超宇宙仮説(後編)
妙にリアルな夢だったな……。
翌朝、休日にもかかわらず、僕はいつものように研究所へ向かった。
私設とはいえ、松戸博士の研究所にカレンダーの赤い日は関係ない。博士が年中無休なら、僕もそうなる。
博士の様子は元に戻っていて、
「どうした少年。冴えない表情をしてるじゃないか」
と声をかける。
「いや、また妙な夢を見ちゃって。」
以前の雑談で、博士は、僕が時どき妙にリアルな、しかも記憶に残る夢を見る事を知っている。
「今回はどんな夢だったんだい?」
僕は香織の事は伏せて、夢の内容を語った。
博士は、「ほう」とか「ふむ」とか呟きながらまじめに聞いてくれている。
この間も時給を払ってくれるからラッキーだなと思いながら続けた。
「その夢の中では、数式は出てたかい?」
博士が、ふと真顔で聞いてきた。
「はい。難しすぎて覚えてはいませんが、確かにありました。光速とか、場の変位とか……記号の形は、なんとなく覚えてるような……」
博士はちょっと考え込んだ様子で黙り込む。話が続かなくなった僕は書類整理に取り掛かった。
ティータイム。
お茶と茶菓子を準備するのも僕の仕事だ。
「博士。昨日の論文はどうなんですか?」
「昨日の? ……ああ、あれかい。“どう”とは何が聞きたいのかな?」
紅茶に口を付けながら、ほんの少し首をかしげる。おばあちゃんなのに、ちょっとだけ可愛い。
「えー、価値があったのかな?とか?」
「価値なら全く無いね。」
昨日、あんなに考え込むヒントになった様子だったのにバッサリだ。
「え?なんだか考え込んでいましたよね?」
僕の問いに、
「意味はあるけどね、科学的な“価値”という点ではゼロに等しい。
まずね、数式がない。予測も検証もできない。
次に、反証可能性がない。つまり、“間違っているかもしれない”という前提で試せない。
そして最後に、既存の物理法則を覆すなら、代わりの新しい法則を示さなきゃいけない。それが抜けてる。」
博士は僕を子ども扱いせず真剣に教えてくれる。
「……空想レベルって事ですか?」
「簡単に言うとその通り」
博士は「よくできました」とでも言うように、やさしく微笑んだ。おばあちゃん、可愛い。
「意味があるというのは?」
「空想はやがて現実になるものさ。形は変わるかもしれないがね。少年もどんどん投稿するといい。もしかしたら、学会には認められなくても名は残るかもさ」
真剣な表情でまっすぐに見つめられる。続けて、
「ところで夢の中で見た数式って、こんな感じかい?」
そう言って、博士は古びたノートの一頁を開いて見せた。
そこに走り書きされていたのは、夢で見た数式と──同じ形をした式だった。
「えっ……これ……!」
「数年前に、ある人が夢の中で見たと言ってね。意味は分からなかったけど、なぜか忘れられない式だったそうだよ」
「……まさか」
「まさかだ。けれど、“まさか”が科学の出発点さ」
博士はニヤリと笑った。
「科学に必要なのは、証明も反証もできる理論だけ。でも……人が何かを知ろうとする“きっかけ”は、いつも曖昧で、夢のようにあやふやなんだ」
「……それが、博士がよく言うプロトサイエンス?」
僕の問いに、博士は静かにうなずいた。
「そう。まだ科学じゃない。でも、似非科学でもない。“その手前”。
夢と現実、空想と数式のあいだ。そこに芽生える“問い”が、未来をつくるんだよ」
ティーカップの中で紅茶が揺れていた。
僕は、胸の奥にポツンと火が灯るのを感じた。
博士が見せてくれた式を、忘れないうちに書き留めたい。
いや、それだけじゃない。
僕も書こう。夢の中で見たことを、思ったことを。たとえ誰にも理解されなくても、構わない。
僕自身の“プロトサイエンス”を──。
そしていつか、その夢の続きを、現実の中で追いかけるのだ。
m(_ _)m ゴメンナサイ
次はあまり遅くならないと思います。