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鵺の集う街で  作者: 神崎真
鵺の集う街でIV ―― Chicken or the egg.
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第四章 見舞の仕舞

 いつもとはいささか様子の異なるリュウの言動に、それまで黙って聞いていたゴウマは、じょじょに眉間へと皺を刻んでいっていた。

 話が途切れたところで腕を伸ばし、その白い額へと分厚い手のひらを当てる。

 そうして、水牛種の男は大きく息を吐き出した。


「……やっぱり」


 伝わってくるのは、明らかに平常よりも高い体温と、わずかに汗ばんだ感触。


「お前、また熱上がってんぞ」


 告げた言葉を理解できないのか。

 見上げてくる青灰と金褐色の瞳が、ゆっくりと数度瞬きする。

 普段であれば、こうして他者との接触があると無意識にでも身を固くする傾向にあるのだが ―― いまはそんな素振りも見受けられない。

 そうして、常は穏やかながらもいくらか距離を置くような、一種作り物めいた微笑みをたたえているその顔に、まるで子供のような屈託のない、ふわふわとした笑いを浮かべている。

 いつも真っ白な頬にはうっすらと血の気が乗り、左右色違いの瞳がほのかに潤んで、きらきらと輝いていた。


 熱のせいで理性が飛んで、妙にテンションがハイになる。その典型のような状態だ。


 道理でさっきから話す内容が、あちらこちらと飛びまくった、とりとめのないそれになっているはずである。

 ひどく深刻で、自分達には想像も及ばないような、過酷な経験について話していたのは判るのだが ―― それでも、何故だろう。とてつもなく甘ったるい、惚気話を聞かされたような気がしてならないのは。

 背後から、あーなるほど、などと呟いているアヒムの声が聞こえてくる。どうやら奴も、発熱が理由だということで、いろいろ腑に落ちたらしい。


「おら、俺達は良いから、ちょっと横になれ」


 触れられても嫌がらないのを良いことに、直接肩を押して横にならせようとする。

 しかし病人は我儘になるという、実にありがちな行動を体現したのか。楽しげに笑いながら妙な抵抗をしてくる。

 押し倒そうとする手と、あらがってよじられる身体の攻防は、結果としていつもはきちんと整えられている髪を妙に乱し、パジャマの襟元も大きく広げてしまう。


 ……これは、確かに、やばいかもしれない。


 うっかりその状態に気がついてしまったゴウマは、思わず手を止めていた。

 彼が『そういう』目的のために作成された型式(タイプ)で、事実外見に関しては至極整っているのだと、頭では理解していた。しかし、実際こうして汗ばむ肌を上気させ、寝乱れた姿で、潤んだ眼差しの笑顔を向けてくる様を目の当たりにすると。その壮絶なまでの ―― 同性にそんなものを感じるなど、断固として認めたくはないのだが ―― 色気に、くらりと目眩のようなものを覚えてしまう。


 愛玩用というのは、こういう存在なのか、と。


 どこかぼんやりと、そんなことを思ったところで、いきなり部屋の扉がノックされた。

 まるで魅入られたように、一連のやり取りを呆然と眺めていたアヒムが、飛び上がるようにその背筋を伸ばす。

 ゴウマはとっさに手を動かし、リュウの襟元を素早く整えた。

 それをしっかり確認してから、ルイーザが一度咳払いをし、扉の向こうへ(いら)えを返す。


「開けてくれ」


 そう告げてくる声の主は、一人しか考えられなかった。

 ルイーザが扉を開くと、このペントハウスの ―― 否、建物全体の家主である、シルバーが立っていた。目の前にあるその顔を改めて確認して、ルイーザはわずかに焦りの色を滲ませる。


