春2
五月。
俺と黒沼にホモ疑惑が出たので、早速噂の元を探りに行くことにした。
疑惑を話していた、海老田と蓬田に迫り、穏便に眼力だけで誰から話したかを聞き出す。
腰を抜かした彼らを背に、次は女達の集まりへ向かう。
北崎と猪瀬と渋谷がキイキイ言いかけたので、じっと目を合わせると静かになった。
穏便に聞き出して次の噂元へ向かう。
まるでわらしべ長者か何かだ。
磯山を辿って大谷へ、そして渡辺。最後に到着したのは佐田のグループだった。
「よう」
俺が声を掛けると、奴らはビクッとして振り返った。
俺がここ最近、ずっと露骨に探りを入れているのには気づいていたのだろう。
「人の口に戸は立てられんよなあ」
「ななな、何のことだよ村越」
「とぼけなくていいぜ。落とし前をつけてくれれば、俺としては許してもいい」
「ぼ、暴力かよ!? お前、今の時期にやったら内申書に響くぞ! 殴るとかありえねえからな」
「ああそうだな」
俺は姉からのアドバイスで導入していたレコーダーを取り出した。
「これに、俺が探った時の会話が入っててな。お前の内申書が心配だ」
ピタリと噂は止んだ。
俺はレコーダーを担任に提出した。
佐田の推薦の話が無くなったらしいが何故だかは知らない。
「安心しろ。俺とお前の怪しい噂は根本から断った」
「……僕は別に……」
「んん……?」
怪しい空気になりそうだったので、話はそこまでにした。
黒沼の執筆は続いていて、マンガはかなり形になってきている。
こいつはこれを、Webのイラストサイトで発表しているらしく、それなりの評価は得ているのだそうだ。
外に、こいつを承認するコミュニティがあるからこそ、黒沼は腐りきらずにやってこれているのかもしれない。
「でも最近は少しだけ行き詰まりを感じてて……」
「うん? どの辺がだ?」
俺はタブレットの中にある、黒沼のマンガを読みながら頭をひねる。
いつも通り、小気味良いアクションと展開。
こいつはこんな文系な見た目にも関わらず、描くものはバリバリのエンターテイメントだ。
男の子が大好きそうなやつである。
「アクション……。ポーズ集とか参考にしてるけど、やっぱりちょっと違う気がして。鏡の前でやってみても、僕だとかっこつかないし……」
「ふむ……」
俺は考えこんだ。
そういえば、明日は師匠がこっちにやって来る頃合いだ。
GWだし、こいつを連れ出すのもいいかもしれない。
「それじゃあ、明日アクションの手本を見せてやるよ。空いてるだろ?」
「う、うん! でも、アクションの手本って……?」
「実際に目の前で動きを見せてやるってことだよ。本物を見ると違うんだろ?」
「……ほんと!?」
黒沼が目をキラキラさせて俺を見上げた。
可愛いやつめ。
こうして、明日、俺は師匠と手合わせをするわけだが、そこに黒沼も連れて行く事になった。
師匠には連絡しなくても良かろう。師匠だし。
俺たちは廊下の窓際に寄りかかって会話していたのだが、黒沼のテンションが一気に盛り上がったところで、いきなりこいつは、
「あつ……」
顔をしかめてしゃがみこんだ。
下腹部の辺りを押さえている。
「……どうした?」
「いた……痛い、痛いっ………!」
突然の腹痛に襲われたようだった。
俺は黒沼を動かさないように抱きかかえると、そのまま保健室へ移動した。
何故なのか、濃厚な血の臭いがする。
黒沼は保健室のベッドに寝かせられると、すぐに担任もやってきて、こいつの親に連絡するということになった。
状況はあまりよろしくないらしい。
俺は教室に戻されることになり、次の担任の授業は自習になった。
黒沼の腹痛は尋常な様子ではなかった。
あれでは、明日の約束など到底無理だろう。
盲腸か何かだろうか。だが、それではあの時の血の臭いを説明できない。
自習時間で騒然とする教室。
窓からぼうっと外を眺めていた俺は、一台の車が到着したのに気づいた。
中からは、小柄な女性と人の良さそうな男性が降りてくる。
彼らは校舎に入って、すぐに黒沼を連れて帰っていった。あれが黒沼の両親か。
息子の一大事に揃ってやってくるなんて、黒沼は大事にされているらしい。
聞いた話だと、年の離れた弟がいるらしいが、今は保育園にでも預けられているのだろう。
下校時、黒沼の家に寄ってみた。
随分時間が経っているから、病院にでも行っていればまだ帰っていないかもしれない。
