交っているという訳なのです。
ある人は、フィロソフィアに備えられた何かのセキュリティシステムではないかと言い、またある人は自分の昔飼っていた猫の幽霊が何かを暗示してるのではと言いました。
もちろんソヨと僕もみんなと同じに、やはり昨日からその話ばかりです。殊更にソヨは、自分言っていたことが本当だったとわかってもらえたことで、なんだかたいへん嬉しそうにしていたのでした。
けれども声の正体を調査しようにも、門の中へ入れない限り、石碑や門に刻まれている文字の解読を進めること以外に、やはりできる事はなかったのでした。
そうしたある日の深夜、僕達がいつものように宿で寝静まっておりますと、そこへ俄かにどたどたどたと大慌ての足音が響き、ばっしりと勢いよく戸が開く音が、ぐわわんと建物を揺らしました。
僕はびくりと目覚めると、下から何やらわあわあどたどた音がします。僕はそれでもやはり眠かったものですから、そのまま横になりながらその音をうとうと聞いておりました。そうして暫くすると、そのどたどたがいよいよこちらに近付いて来たのです。
ドンドンドンと僕の部屋の戸が三度鳴ります。
「スム、起きてスム。すぐに出掛ける準備をなさい。」
アマンダさんの声はなんだか興奮した様子です。僕は観念して起き上がると、ガッチャリ戸を開けました。
「こんな時間にどうしたの言うのですか。」
僕が尋ねると、アマンダさんは後で説明しますと言ってまたどたどた階段を降りて行ってしまいました。
僕は言われるがままに準備をして下へ降りると、まるで人攫いにでもあったようにあっという間にバギーの乗せられてしまったのでした。
そのバギーには先にソヨもキムさんも乗っており、ソヨも僕と同じに眠たそうに目をこすっておりました。
そうしてバギーが勢い良く走り出すと、道中アマンダさんは、やっと事の成り行きを話して聞かせてくれました。
その話によると、今までうんともすんとも言わなかったあの正門が、何やら突然にぼんやりと青白く光り出したらしいのです。先程のどたどたは連絡に駆け付けた警備班の方で、すでに研究班は一人残らず飛び起きて正門へ向かっているということでした。
そうしてガタゴト到着すると、発掘現場は照明の一切が消されており、そこにはただ美しく青白く光る門だけが浮かび上がるようにしてありました。
その何とも美しい光に初めは誰もが感嘆の声を漏らしましたが、やはり光り出した理由がどうにも全く分からなかったため、全員固唾を飲んでこれを見守るばかりなのでした。
もう随分な夜更けでありましたのでみんな眠たかったのでしょうか、誰もがぼぉっと立ったままおりましたが、その中でカダカさんが地べたにどっかりと腰を下ろしました。
「こんな大事な時にあの馬鹿はいったい何をやっとる。ちび共だってちゃんと起きて来とるというのに。」
ラボの関係者はとうにみんなこちらに来ていると思っておりましたが、どうやらパダヤさんだけがまだ来ていなかったらしく、カダカさんは呆れた様子で言いました。
ラボのみんなはパダヤさんらしいと笑いましたが、カダカさんは変わらず厳しい顔をしておりました。
するとそこへ昇降機がガンガコと降りて来て、中から寝巻きのままのパダヤさんが矢のように飛び出して来ました。
「ど、ど、ど、どんな具合だ、お嬢。おお、親父も来てたのか。」
なんとも素っ頓狂なパダヤさんの様子にみんなボカンと静まり返ると、カダカさんがそれはもう大きな声で怒鳴りつけました。
「来てたのかじゃないわこの大馬鹿もんが。おめえ以外はとっくに全員揃っとるわ。何をしてたのかと思えば、おめえ寝こけってやがったな。」
カダカさんの叱責があまりに予想外だったのか、或いはその迫力のせいでか、パダヤさんがどすんと腰を抜かしたように尻もちをつくと、みんなは一斉に笑い出しました。普段パダヤさんにキツく鍛えられている発掘員の人達などは、それはもう殊更にお腹をよじらせています。
