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夏1

 黒沼が体育を休むようになった。

 いつもという訳では無いが、体調を崩しやすくなったようだ。

 六月に入ってからは、一週間の間ずっと見学をしていた。

 口さがないクラスの連中は、


「男のくせに生理じゃねえの」


 などと言っていたが、当然のように俺が睨みを効かせると黙りこむ。

 噂では、俺がクラスで自由な発言を許さない状態にしている、などと言われているようだ。

 他人を貶める会話が自由なら、そんな自由は無くても構わないだろう。

 独裁者的な見られ方をしても、何ら俺は困ることはない。

 そう、そういう環境にいても気にならない程度には、おれはぼっちだった。

 少なくとも、中学に入ってから対等な友人ができた記憶が無い。

 そういう訳で、黒沼は貴重な存在だった。


「調子が悪いのか」


 俺が尋ねると、黒沼は曖昧に笑ってみせた。


「ううん、そうでもないんだけど、貧血がひどい時があって……動くとくらっとしちゃうんだ」

「そうか。貧血ならレバーを食うといいぞ」

「レバーかあ……僕、生臭くて苦手なんだ……」


 そんな会話をする。

 あの日、腹痛を訴えてから、なんとなく黒沼の雰囲気が変わった気がする。

 こいつを構成する線の細さの中に、柔らかさが加わったように思うのだ。


「レバーなんて料理の仕方で味も変わる。うちに来い。生臭くないレバー料理を食わせてやる」


 黒沼は目を丸くした。


「村越君のうちに行くの!? ええっ、いいけど、ええっと、どうしようかな。お料理……お料理って、村越くんがするの?」


 一瞬、黒沼の声色が甲高くなった。

 何を驚いているのだろう。料理のところではない。俺の家に来ることに反応したようだ。


「俺の姉がやる」

「村越君お姉さんいたんだ」

「ああ。俺は料理は大雑把でな。いつも姉にダメ出しされている」


 黒沼の顔がホッとしたようになった。


「そうなんだ。じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな」

「よし、じゃあ行くぞ」

「…………?」


 黒沼が立ち止まって首を傾げた。

 いつもの帰り道である。


「えっと……?」

「今から俺の家に来るんだよ。今日はうちの姉が珍しくオフなんだ」

「ええっ……ええええええっ!?」


 こっちがえええだよ、と言いたいくらいの驚愕ぶりである。

 友達の家に来るぐらい、大したことではあるまい。というか、俺も家に友人を招くのなど五年ぶりくらいなのだが。

 歩きながら、黒沼が自宅に連絡を入れているのを見る。

 横顔が笑っている。何やら嬉しそうだ。

 俺もこいつもぼっちのようなものだしな。こういう友人関係もいいのかもしれない。



「お邪魔します……」


 恐る恐る、といった感じで黒沼が声をあげた。

 返答は無い。

 だが、姉の気配はある。

 これは……。


「黒沼、少しだけ待っていてくれ」


 俺は玄関を上がる。

 リビングに行くと、果たしてソファーには、顔に本を被せて爆睡する姉、由香の姿があった。


「おい」


 姉の肩を掴んで揺さぶる。


「んー、あによう」


 姉がだらけた声を出した。とっくに俺に気づいてはいただろうが、見知った気配だったから無視していたのだろう。

 眠そうな声だったが、完全に目が覚めているのは分かった。


「黒沼を連れてきたんだ。貧血気味らしいからレバーを食わせようと思ってる」

「ふーん、食べさせれば?」

「生臭いのが苦手なんだと。上手いこと作ってくれ」

「は? 私が?」

「俺では出来ない。由香しかできない」

「私しか? ふむ、まあいいでしょ」


 俺の言葉に、ちょっと気分が良くなった姉は、立ち上がると台所へ向かった。

 いつの間にやらエプロンなど身に着けている。


「黒沼くん玄関で待たせてるんでしょ。上がってもらったら?」

「そうだな。おーい、黒沼!」