だが、予想に反して黒沼はいた。
それどころか、一家揃って自宅にいたようだ。
俺を出迎えたのは、黒沼の父親だった。
やや頭が薄くなった人で、いつもにこやかな笑顔を浮かべていそうな印象だった。あまり黒沼に似ていない。
「遥のお友達かい? もしかして、村越君?」
「はい。黒沼は大丈夫ですか」
俺が尋ねると、彼は少々暗い顔をした。
あまりよろしくは無いらしい。
ところが、俺と父親が話している気配を感じ取ったのか、黒沼が奥の方からやってくるではないか。
パジャマ姿で、汗をびっしょりかいている。顔色も悪い。貧血になったやつみたいな顔をしている。
「村越君……! 来て、くれたの……? 嬉しい……」
「遥、寝ていないとダメだろう」
「ごめんなさい、お父さん。僕、村越君と約束してて……。明日、出かけるって」
「黒沼、その話はいい。無理をするな」
俺が言うと、
「良くないよ……! せっかく村越君が誘ってくれたのに!!」
今まで俺が聞いたことが無い声色で叫んで、すぐにクラっと来たらしく蹲った。
慌てて黒沼父が、黒沼を助け起こしに行く。
「ねえ、お父さん、僕明日までには少しは良くなるから。だから、お願い、お父さん」
「分かった、分かったから。今は寝ていなさい、遥……。すまないね、村越君。今日は遥、お話できる調子じゃないから、また今度誘ってくれると」
「はい」
俺は頷き、黒沼の家を後にした。
これは、明日の約束は無理だろうと考えつつ。
夕食時の事だ。
亜香里野にある高校で生徒会副会長を任命されており、次期会長も確定と言われる我が姉、村越由香は俺の話を聞いて唸った。
「龍、あんた黒沼くんを迎えに行きなさい」
「ん? どうしてだ?」
俺はこの二つ年上の姉のことがよく分からない。
教師から、生徒から信頼され、今の地位にいるということは優れた人間なのだろうし、学校の成績だって良い。
スポーツは万能で、およそ弱点と呼べるようなものは見当たらない。
あまりに完璧過ぎて、男の腰が引けてしまい、恋愛とは無縁なくらいだ。
「勘よ。今回を逃したら、また師匠は数ヶ月戻ってこないわ。数年かもしれない。だけど、あんたが黒沼君と知り合った時に師匠が帰ってくる。これはめぐり合わせだと思うのよ」
「勘……ねえ。そんなものかね」
俺は良く分からない、と言った風を装っていたが、反面、姉の勘が実に良く当たる事を知っていた。
なんとかして、あの体調がすこぶる悪そうな黒沼を連れ出さねばなるまい。
そもそも、外を歩けるのか?
「タクシー使いなさい」
「なんだと?」
「ほら、お金は私が出してやるから」
「……何を考えてるんだ?」
「知らないわよ。ただ、今はこうしたほうが良いって気がするだけだわ」
「分かった」
俺は大人しく従うことにした。
俺は、師匠と付き合い始めてから、反抗期とかいうやつが一瞬で終わってしまった。常識を外れた強大なものを目の当たりにしてしまったので、急に冷めてしまったのだ。
俺は一体、何に対して反抗していたのだろうと。
そんなわけで、俺は姉の言葉に疑問を抱きはするが、彼女がしてくる提案には、俺に対する悪意などあろうはずも無いので、最終的には従うことになる。
恐らくこのタクシー代の見返りは、後に要求される事になるだろう。
だがそれはその時の話だ。
俺達がタクシーを降りると、その男は目を丸くした。
一見すると浮浪者のように見える。
ぼろぼろの衣服に帽子を被り、古びたリュックを傍らに置いて、ワンカップ酒なんかを飲んでいる。
ここは路地裏。ストリートって奴だ。
都心ほど闇は深くなくて、どちらかというと寂れた商店街跡。
「なんだなんだ。随分お大尽様じゃねえか」
男のたくわえている髭は真っ白である。
その癖、髭の間から見える肌は艶々として若々しい。
この男が、師匠だ。一体何歳なのかは分からない。
「見学者を連れて来たんだ。だけど体調が悪くてな」
「調子が悪いってんなら休んどけ」
言いながら、師匠は目を細めた。
俺の後ろから青い顔をして降りてくる黒沼を、じっと見ているようだ。
ちなみにタクシーの助手席には黒沼の母親が乗っていて、この付き添いがあって始めて、黒沼の連れ出しが許可された形だ。
「玄神の臭いがするな」
師匠は多分、笑ったのだろう。髭に隠れてよくは分からないが、そう言う声色になった。
「いいだろう、見ていきな。ところでチビ、あれは持って来たんだろうな?」