「オ、オーナー……」


 女性としては上背のあるルイーザの目線と、そう変わらない高さにあるその耳元には、無線式のヘッドセットが装着されていた。

 そう言えば、厨房にいた彼女のそばに、この部屋の様子を映し出す端末があった。

 もしかしなくとも、先ほどまでのやり取りは、すべて見聞きされていたのではないか。

 いや、やましい会話をしていたのかと訊かれれば、そうとも言い難いのだが。しかしひどくプライベートに踏み込んだ、際どい内容だったのは確かだろう。


「 ―― どうした。食事を持っていくと、言っておいただろう」


 わずかに首を傾げるようにして、シルバーは淡々と問いかけてくる。

 その姿に、ゴウマとアヒムもまたきまり悪げな表情になって、ちらりとリュウの方をうかがった。

 だが当の彼はと言うと、別に不都合など感じているようには見受けられない。まだどこか晴れやかな笑みをそのままに、弾んだような口ぶりで答える。


「すみません。お手間を取らせてしまって」

「いや、病は不可抗力だ。それより、食欲はあるか」

「はい」


 リュウがうなずくと、シルバーは一度戸口から身を引き、通り過ぎる位置まで押していたらしいワゴンへとその手をかけた。それを引き戻すような形で、一歩、二歩と後ずさる。

 慎重な足取りで室内へ押し入れられるワゴンに、アヒムらは慌てて道を開けた。

 その上には、溶き卵と刻みネギで仕上げられた鶏ひき肉の粥が二つと、ドクターに処方されたと(おぼ)しき薬の袋。そして氷を浮かべた麦茶のグラスが四つ、並べられている。

 かちゃかちゃと金属音を鳴らしながら、ひどく歩きづらそうに歩を運ぶその姿に、アヒムがとっさに手を伸ばしていた。


「あ、あの! オレがやりますよ」


 完全に条件反射でそう言ってから、いやだからと混乱している三毛猫の若者へ、シルバーは感情の伺えない眼差しを向ける。

「い、いやその、オーナー……あの、今の、話……」

 アヒムは言いにくそうに、ボソボソと呟いた。それを受けたシルバーは、しばらく思案すると、自身の耳元へ指を近づける。

「何か、聞いておいた方が良い話をしていたのか? ならば再生するが」

「は、再生?」

「ああ。呼び出しがあるか、センサーに異常が感知されない限り、消音(ミュート)にしているからな。聞いていなかった」

「よ、呼び出しって」

「一定音量以上での呼びかけか、特定のリズムのノック音だ。あとは端末に強い衝撃が加わったり、バイタルサインが病状の悪化を示した時などに、こちらへ通知が来るよう設定している」

 とん、と人差し指でヘッドセットのイヤホン部に触れる。

 それからリュウの方へと一度視線を向けた。

「多少、熱は上がっているようだが……まだ警告が出るほどではないな」

 そうして再び、アヒムへと目を戻す。

「念のため記録はしているが、基本的に24時間で上書きされる。確認が必要なら、早い方が」

「いやいやいや、しなくて良いです! 聞く必要ないですから!!」

 必死になって制止してから、あれこの言い方だとかえって不信感を煽るんじゃね? と焦っているのが、(はた)から見ていても丸わかりだ。

 しかしシルバーは、そうかとうなずいただけで、何事もなかったかのように耳元から手を下ろした。

「では、頼めるか」

 そのままワゴンの持ち手を示されて、アヒムは一も二もなくうなずいた。位置を代わろうと動くと、シルバーが脇へ避けつつ、粥の器とコップをひとつずつ手に取る。そうして慎重な足取りで窓際にある机へと向かった。

 ことりことりと音を立ててそれらを机に置き、緊張を解いたようにひとつ息を吐く。

 寝台の足側に位置するそこは、手を伸ばせば壁際の本棚に手が届く、リュウがもっぱら読書に使用している場所だった。筆記用具や読みかけの本を脇へ寄せた作業スペースには、時おり【Katze】へも持ち込まれている、見慣れたキーボード付きの端末がある。さらには付箋だらけのバインダーや、何箇所も書き込みをされた紙資料がいくつも散乱していた。

 いかにも仕事中に席を外したといった(てい)のそこで、シルバーはゆっくりと椅子に腰を落とし、暗くなっていた端末の画面を復帰させる。

 手慣れた仕草でキーに指を這わせつつ、一同へと質問を投げかけてきた。

「そう言えば、お前達は見舞いなどに来て、大丈夫なのか?」

 私には感染しないようだが、獣人種同士では異なるのだろう、と。

 何かしらの操作を終えたのか、再び顔を上げた彼女は、三人の顔を順番に見てゆく。

 いつもと同じ、感情の色が乗らない無機質な面差し。しかし酷薄な印象を与えがちな、その白目の多い黒瞳(こくどう)に浮かぶ光が、内側にある心情をわずかに漏れ伝えているかのようで。


「……ああ、俺らはみんな、予防注射をしてるんで」


 客商売のルイーザはもちろんのこと、街中から不特定多数の荷物が運び込まれては再び散ってゆく集積所で働くゴウマや、体調を崩すとダイレクトに日給へと影響するアヒムは、悪性の風邪が流行し始めたと聞いてすぐ、ドクターのもとでワクチン接種を受けていた。それでも100%感染を防げる訳ではなかったが、危険性は格段に下がっている。

 それもあっての、今回のこの面子なのだ。注射は嫌いだからと敬遠していたスイや、体力があるから大丈夫だと主張していたジグなどには、文字通りのドクターストップがかかっていた。これでちったあ予防接種の重要性を思い知っただろうと、ドクター・フェイなどは人の悪い笑みを浮かべていたのだが。それはまあ、別の話だ。


「そうか。……玄関脇に、消毒液を用意してある。帰る時に使っていくと良い」


 手指を殺菌するだけでも、かなり違うだろう。そう続けて、画面へと目を向ける。


「あ……それは、どうも……」


 その言葉に、一同は彼女が昨日から一度も【Katze】を訪れたり、あるいはデリバリーを頼んだりしなかった理由を、なんとなく理解できたように思った。

 それは、人手が足りなくなった忙しさを気遣ってくれるのと同時に、自身の身体にも付着しているだろう病原菌を、少しでも外部へ持ち出さぬよう、配慮してくれたからではないか、と ――


