唐津の観光と昔の家の思い出。
さて、佐賀県には唐津という街があります。
風光明媚でイカだのイカだの(大事なことなので2回言いました)、海産物の美味しいものがあるところです。
サザエなんかもよろしい。
昔。波戸岬あたりで食べたサザエの壺焼き、美味しかったです。
お城も宜しい。唐津城。
姪っ子に連れて来てもらいましたよ。
中に入ったら綺麗になってる!おお〜。
今日は唐ワンくんはいないのかあ、そうか。
(唐ワンくんとは何か?ご興味がおありの方はググって見てください。
彦根城に「ひこにゃん」をわざわざ見に行った私は、彼を知ってのけぞりそうになりました。)
唐津城からの最上階からの景色。なんだろう。あの島は。
調べたら高島屋ではなく、高島らしいですね。
(すみません、歳を取るとしょーもない洒落がでます。)
宝くじが当たるご利益で有名な「宝当神社」があるところです。
行ったことはないですね。行ってみたい。
さて。「曳山展示場」へ。姪っ子に付き合ってもらいました。
この曳山を唐津くんちで使われるんですね。
確かニースのカーニバルにも行ったとか??
特にこの鯛は可愛いです。
曳山は何回か紅白歌合戦にも呼ばれていたような。
「まーつりだ♪まつりだ〜♫」というサブちゃんの声が脳裏に浮かんで来ました。
実は「唐津くんち」や「伊万里トンテントン」も、それどころか「博多くんち」や「山笠」も行ったことがない私。
うん、行っておけば良かったよ。
その後、虹の松原に行ったり鏡山にも連れて行ってもらいました。
鏡山なんて小学校の遠足以来ですよ…。
お土産を買ったことを覚えています。
「きみこいし」とか言う、小石の形をしたキャンディーでしてね。
懐かしいなあ。
これは唐津の名物のお菓子、「けえらん」です。
日持ちがしない生菓子です。母が好きだったわ、こう言うの。
「白玉饅頭」とかね。
賞味期限が短くて、こしあんで昔ながらの味で。
懐かしいです。
「けえらん」は確か秀吉が名護屋城を建てたとき、コレを食べて「勝利するまではけえらん。(帰らん)」なんとか言ったのが由来とか。
肥前の名護屋は母と父が新婚当時住んでいた場所らしいです。
赤ん坊の私もいて。
母にとっては懐かしい土地らしく、
「名護屋に一度行ってみたか。」
と言われて、大学生の時車でその辺を通った事があります。
「もう、面影が無かねえ。」
と言っていて、一度で気が済んだらしいです。
…その後もイカを食べに唐津や呼子には何度か連れて行きましたけど。
私の実家は父の実家の隣にあって、二つ下の弟が生まれたときに建てられました。
名護屋から引っ越してきて、私達家族はしばらく父の実家にいたのでしょうね。
まだ父の弟妹も結婚しておらず同居してました。それなりに大家族で母は窮屈だったかもしれません。
それで名護屋を懐かしく思ったのか。
実は私は一歳の頃の記憶があります。
「ここにアンタの家が建つとよ。」
背中に背負ってくれたのは父の弟か兄か。若い男性でした。
その背中から見えるこんもりとした丘。
まだミカンの木が生えていました。
家が建つ前の光景を、まだ良く歩けないもどかしさを。背中に背負われるのは楽だけど、少しずり落ちていくイラつきを。
覚えています。
その実家も築60年をとっくに越えて。父の実家ももうありません。
それでも、断片的に覚えています。
あのふるさと村とかにあるような、日本の昔の家の光景を。
父の実家のかまどやゴエモン風呂。
あちらで母も料理を手伝っていた映像が浮かびます。
大家族ですからね。一緒に食べていたのでしょう。
台所の外に鍋とか干す場所があったり。裸電球で夜、手元が暗い中お茶碗を洗っていたり。
何故か壁にカブトカニの標本?みたいなものがかかっていたり。
玄関から土間があって、台所の方に続いていました。
目を閉じるとあの薄暗さを思い出します。
裏ではニワトリやウシが飼われていたし。
そして私が幼稚園の頃の祖母(父の母)の葬儀。
読経の途中でお手洗いに行きたくなって父が怒りながら連れていってくれたこと。
祖父の書斎は日当たりの良い場所にあったこと。
そこには柿が良く置いてあって、祖父はそれが完熟してグズグズになる寸前に食べるのが好きだったこと。
庭にはアロエがあり火傷の時に使うんだ、と教えてくれたのは誰だったか。
金柑をちぎって渡してくれたのは。
その家は従兄弟が継いだあと取り壊されて綺麗な普通の家になって。従兄弟もいなくなって。もうありません。
色んな事を思い出して書いておくのも必要ですね。
その後、姪っ子に唐津の老舗旅館に連れて来てもらいました。
観光に付き合ってくれてありがとうね。気をつけて帰ってね。
今夜は唐津泊まりです。




