第94話 王子の動揺
王子としての朝の務めを終え、
レンセリオンは騎士団本部の控室へ静かに姿を現した。
純白の軍装のまま手袋を外し、
腰の剣帯だけを付け替えていると――
「えっ、殿下!? 今日は夕刻に来られると……!」
勢いよく扉を開けたカイルが、目を丸くした。
続いて、控えていたルークも怪訝そうに眉を上げる。
「昼食は……もう、お済みで?」
その問いに、レンセリオンはほんの一瞬だけ動きを止めた。
「……ああ。」
短い返答。
だが、その“間”をふたりの騎士は見逃さなかった。
カイルとルークがそっと視線を交わす。
レンセリオンは気づかぬふりで立ち上がり、手袋の留め具を整える。
「練兵場は空いているか。」
「え、ええ! 空いておりますとも!」
カイルが慌てて姿勢を正す。
ルークも足並みを揃えて続いた。
ふたりの気配を背後に感じながら、
レンセリオンは歩調を崩さずに廊下を進む。
「殿下……何か、ありましたか?」
カイルの問いは軽いものだったが、
返答は、レンセリオンの胸の奥をかすめた。
(……仲が良いのは、分かっていた。)
朝から自分は王子として務めを果たしていた。
テルメナ王子、スィルファリオン姫の出迎え――
呼吸ひとつ乱せない“光の第一王子”としての時間。
その間に、
ふたりは、
ルクヴェルの街を並んで歩き、
笑い合い、
心を通わせていたのだ。
(……日々、距離が近づいている。)
それを否定することは、もうできなかった。
エリオンの表情も、
リリナの微笑みも、
隠しようがない“親しさ”を帯びていた。
胸の奥が、ほんの少しだけ軋む。
理由の分からないモヤが、
ふっと浮かんでは沈んでいく。
(……俺はただ、務めを果たしていただけだ。
……それだけのはずなのに。)
押し込めようとしても、
そのざわめきは静かに、しかし確かに胸に残った。
「……いや。何もない。」
静かな声。
その言葉だけが、少しだけ固かった。
(今も、ただの“日常”だ。)
理性はそう告げる。
だが足は、迷いなく練兵場へと向かっていた。
◇
練兵場に入ると、
レンセリオンは無言で武器棚へ近づき、一本……ではなく、二本の剣を引き抜いた。
「ぶっ……!?」
カイルが吹き出した。
「れ、殿下!?
本日は……二刀流でいかれるんですか!?」
レンセリオンは肩越しにちらりと視線だけを返す。
「……あまり得意ではないが。試したくなった。」
淡々とした口調。
だが剣を握る手は、いつもより力がこもっていた。
「こい、カイル。」
「えっ、俺ですか!?」
情けない声が練兵場に響き、
カイルが助けを求めるようにルークを見る。
ルークは、呆れたように――しかしどこか楽しげに微笑んだ。
「仕方ありませんね。
……恋心に一喜一憂とは、殿下らしい。」
「!!?」
レンセリオンの手が一瞬止まり、
剣先がかすかに揺れた。
「な、何を言っている……?」
「図星でしょう」
ルークは涼しい顔だ。
カイルは肩をすくめ、剣を構えながら震え声で言った。
「お、お付き合いしますよ!
殿下のその……“新しい情緒の開花”とやらに!」
「そんなものではない!」
珍しく語気が強くなる。
カイルとルークは顔を見合わせ、同時に笑った。
(……くそ。なぜ、こんなことで動揺している。)
胸の奥のざわつきが、
剣を握る手にまで滲んでいた。
レンセリオンは深く息を吸い込み、
感情を力で押し流すように構えを取った。
「……始めるぞ。」
カイルは青ざめ、
ルークは楽しそうに腕を組んだ。
そして――
リリナが塀の上に現れる、その少し前。
レンセリオンの胸の奥では、
もう静かな均衡が崩れ始めていた。