 リュウに手渡すべくワゴンから粥の器を取り上げたルイーザは、持ちやすい深めの形状をしたそれが、手のひらを焼かない、程よい温度であることに気がついた。あまりにもさりげない、けれどとてもこまやかな心遣いに、言葉が出てこない。

 思えば、時に過保護だとすら思えるほど、シルバーに対して世話を焼こうとするリュウだったが……そんなことができるというのは、同じ扱いを受けた経験があってこそではないのか。そうでなければ、いったいどうやれば『世話を焼く』という行為になり得るのか、そんな判断すらできないのではないか。

 シルバーは時おり高熱を出すと、以前リュウは言っていた。そして入院中の彼女の看病を、慣れた手付きでこなしていた。

 あるいはそのやり方さえも、他ならぬ彼女から教えられたと、言うのなら……


「どう、一人で食べられる?」


 差し出した器を、リュウは両手で受け取った。添えられた(さじ)で数度混ぜながらうなずく。


「大丈夫です」

「そう」


 色違いの双眸に浮かぶその光が、けして遠慮や虚勢を含んではいないことを確認して、ルイーザは口唇を微笑みの形に変えた。


「じゃあ、あまり長居してもかえって負担になるだろうし、私達は失礼するわね。保冷剤だけ、替えておこうかしら」


 枕の上にあるそれを触って溶け具合を確認し、持ち込んだものの方が多少は長持ちしそうだと判断する。手早くタオルをほどいて交換し、清涼飲料のボトルは水差しの隣へ並べた。

 それから、身振りと仕草で他の二人を促す。


「もし何か足りないものがあったら、遠慮なく下まで連絡してちょうだい。手の空いてる誰かが届けに上がるから」

「ありがとうございます」

「……その折には、よろしく頼む」


 口々に言葉を返す二人に笑顔で手を振って、

 そうして三人は、連れ立ってリュウの私室を出ていった。

 途中、キッチンに立ち寄り溶けかけの保冷剤を冷凍庫へ収めたあとは、消毒液で念入りに手を殺菌し、玄関をくぐる。

 背後でドアが閉じると、小さな電子音が聞こえた。自動で(ロック)がかかったようだ。


「あ……麦茶、飲みそこねた」


 ぽつりと、アヒムがそんなことを呟いた。

 せっかくシルバー手ずから淹れてくれたと言うのに、口をつけるどころかグラスを手に持つことすら忘れていた。

 それほどまでに、今回の訪問は衝撃続きだったのだ。シルバーが、自身でお茶を用意してくれた、そのこと自体も含めて ――


「なんつうか、こう……イメージが変わったな。いろいろと」

「そう、ね」


 部屋を訪れてからの出来事を思い返して、改めて噛みしめ直す。

 なんと言うか、手伝いに来たどころか、かえって邪魔に……もとい『お邪魔』になってしまった気がしてならない。


「オーナーって……実はけっこう、何でも出来る人だったんスね」


 アヒムが嘆息する。


「出来ないんじゃなくて、やらないだけだったんだ……」


 料理などの家事も、杖を使わずに歩くことも。

 しみじみと言ったアヒムだったが、残る二人からの反応が返ってこない。

 あれ、とそちらの方を向いたアヒムは、なにやら苦虫を噛み潰したかのような表情をしている様を見て、どうしたのだろうかと首を傾げる。


「お前……その言い方を、他の奴らの前でするんじゃねえぞ」

「え?」

「そうね……盛大な誤解を招きそうだわ」


 きれいに染めた爪を額へと押し当て、ルイーザが嘆かわしいとばかりに大きく(かぶり)を振る。

 確かにそれは、けして、間違った事実ではない。しかしものには言いようというか、表現の仕方というものがあるのだ。

 単語の選び方ひとつで、同じ内容を口にしているつもりでも、聞く側の印象は大きく変わってくる。ましてやシルバーには、人間種(ヒューマン)という事実に加えて、そのあまりにも不器用というか、愛想がなさすぎる言動のせいで構築されてしまった、いささかよろしくない先入観がつきまとっている。

 彼女に対して好意的な、ゴウマやルイーザ達でさえ、先行したイメージに惑わされていたのだ。詳しい事情を知らない第三者の獣人種が今の言葉を聞けば……どんなふうに受け取られるか、想像に難くない。

 それは、できることをも面倒がって、獣人種(キメラ)を下僕のようにこき使う、怠惰で傲慢な人間(ヒューマン)という、間違った……けれど現実よりもよほど信憑性のある見解だ。下手にそんな噂が広がったりした日には、冗談抜きで目も当てられない。


「自分のためにはやらないけれど、リュウのためになら、やってくれる。……せめてそれぐらいにしとけ」

「え、オレいま、そう言ったッスよね?」

「言ってない」

「ぜんぜん違うわよ……」

「言いましたって!」


 ぎゃんぎゃんと騒ぐアヒムを適当にいなしながら、手ぶらになった彼らは階段の方へとその足を向けたのだった ――

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