「あれ?」
黒沼が首をかしげる、
昨日よりは調子がいいようだ。顔が青いのは貧血のせいらしい。何故貧血なのか。
「酒だよ。師匠は酒が好物だからな」
俺はカバンの中から、焼酎が詰まったペットボトルを取り出した。3リットルは入っているから、師匠なら一日は持つだろう。
俺が取り出したものを見て、師匠は相好を崩した。
そそくさとやってきて酒を受け取ると、その場で蓋を開けてラッパ飲みする。
40度の焼酎を水みたいに飲む。
「ぷはぁっ、これこれ、この安っぽい味が堪らねえな。よし、チビ。俺の気分も良くなって来た所で、手合わせ行くか」
「おうよ」
俺は黒沼と母親を傍らに待たせると、師匠の後を追った。
二人から見える、人気の無い路地。
そこで俺と師匠が向かい合う。
もう、身長は俺のほうが高い。出会ったばかりの頃は、俺が小学校の中学年だったから、師匠は俺をチビと呼んだ。何故か今でもチビ呼ばわりだ。
「来いよ」
師匠が隙を作った。息を吐いて、視線を散らしたのだ。
俺は誘いに乗った。
踏み込んで突く。プロボクサーのジャブくらいの速度はあるはずだが、それは余所見をする師匠にかわされる。
微妙に打点を変えながら、突きを連続する。
師匠は一度も視線をこちらに合わせぬまま、それら全てをかわし続ける。
合間を縫って、一撃が遡ってきた。いい塩梅で脱力された拳。
こいつに胸を打たれて、俺は吹き飛んだ。冗談みたいに吹き飛んだ。
背後にあったゴミ箱に追突するが、俺は膝をつかない。そのまま立ち上がる。
「おお、タフになったな。今ので普通に立ち上がるあたり、大陸でぶっ飛ばしてきた軍人より強いぜお前」
軽口に付き合う暇は無い。
俺はまたすぐさま間合いを詰めて、今度は蹴りを繰り出した。
普段は実戦形式のこの手合わせで、蹴りなど絶対使わない。足をとられれば最後なのだ。お互い立ち会って蹴りなどナンセンスでしかない。
だが、この構図は見せておきたいのだ。俺の視界の端で、一心不乱にスケッチをするあの小さい友人に。
師匠はニヤリと笑った気がした。
俺の意図に気付いたんだろう。
師匠も俺に倣って蹴りを出した。いや、冗談みたいな蹴りだ。
俺の回し蹴りの上に飛び上がり、回転しながら蹴りこんでくる。
俺は慌てて体の回転を早め、頭を下げてそいつをやり過ごした。背後に俺を飛び越えた師匠が着地する。
アクション映画かよ……!?
俺はすかさず、裏拳で着地際の師匠を狙う。
そいつは、振り向かずに放たれた師匠の後ろ蹴りで受け止められた。むしろ、蹴りの勢いが勝り、俺は体勢を崩される。
すると、ピタリ。
首元に師匠につま先が触れた。
終了だ。
「いや、蹴りの縛りってのもたまには面白いもんだな! どうだ嬢ちゃん、参考になったか?」
師匠が黒沼に向かって声をかけた。
嬢ちゃん? 何を言っているんだ。黒沼は男だ。
黒沼は師匠の呼びかけに、慌てた様子を見せた。
「あ、あ、あの、あり、ありがとうございますっ」
黒沼がめくるスケッチブックは、かなりのページが消費されていた。
ラフなんだろうが、俺達の動きをかなりスケッチしたらしい。後でその活写図を見せてもらおう。
ちょっと楽しみだ。
その後、師匠は黒沼の母親と少し会話したようだ。
何故か母親はホッとしたような表情をしていたが、一体何を話していたのだろう。
俺はといえば、興奮した黒沼に捕まってアクションの解説をさせられていた。
師匠が放った動きの一つ一つは記憶している。後で自主練習と、イメージトレーニングに使うのだ。
今回は蹴りでの手合わせと言う初めての体験をした。
とりあえず、出来るだけそれを言葉に直して、どういう動きをしたのかを伝えていく。
黒沼は目を輝かせて、俺の説明した動きを紙の上に描いていった。
さらさらと生み出される曲線が、あっという間に俺と師匠の動きをなぞった絵に変わっていく。
意味の無い線を意味のある線に変える。
間近で見ていても、魔法のような光景だった。
やはりこいつは凄い。
「ありがとう、村越君。本当に凄かったよ! 僕、一生忘れない!」
大げさな。
俺は笑った。
興奮に頬を赤らめた黒沼は、さっきまでの貧血顔が嘘のようだ。
まだ体調は悪いのだろうが、ここに連れてきて良かったと思った。
だが黒沼よ。ちょっと距離が近いんじゃないのか。
俺は、密着するこいつの体温を感じて、そう思ったのだった。