 俺が連れてくると、黒沼はガチガチに緊張して、姉の前に立った。


「は、は、はじめまして! くろ、くろぬ、ま、遥です!」

「龍の姉の由香よ。よろしくね、遥君」

「は、はいっ」

「手強いぞ。惚れるなよ」


 俺が言うと、黒沼はちょっとムッとした感じで俺を見上げた。

 そして、姉も何故だか呆れた顔で俺を見る。

 なんだなんだ。


 料理が出来上がるまでは待ち時間だ。

 俺の家には、ゲーム機などという気の利いたものは無い。スマートフォンはあっても、ゲームアプリもインストールしていない。

 何故なのかというと、やる暇が無いからだ。

 姉が、料理ができるまで適当に時間を潰していろと言うので、俺は自室へと黒沼を案内した。

 二階へ上がっていく。


「村越君の部屋かあ……!」


 ウキウキしている黒沼。

 気持ちはよく分かる。お互いぼっちだったからな。友人というのは良いものだ。

 我が家の階段は螺旋階段のようになっていて、登る度に見えるものが変わる。

 玄関だったり、窓際のステンドグラスだったり、日が照っている間は展開される天井のガラス張りだったり。

 物珍しそうに黒沼はきょろきょろとしながら上がってくるから、進みは遅い。

 だがイライラはしない。

 むしろ微笑ましいくらいだ。

 のんびりしている黒沼をちょっと驚かせてやろうと思って、こいつの腕をギュッと握って引っ張りあげた。


「ひゃぁっ」


 黒沼は小さな悲鳴を上げて、俺に倒れかかってくる。

 受け止めてやると、こいつは実に軽い。


「はひぃ、びっくりした……。もう、村越君いきなり引っ張るのやめてよね」


 少し膨れて俺を見上げる黒沼。

 だが、何故だがその顔が段々赤くなってきて、ちょっと距離を離した。

 うーむ……何故黒沼は、いつもいい匂いがするんだろうか。

 俺の身体にぶつかってきた感触も、想像していた痩せた身体の硬いものではなく、それなりに柔らかかった。


 まあいいか。

 俺は考えるのを止める。


 自室は階段を上がりきってすぐ。

 隣が姉の部屋だ。

 扉を開けると、八畳程の広さの部屋がある。

 これは同年代ではかなり広い方らしいが、俺にとっては手狭だ。

 様々なトレーニング機器が運びこんであるからだ。

 部屋の中央にはサンドバッグもある。プロ仕様の本格的なやつだ。

 黒沼が目を丸くするのが分かった。


「なんか……僕の想像と全然違ってた」

「思ってた以上に脳筋な部屋だろう。だが、体を動かすのはいいぞ。何も余計なことを考えなくなるからな。……それに、目標が果てしないから、これでも足りないくらいだ」


 すべての機器をローテーションで使っている。

 全身の筋肉を必要量まで鍛え、それを維持するためだ。

 俺の身体はまだ成長を続けていて、身長の伸びこそゆっくりになってきたものの、骨格そのものがガッチリとした体格に変化してきている。

 その肉体につくべき筋肉も変わってくるというわけだ。

 師匠に言わせると、俺は秀才タイプだが、間違いなく最後には姉よりも強くなるそうだ。

 姉は天才タイプだが、天井が見えているらしい。


『まあお前が本気でやりゃぁ、三十になったころには俺とそれなりにいい勝負ができるかもしれんな』


 とか言っていた。あと十五年か。遠い。


「ねえ、村越君、やってみてもいい?」

「おお、いいぞ。だけどこのままだと、黒沼にはピクリとも動かせないと思うが」

「そんなことない!」


 俺の言葉を挑発と受け取ったか、またぷっと膨れて黒沼が機器の一つに腰掛けた。

 ラットマシンというやつだ。こいつで部屋のかなりの範囲を埋めている。余剰パーツが幾つかあって、組み替えて様々な筋力トレーニングに応用できる。

 親父の会社の商品だ。

 黒沼も早速挑戦してみたようだが、やり方が分からないらしい。

 俺は腰掛け方、錘とワイヤーで繋がったグリップの引き方を教える。

 錘の量は少し考えて、平均的な成人女性くらいの重さにしてやった。


「いくよっ」


 黒沼が張り切った様子で叫んだ。


「ふぬっ!」


