第82話 静かな皿に映る影 ― 三つの心が揺れた瞬間
王の言葉が落ちたあとも、食卓にはしばらく静けさが残っていた。
その静けさの中へ、次の料理が運ばれてきた。
金縁の皿に置かれたのは、淡い金色の焼き目を纏った鳥肉の香草焼き。
香草と柑橘の香りが、やわらかく立ち上った。
だが――
その温かな香りに、三人の意識が向くことはなかった。
リリナは、ひと口を口へ運んだ。
静かに微笑んだ、その瞬間。
アウレイン王の穏やかな視線が、再び彼女へと落ちた。
エリオンの胸が、わずかに強張った。
(……やはり、ただの祝宴ではない)
そう察しても、止めることはできなかった。
王の言葉は、あくまで穏やかな提案だった。
リリナ自身も、戸惑いはしている。
けれど、拒むそぶりは見せていない。
そこに割って入る理由を、エリオンは持たなかった。
胸の奥に沈んだ痛みが、守りたいという願いなのか、それとも自分だけの感情なのか。
それでも――
この流れが、どうか定まらないでほしい。
そんな願いを押し隠し、エリオンは表情を崩さなかった。
食叉を持つ手も乱さない。
“祝福する側の顔”を保ったまま。
その一方で――
レンセリオンは静かに杯を置き、姿勢を正した。
そして、まっすぐリリナへ向き直った。
父の言葉が、ただの厚意だけでないことを、レンセリオンは察していた。
滞在の勧め。
リリナとの交流。
そして、聖鏡の間への導き。
そのすべてが、静かにひとつの方向を向いている。
(……ついに、動かれたか)
胸の奥で、静かに覚悟が固まった。
「……リリナ姫。
もしご迷惑でなければ……」
声は落ち着いている。
だが、その奥には確かな意志が宿っていた。
「わたしからも、ルクヴェルへの滞在をお願いしてもよろしいでしょうか」
リリナは、息をのんだ。
「この国には、まだご案内したい場所が多くあります。
いずれ、姫の歩む道を照らす光も――きっと見つかります」
真っ直ぐな言葉だった。
逃げも、誤魔化しもない。
王子としての誠実な誘い。
だからこそ、エリオンの胸に静かな影が落ちた。
リリナの胸もまた、きゅっと締めつけられる。
王の視線。
レンセリオンの言葉。
そのどちらも胸に残ったまま、隣にいるエリオンの気配が、ほんの少しだけ遠のいたように感じられた。
華やかな祝宴の中で、三つの心だけが、静かに揺れていた。
(……どうして……こんなに、胸がざわつくんだろう)
その理由も分からないまま、リリナはそっと目を伏せた。




