夏2
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教室では、気が早いものが既に推薦入学という話をし始めている。
二年次から三年次の内申書で、在学中に次の高校への進学を決めてしまうのだ。
女子達の人気は城聖学園という学校らしいが……どうやら、姉が通っている同名の高校とは違うキャンパスらしい。
制服が可愛いのだとか。
「僕も推薦受けないかって言われたよ」
下校時に黒沼が言う。
もう既に夏服になっており、こいつは夏服になると、線の細さが際立つ気がする。
その気は無いのだが、むき出しになった首筋とかが綺麗過ぎる男はいかがなものか、なんて考えてしまうのだ。
中学の夏服は、白いワイシャツと夏用の黒いスラックス。
黒沼はそれなりに厚いシャツを着ているのか、ワイシャツの下の肌が透けていない。
その辺に無頓着な連中など、透け透けなのだが……って、俺は何を期待しているのだ。
相手は男だ。
「村越君?」
「いや、なんでもない。そうか、黒沼が推薦入試か」
「うん。でも、私立の推薦なのに、すごく入るのが難しいんだって。毎年優秀な成績の子が行くけど、そういう子に限って落ちて、あまり優秀じゃない子だけど、ちょっと変わった子の方が受かるって」
都市伝説だけどね、と黒沼が笑う。
俺は、姉がこの推薦入学の話を蹴っていたのを知っているので、この話には信憑性があると感じていた。
あの姉は間違いなく変わり者だ。
「黒沼は受ける気なのか?」
「うん。ここから離れた学校になるし、環境もいいって言うから……。それに、僕って例年受かってる生徒と凄くタイプが近いんだって」
「かもしれないなあ」
「それでね、村越君。…………僕、村越君には、この高校受けて欲しくて」
俺は目を丸くした。
俺には推薦がどうだという話は来ていないのだが、俺は比較的、実践型の勉強スタイルだと思っている。
内申書は悪くないが、テストに強いのだ。苦手教科は無い。
なので、試験のほうがいい結果を残せるだろう。そういう理由から、教師は俺を推薦対象から外しているらしい。
そして現在、俺には希望する高校は無い。ぶっちゃけどこでもいい。
「分かった。城聖学園か。志願書を出してみるよ」
「本当!? 嬉しい!! ……じゃあ、いよいよ、村越君には教えないと、だね……」
黒沼が何かを決心した顔になった。
そんな強い思いを秘めた表情、出会ったばかりのこいつはしなかったな、なんて思う。
俺が力尽くで止めているとは言え、まだ完全に、こいつへの嫌がらせは止まっていない。
俺が見つける度に、証拠を集め、嫌がらせをした奴を徹底的に追い詰めているのだが、それでも止まらない。
あれか。
こういういじめをする奴は学習能力が無いバカなのか?
