コーヒーハウス・嗜好品
イスカンドリア北区と東側の港湾部には交差するように繋がる幾つか大通りがその中の一つが月の前御前通りというやったら御大層な名前の道。
交通量が多い、というより、馬車や馬が普通に走れる大きな道沿いにメイフラワーハウスはあった。
「なんだか変わった香りがしますね」
目の見えないマルレーネは普通の人より鼻効くのかもしれない。
いや。常人であるはずの作治の鼻にも、大変懐かしい芳香臭がした。
「この宿屋には一階にコーヒーハウスが設置されておってな。魔王領から輸入される大変珍しい飲み物を客に出すのだ。まぁ物は試しだな」
盲導犬のチャッピーを道に残し(通りに行く人々が迂回する事になるが)三人はメイフラワーハウスの店内に入っていった。
「うえるかむかむぅ~ん」
店内には可愛らしい制服に身を包んだ女性が床の掃き掃除をしていた。
ちりとりの中には鳥の骨や豆のかすなどが溜まっている。昨日の客が残していった夕食の残りだろう。
「コーヒー三つ」
食事時でないせいか、店内には客は誰もいない。
長方形のテーブルにアミーラはそう注文して丸椅子に偉そうに座る。
作治も続いて、マルレーネさんも作治の服を掴むように歩いて椅子に座る。
それが彼女が眼が見えないから。ということに作治が気づくのには、少々時間がかかった。
ちりとりを店の済みに置いた女性店員はしばらくしてコーヒー三つと大きなポット。そして白い粉末が入った硝子瓶ををお盆に乗せて作治達が座る
テーブルに戻ってきた。
「お待たせしましたー。コーヒーみっつと、砂糖とミルクだよ」
女性店員は作治達の前にそれぞれコーヒーと、そしてテーブルの中央に大きな銀色のポット。
そして白い瓶を大事そうに抱えて持っている。
「フ、なまっちょろいわ。ミルクなど不要。よいかお主達。コーヒーとはブラックで飲む物なのだ」
「そうなのですか。アミーラ様?」
マルレーネは神妙な面持ちでアミーラに尋ねた。
「その通り。このコーヒーのコクがだな」
カップの中の黒い液体を一口。
アミーラは毒を飲んだような顔になった。
「こ、このコクがががだなあ」
さらに一口。
「コクコクコクだなななあぁぁぁ」
「店員さん。ミルク入れて差し上げなさい」
作治は代わり頼んであげた。
「了解いたしましたぁ」
「し、仕方ない奴だな。妾は別にミルクなど欲しくはないが、今日のところはサクに合わせてミルクを入れてコーヒーを飲んでやろう」
「どのくらいいれます?アミーラちゃん?」
「五分五分ぐらいで」
それだとカフェオレにならなくね?
「そちらの淑女の方はいかがなさいますかぁ?」
マルレーネにも同じように店員は尋ねる。
「では私も同じ風にお願いいたします」
やはりコーヒーではなくコーヒー入り清涼飲料が出来上がる。
「そちらの紳士はいかがいたしましょうか?」
店員は最後に作治に尋ねてきた。
「ミルクはいいや。代わりに砂糖を五、いや十杯入れちゃって」
「えっ?十杯も入れちゃうんですか?」
「だってそのスプーン小さいし」
店員は少し驚いたが、作治に言われたとおり十杯砂糖を入れてくれた。
そして作治はしばしコーヒーの薫りと、苦みを完全に中和する砂糖の甘さを楽しむ。
あぁー懐かしいなぁ。コンビニのコーヒーならもっとこう自分好みの味つけができるんだろうけど。
しばし遠く懐かしき日本の思い出に浸っている所で女性店員が言った。
「御会計の方ですが」
「コーヒー三つだよな」
「金貨一枚と銀貨二枚になります」
砂糖十杯ぶち込んだコーヒーを楽しむ作治の手が止まる。
「ちょっと待て。なんか値段がおかしい気がするんだが」
「どこもおかしくはありはせんぞ?」
アミーラが言う。