 ちょっと錘が動いた。

 グリップの付いたバーが胸につくくらいまで引っ張るのだが、少し下に下がっただけだ。

 黒沼の腿の上にストッパーがあり、立ち上がれないようになっているから、体重をかけることも出来ない。

 黒沼はしばらく顔を真赤にして頑張って、すぐに俺に向かって情けない顔を見せた。


「まあ初めてだしこんなもんだろう」


 鳥の巣頭をなでてやった。

 その後、チンニングからラットマシンを組み替えたケーブルマシンを使っての、ケーブルクランチ(腹筋)、ケーブルフレンチプレス(腕筋)、ケーブルトウレイズ(脚筋)などをやらせてみたが、実に黒沼らしい結果となった。


「ああああ! 僕は自分が情けないよ!」


 大いに嘆く黒沼である。

 そんな非力なところも可愛いやつだ。


「黒沼……人には向き不向きというやつがあるのだ。きっと黒沼はマンガを描くことに全ての力を注いでいるに違いないぞ」

「そ、そうかなあ。でもこう、僕としてはせめて女の人の平均くらいは……」


 男の矜持が許さないというやつだな。

 俺達がそんなことをやっていると、料理が出来上がったらしい。

 香ばしい匂いが漂ってくる。

 姉からもお呼びがかかったので、俺と黒沼はリビングへ向かった。


 黒々とした揚げレバーらしきものが鎮座している。

 山盛りだ。なんと男らしい料理だろう。

 ごま油の香りが香ばしい。振りかけられた白ゴマの色彩も映える。

 目の前には白飯が用意されている。

 ガッツリ食えということか。


「ゆ、夕ごはん食べられなくなりそうだなあ」

「俺が後で送ってくから、その時にお前んちに説明するわ」


 結局、そのレバー料理はなかなか美味しかったわけである。

 にんにくやら生姜やらで下ごしらえされていて臭みは抜けているし、カラッと上がって生臭さも無い。

 ごま油で風味は変わっていて、レバーといえども気にならずにさくさく食べられる。

 ご飯一膳がレバーと合わさってすぐに無くなった。

 お替りを所望する黒沼に、姉が目を細めている。


「いいわあこう言うの。妹が出来たみたい」

「は? 弟だろ?」


 そんな会話をしている横で、黒沼が箸休めのカブ漬けをぽりぽりやっている。


「いいじゃない。黒沼くん女の子みたいだし。あんたも満更じゃないんでしょ」

「はあ!? 俺はちゃんと女が好きなんだよ! 黒沼は俺の友達だぞ!?」

「……あのぅ」


 小さな声が上がった。


「どうした、黒沼?」

「あのさ、村越君は……」


 ここで、姉がわざとらしく台所に退散していった。

 何を気を遣っているんだあいつは。


「村越君はさ、僕がもしも、もしもだよ? 女の子、だったら……どうする?」

「どうするって、お前……」


 いきなりの言葉に、俺は思考停止した。

 黒沼が俺を見上げている。

 隣に座っていてさえ、こいつは小さい。保護欲を掻き立てられるっていうのはこういう事かも知れないな。だが、なんで黒沼が女だっていう例え話になるんだ?


「黒沼は……黒沼だろう」


 少し考えてみて、そういう結論しか出てこなかったので素直に答える。


「黒沼が女だって、すげえマンガを描く黒沼であることには変わりは無いし、俺の友達だっていうことも変わらないだろうな」

「本当!?」


 パッと黒沼の表情が輝いたように見えた。

 俺との距離を、少しだけ詰めてくる。


「それじゃあ、僕は、近いうちに村越君に教えたいことがある。ううん、村越君にしか教えられない事がある」

「そ、そうか……」

「うん」


 見つめ合ってしまった。

 黒沼の口の端についていた、レバーの欠片が気になったので、指で取ってやった。

 なんとなく食べる。


「あっ!!」


 黒沼が真っ赤になった。

 な、なんだなんだ!?

 台所から視線を感じて振り返ると、気持ち悪い笑みを浮かべる姉がじっと見ている。

 一体全体、なんだって言うんだ!?

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