「村越君?」
「あ、悪い。また考えこんでた」
「ううん、あのね、来週から夏休みでしょ」
「ああ」
そうだ、もうそんな季節なのだ。
道理で暑いはずだ。
「城聖学園は、夏場はプールを開放して一般の人も泳げるようにしているんだって。一緒に行こう」
「黒沼がプールか? 大丈夫なのか?」
黒沼は水泳の授業を必ず休んでいる。
体質的な問題で、という話だったが、遊びでプールに入るのはいいのだろうか。
「うん。それにも理由があるんだ。その時に教えるね……」
「分かった。俺は夏休み、自主練くらいしかやること無いしな。一緒に行くぞ」
「やった! そ、それじゃあ、僕は多分衝撃的なことを言うから、心の準備をしておいてね」
「お、おう」
俺はちょっとたじろいだ。
妙に黒沼が迫力がある。
一体何を俺に告白しようと言うのだろう。愛の告白だろうか。いや、それくらいなら別に俺は困らない……いやいや、俺は女が好きなのだ、男が好きなのではない。
悶々としながら黒沼を家に送り届けて、手を振られながら自宅へ帰った。
「……なんてことを黒沼が言うんだ」
「愛の告白ね」
夕食時、姉に相談したのだが、こいつに相談した俺がバカだった。
そんな愚にもつかないような返答が返ってくる。
「あら、龍は好きな子でもできたのかしら」
「いやいや、そんなんじゃないから。由香も茶化すのやめろよ」
母が首を傾げて問うので、慌てて否定する。
「でも、黒沼君とあんたは親友同士でしょう。なら、真摯に聞いてあげるべきじゃないかしら」
「そのつもりだけどな。あそこまで構えて伝えてくる事って一体なんなんだろうって思って」
「んー、私は大体想像がついているけれどね」
「何だよ、それは」
「それこそ黒沼君から聞かないと、義理ってものが立たないんじゃない?」
俺はぐぬぬ、となった。
そして、運命の日まで悶々として過ごすことになる。
嫌になるくらい快晴の日だった。
8月1日。
到着したプールは想像していたよりも遥かに大きく、城聖学園というこの辺鄙な場所にある高校が抱える、370人という生徒数から考えると、明らかにミスマッチだった。
いや、この高校、全ての設備が大きく、豪華に見える。
俺は、何故かプール入口で黒沼と別れ、首を傾げながら着替え、こうしてプールサイドに立って考え込んでいる。
すると、きゃっきゃとはしゃぐ女の子達の声が聞こえて、俺の背中辺りに柔らかいものが当たった。
「あっ、ごめーん! こら、心葉ー! 押すなよー!」
「いや、俺は別に……」
振り返ると、黒沼より少しだけ背の高い女子がいる。
肌色は小麦色に焼けていて、髪が短くてややボーイッシュな印象だ。だが、何よりも視界に入ってくるのは、その大きく盛り上がった胸元である。
むう……。
「ふっ、勇太は鈍臭いのです」
その後ろから、彼女によく似た少女が姿を表した。胸は小麦色の女子よりも小さい。
こちらは色白だ。だが、その足運びを見て、俺は少しだけ緊張する。
いや、俺の背中にぶつかった女子も合わせて、明らかに細かい身のこなしが常人のそれではない。
特に、あとから来た色白の方。恐らく俺より強い。あるいは姉よりも……?
なんだなんだ。
「じゃあ、ごめんね! ばいばーい!」
「お、おう」
だが、そんな俺の視線なんか気にもせず、彼女たちは騒ぎながら去って行ってしまった。
一体何だったというのだろう。
俺が振り返った姿勢で固まっていると、
「村越、君」
声がかかった。
黒沼のものだ。
「おう、黒沼、ようやく来た……か……?」
目の前にいるのは、シンプルなワンピースタイプの水着を着た女子だった。
背が低く、身体の凹凸もあまりない。手足は華奢で、折れてしまいそうだ。
彼女の首から上には、俺のよく知った顔がついている。
最近、雰囲気が変わってきた親友の顔だ。
「黒沼、か? な、なんで女の格好……」
「見て。僕……女の子になってしまったんだ……」
俺の視線は、すっと下に向いた。
胸の膨らみは殆ど無い。薄い布地を透かし浮く、へその陰影。そして下腹部に……あるべきはずの膨らみがない。
そこは少し盛り上がりながらつるりとしていて、完全に女子のそれだった。