「よくよく考えてもみよ?コーヒーも砂糖も輸入品だぞ?お前の故郷、サイタマとかいう街にはコーヒーの樹があるのか?サトウキビ畑があるのか?ないであろう。という事はすべて輸入するのだ。それらは高いのだ。コーヒー一杯銀貨一枚砂糖スプーン十杯ぶち込んだコーヒーが金貨一枚でもなあぁんにもおかしくはないのだ。あ、砂糖入りのコーヒー代はお主の給料から引いておくからの」
アミーラはそう言いながら、ミルクだけを入れたコーヒーをズビヅゥバと啜った。
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お茶は中国、コーヒーはアフリカ、煙草に至っては南北アメリカが原産である。
いずれもヨーロッパに到達したのは大航海時代以後であり、中世ヨーロッパには存在しない。
もっともファンタジー小説の元祖たるトールキン大先生がドワーフ(ホビット?)がタバコ好きという設定を残していらっしゃる。
これはトールキン氏が生まれ育ったイギリスの風習をそのまま彼らの暮らしの習慣として取り入れたようである。
従って最終的に作品世界の設定としては作者の都合による、という事になる。
これら嗜好品の利点としては乾燥した状態では水分を含まず持ち運ぶのが便利だという事である。
仮に主人公が行商人だとした場合、同じ重さの金鉱石と茶タバコ類となら、嗜好品の方が軽くて持ち運びが便利である。また、純粋に取扱商品点数が気軽に増加させることも嬉しい。
イギリスで初めてのコーヒーハウスが誕生したのがユダヤ人のジェイコブさんが開いた店で、オックスフォードにあったらしい。
コーヒーハウスでは建てられた当初純粋にコーヒーしか客に出さなかったため、主に既存店である宿酒場、さらにそれらに酒類を納品している酒造業者から敵視された。
その後、コーヒーハウスでも酒類を提供するようになり、対立関係は解消されたらしい。
コーヒーハウスの店内にはバーメイドと呼ばれる美しい女性店員が配置され、客寄せの役割を果たしていたようだ。
おそらくは見ているだけで心がぴょんぴょんしてくるような、そんな制服を身に着けて接客サービスをおこなっていたのだろう。
部屋の中にはテーブルとイスがおかれており、空いている席ならばどこでも好きな場所に座ってよい。
身分職業、上下貴賓の区別なく、コーヒー一杯注文するだけでどんなボロを着た者だろうと流行の衣装を着た伊達男だろうと誰でも自由に出入りすることができた。
官報や新聞をまわりの字の読めない者達に読み聞かせている者がいれば、活気あふれる商談の場にもなる。その一方で怪しげな人間が数多く出没するという批判の対象となったのも事実である。
またコーヒーハウスという名前でも実際にはそれ以外の商品も取り扱うわけで、エクスチェンジ小路にあったギャラウェイコーヒーハウスは紅茶が有名だったらしい。
またココアツリーハウスという、チョコレートを専門に扱うコーヒーハウスもあったようだ。
コーヒーの流行と同時期にタバコが広まるが、当時の店舗には電気設備がない。当然ながら換気扇がないので、大変店内は煙たかったようである。
盗品を見つけた者へ報酬。行方不明者の捜索依頼。逃亡奴隷の手配書などが張り出されることもある。
情報のやり取りも多い。騎士が決闘をするとなれば医者が聞き耳を立てるだろう。(でなければ葬儀屋だ)
聖堂近くにある店舗では幼児洗礼や出産時期の話題があがることだろうし、港の近くの店ではもちろん株、相場、先物取引の話題が中心になる。
ココアツリーハウスでは一人の女優をめぐって、三人の男が決闘をしたといわれている。
きっと世界に名を轟かす街のバリスタ女優だったのだろう。
そんな事件もあって、コーヒーハウスでは入店した際には武器の類は店主に預ける規則ができた。
現代と同じ価格の嗜好品類とコーヒー店を用意するか、少々高い価格帯及び少し変わった内容の店にするかは結局のところ、作者というの名前の神様次第という事になる。