それに気付いたパダヤさんは、おめえ達は笑うんじゃねえと発掘員さん達に飛びかかろうとしました。けれどもその時、アマンダさんが俄かに声を上げました。
「みんな門を。光が弱まっていくわ。」
みんなはぴたりと止まり、門の光の減衰の顛末を見届けようと、静かに静かに声を殺しました。光はみるみる弱くなり、岩塩の礫が水に溶ける程の間に、辺りは完全に星明かりのみで照らされるばかりになっておりました。
「完全に消えたみたい。では、門に変化がないか、確認しなくては。」
アマンダさんはそう言うと、慎重そうに門へ近付いて行きます。
「アマンダさん、危ないです。やめて。」
ソヨが心配そうに言いましたが、アマンダさんはそれを手で制止しただけで、門までゆっくり近付き、その前で止まりました。
アマンダさんは針のような皆の視線を背中で受けながら、そうっと門に手を触れました。そしてその手にぐぐぐっと力を入れると、ず、ずずずず、ずずずううううっ、と低い音を立てて、門の左側がゆっくりと拳一つ分ほど開いたのです。
それは間違いなく歴史的な瞬間でした。僕もソヨもラボの皆さんも、それはもう一斉にどぅっと歓声を上げ、抱き合ったり拳を握ったりしました。ああ、ラボの皆さんはこの時をどれ程夢に見たのでしょう。みんな思い思いにこの時に立ち会えた事を涙ながらに喜びました。辛い辛い研究の日々の中で、突然に訪れた夢の実現に、誰もが信じられないというふうです。
けれどもアマンダさんは、門をほんの少し開いただけで、そのままぴたりと止まっており、何故だかそれ以上開けようという素振りはみせずにおりました。
カダカさんは誰よも早くそれに気付き、アマンダさんに声をかけました。
「嬢ちゃん、どうした。」
喜びの声がざわざわとしている中でも、隙間を縫って飛び出たように何故だか一際響いたカダカさんの言葉で、僕もみんなも、アマンダさんの様子がどうにもおかしい事に気付いたのでした。
正門の前にはもう一度冬の湖面のような静けさが戻り、全員がアマンダさんを緊張と視線で包みました。
するとアマンダさんはそうっと門から手を離し、二歩程じりじりとたいへん慎重そうに後ずさりをしました。そうしてなんとも神妙な声色でぼそりと言いました。
「何か、います。」
アマンダさんの言葉に、場の空気は凍り付き、僕は背中に何かすぅっと寒気のようなものを感じました。
「例の猫の声のか。どれ。」
カダカさんはひるむ事なくアマンダさんに歩み寄り肩に手をやると、今度は開いた門の隙間に近づき、ぐぐっともう少しだけ門を開けました。するとやはりカダカさんもぴたりと止まり、小さく数回頷くと、アマンダさんの方を振り返り言ったのです。
「なる程。確かにこいつあただの猫って事はないな。コギトの野郎にも少し似ている感じだ。この気配が何にせよ、このまま突入ってのは上手くないな。どうする嬢ちゃん。」
アマンダさんは額の汗を拭きながら、暫く考えると、自分の両の頬をパンとやり、全員にはきはき支持を出しました。
「どうやら中には得体の知れない何かがいるようです。確かに異様な雰囲気を感じるけれど、お化けや化け物がいるということではないわ。けれど、開門した理由もはっきりと分からない以上、このままこれ以上の調査を続けることは危険と判断します。警備班と私は今夜はこのままここにテントを張って待機。残りの皆は一時帰宅し、明朝再びここで集合。その際キムさんはプネーマさんを連れて来て下さい。発掘班の皆は出来るだけ多くの武器をこちらへ。充分に準備を整えて、正午に調査を再開しましょう。では解散。」
アマンダさんの堂々とした声に、皆もやはりはきはき応えると、続々と昇降機に乗り込み帰って行きました。けれども誰も口数が少なく、なんだか不安な気持ちを抱えているというふうなのです。
僕も何やらたいへんそわそわとしており、アマンダさんになんとかお願いをして、こちらに残らせていただいたのでした。




