第89話 光の少女
白金の街の中央。
来賓館のすぐそばにある噴水広場。
昼の光が水面に反射し、まぶしいほどに輝いていた。
レンセリオンは、その中心に立っていた。
静かに、風と水音を聞きながら。
ここはルクヴェルの象徴――
光が最も美しく見える場所。
遠くから、二つの足音が近づいてくる。
光珠のように軽やかな気配と、
湖のように静かな気配。
リリナ・エル・セレフィア。
――“希望の器”。
振り返った瞬間、
視界にやわらかな光が差し込んだ。
そこに立っていた少女は、まるで陽光そのものだった。
やさしく、まぶしく、やわらかな存在感。
心を揺らす光など、もう長いこと見ていなかったのに――
呼吸が、ごくわずかに乱れる。
レンセリオンは一歩進み出た。
ルクヴェルの王子として、正式な歓迎の意を示しながら――
「お会いできる日を、心より待ち望んでおりました――セレフィアの姫君」
言葉にした自分の声が、
わずかに丁寧になりすぎた気がした。
だが、リリナはやさしく微笑む。
「……ルクヴェルの光って、やわらかいんですね」
――やわらかい。
自国の光に、そんな言葉を向けられたことがあっただろうか。
胸の奥に、淡い熱が灯る。
「あなたの国の黎光には及びませんが……
ここにも、護るための光は在ると信じています」
ほんのわずか、言葉が素に戻る。
彼女が――光そのものだったから。
横で、エリオンがからかうように微笑んだ。
「到着してすぐ、リリナ姫様にお会いしたいと仰っていたんです」
「エリオン……!」
眉がわずかに動き、咳払いでごまかす。
昔から、この男は必要な時ほど余計なことを言う。
それでもリリナは、困ったように、
けれどどこか嬉しそうに笑っていた。
その笑顔を見た瞬間――
(……ああ)
自分は今日、この光を見るためにここに立っていたのだと。
そんな錯覚すら、胸をよぎる。
三人で、噴水の縁に腰を下ろす。
水面を覗き込むリリナの仕草に、
レンセリオンは思わず目を奪われた。
揺れる光が、彼女の頬をやさしく撫でる。
そこにあるのは――疑うことを知らないような、まっすぐな光。
「……どうして、こんなところに硬貨が?」
リリナが首を傾げる。
「この噴水には、古くからの言い伝えがあります」
できるだけ格式を保ちながら、
それでもどこかやわらかく語る。
「背を向けて、上段の縁に硬貨を投げることができれば――
願いが叶う、と」
「願いが……叶うんですか?」
その瞳が、驚きに大きく揺れる。
あまりにも純粋で――眩しかった。
レンセリオンは銀貨を一枚取り出し、背を向ける。
光を弾き、弧を描いたそれは――
静かに、縁へと届いた。
成功。
リリナの瞳がぱっと輝く。
(……この光に、俺は弱いな)
「次は……エリオン様も、やってみますか?」
リリナの声に、エリオンが立ち上がる。
(……やはり、似合うな。水と、あの光は)
放たれた銀貨は、美しい軌跡を描いた。
ルクヴェルの風でさえ、
彼を通せば優雅に流れるようだった。
「では、次は……リリナ姫の番ですね」
レンセリオンは同じ銀貨を差し出す。
指先が、ほんのわずか触れる。
それだけで、心臓が跳ねた。
「手を離す時を見極めることが大切です。
背筋をまっすぐに、目を閉じて――」
エリオンも静かに言葉を重ねる。
「手首を、少しだけ傾けて……そう。
風は味方してくれますよ」
(二人で教えているように見えるな)
そう思いながらも、否定はできない。
リリナは――その中心にある光だった。
そして銀貨は――惜しくも外れた。
「……届きませんでしたね」
そう言いかけて、言葉を止める。
彼女は、落ち込んでいなかった。
むしろ、“願うこと”そのものを受け止めているようだった。
「大切なのは、願うことです」
自然と、そう言葉が続く。
リリナがこちらを見た瞬間、
その言葉が正しいと確信した。
リリナが水に手を入れる。
その横顔に、レンセリオンは見入っていた。
(……未来を見る瞳とは、こういうものか)
そんな予感が胸をよぎる。
レンセリオンは、静かに願いを落とした。
「……私は、それでも見届けたいと思っています。
リリナ姫の未来を。
そして――この国の歩みを」
光と水。
未来と記憶。
願いと、まだ語られぬ想い。
その中心にいる少女は――
まだ何も知らず、
ただ光のように微笑んでいた。




