第233話 薄明の部屋、子犬が運ぶ面影
子犬は部屋の中を、忙しなくくんくんと嗅ぎ回っていた。
(もしかして……ここ、初めて入るのかな?)
ティアラの部屋だ。
掃除は続けているとはいえ、勝手に入れてしまってよかったのだろうかと、リリナは少しだけ不安になる。
けれど――
ぶんぶんと揺れる尻尾を見ていると、そんな迷いもふっと緩んでいった。
リリナはソファに腰を下ろし、子犬の様子を静かに見守る。
ふと、窓のカーテンが開いたままなのに気づき、立ち上がった。
窓辺に歩み寄る。
外はすでに、日没の色に染まり始めていた。
湖面に、ゆっくりと暗闇が広がっていく。
目を凝らしても――影鐘隊の姿は見えない。
「……よかった」
胸を、安堵がそっと撫でた。
(明日には、この国も“同じ日没”を迎えるかもしれない――)
フェイラの言葉が、ひやりと胸を締めつける。
あの中性的な面影。
低いのに、どこか透き通るような声。
(エリオン様は……どうして、あんなふうに避けたんだろう……
あれって、どういう意味だったのかな……)
答えが浮かぶ前に――
視界の端で、小さな動きが跳ねた。
「え……?」
子犬が、長いリボンをくわえて引っ張っている。
「あっ、待って……それ、勝手に持ってきてはダメですよ」
慌てて駆け寄る。
リボンの先には、何かが重たくぶら下がっていた。
手に取った、その瞬間――
リリナの息が止まる。
それは、メダルだった。
刻まれた文字が、目に飛び込んでくる。
「……グラシエル・ガード」
喉が、きゅっと鳴った。
「――あっ……」
エリオンが、ティアラに贈った称号。
――妹のために手にした、大切な誇り。
リリナは、ゆっくりと子犬へ視線を落とした。
子犬は、ぱちぱちと瞬きをしながら見上げている。
「……ティアラ王女、なの?」
思わず口にして――
すぐに首を横に振った。
(そんなわけ……ないよね)
けれど。
まるで“ここに来て”“これを見つけて”と導かれたような、不思議な感覚が残る。
リリナはそっと、子犬を抱き上げた。
軽い身体が腕に収まり、胸にあたたかなぬくもりが伝わってくる。
ソファへ戻り、膝の上に乗せると――
子犬は、ぺろりと頬を舐めようとしてきた。
「……ただの甘えん坊さん、かな?」
くすぐったくて、思わず小さく笑った。
そのとき――
首元の小さな飾りが、きらりと光った。
小さなタグ。
そこに刻まれた名前。
「リラ」
リリナは、そっと呼びかける。
「あなた……リラっていうの?」
その声に、子犬は耳をぴんと立て、ぱちくりと瞬きをした。
その仕草が、あまりに愛おしくて――
リリナの頬が、ふわりと緩んだ。
(きっと――エリオン様や、ご家族の寂しさを埋めてきた子なのかもしれない)
胸の奥に、静かな温もりが広がっていく。
「初めまして、リラ。私はリリナだよ」
リラは、その名を確かめるように――
そっと鼻をすり寄せた。