「じ、じっと見ないで……恥ずかしいよ」
黒沼が俺の胸を両手で突いた。
俺は情けなくも、体勢を崩してしまう。
反応できないくらい動揺していたようだ。
そのまま、背後のプールに俺は落っこちた。
「む、村越くーん!?」
大丈夫だ、俺は泳げる。
目の前を、さっき俺にぶつかってきた姉妹が浮き輪に乗って流れていく。
俺は黒沼と二人で並び、プールサイドに腰掛けていた。
「始めは五月だったんだけど……僕がお腹痛くなったの覚えてるでしょ」
「ああ。俺はてっきり盲腸か何かだと思ったんだが……」
「うん、あれで、僕の身体は本格的に女の子になってしまったみたい。すぐに、男の子の方が消えてしまって……先月、村越君の部屋に行った時には、完全に女の子だったんだ」
「お、おお……」
俺は気づかぬ内に、自分の部屋に女子を招き入れていたのか。
いや、これは不可抗力というやつだろう。
最近毎週、レバー料理を食べに来る黒沼だが、きっとあれはこの習慣の第一日目だったのだ。
「村越君」
「なんだ」
「村越君は……僕が女の子になってしまっても、友達のままでいてくれる?」
それは二度目の質問だった。
俺の家に初めて黒沼が来た時にしたものと、示すものは変わらない質問。
俺は迷った。
黒沼が嫌いになるということはない。だが、こうやって目の前で、女になってしまったことを明かされて、動揺しない男などいないだろう。
だが、俺は内心で、揺れる俺自身を叱咤した。
俺は二言を弄するのか? 違うだろう。
「勿論だ。黒沼は黒沼だろ? 俺たちは親友だよ」
その一言で、黒沼は笑顔になった。
おい、なんで泣いてるんだ。
「ありがとう、村越君……! 僕、村越君と会えて良かったよ……! 本当に良かった……!」
黒沼は俺の腕を抱きしめて、ぽろぽろと泣き始める。
や、やめるんだ黒沼。
まるで俺が泣かせているみたいじゃないか。
「あ、心葉、さっきの子が女の子泣かせてるよ。やだねーモテる男は」
「勇太はもう女子の側なんですから嫉妬しない。あ、あ、浮き輪を揺らすのはやめて、水に落ちたら死んじゃう」
外野うるさいぞ。
外見上は黒沼をなぐさめて、こいつの背中を撫でてやっている俺だが、実は心臓が破裂しそうだった。
クラスの女どもと近づいても何も感じないのに、どうして黒沼だとこうなるんだ?
おかしい。
これは何かおかしいぞ。
ばくばく言う鼓動をなんとかなだめつつ、俺は黒沼が泣き止むまで、髪と背中を撫で続けた。
相変わらず、黒沼の髪からはいい匂いがする。
十分ほど経った頃、ようやく黒沼は落ち着いてきたので、それじゃあ泳ごうかということになった。
意外なことに、黒沼は泳ぎが不得意では無いらしい。
クロールやバタフライなどは苦手だが、背泳ぎが得意らしい。
水に浮きながら、少しずつ足で水を蹴り、黒沼が流れていく。俺はその横で、平泳ぎの要領でゆったりと泳いだ。
別に何をするということもない。
俺と黒沼の話題は、体を鍛えることとマンガで全てなので、それらの話題から外れた今のようなシチュエーションはやや戸惑うのである。
何を話していいかわからない。
「村越君」
「お、おう」
「僕が、この学校の推薦受けるから、村越君にもここを受験して欲しいって言った理由わかる?」
「黒沼が俺に秘密を明かしたことが関係しているよな」
「うん。僕、受かったら、この学校に女の子として入学することになる。でも、そうしたら僕のことを知っている人がいなくなっちゃう。それは怖いんだ。だから……」
「ふん、まあ任せておいてくれ。俺は高校なんざどこでも良かったんだが、これで目標ができたんだ」
照れ隠しで、ぶっきらぼうに言ってしまった。
だが、黒沼には真意が伝わったらしい。
やめろ、また泣くな。
なんだか黒沼は、女になったことをカミングアウトしてから、随分涙もろくなった気がする。
参った。
黒沼もだが、俺もそうだ。
一体どういう距離感で付き合っていけばいいんだ?
こんがらがった思考と、隣り合った黒沼の息遣いに、ショート寸前の俺の頭。
俺はしばし脳みそを冷やすため、プールへの潜行を開始したのだった。




