春1
10/29 12:37 修正
10/29 18:56 誤字修正
そいつと出会ったのは、中学三年の春で、あまり芳しくないほうの評判だけは耳にしていた記憶がある。
芳しくないと言っても、不良生徒と言う訳ではない。
教師達の受けもさほど良くはないだろうが、成績はそこそこ。
数学だけ壊滅的だが、赤点ほどではないし、中学では落第点みたいなものはない。義務教育バンザイだよな。
席順は、男、女、男、女、男、女 となっていて、前から後ろへ五列。
女の席を挟んで向こうがそいつの席だ。
そいつは男なんだが、多分このクラスの女の誰よりもチビだった。
髪の毛はモジャっとしていて、天然パーマというやつだろうか。メガネをかけていて、ひどい乱視持ちらしい。上から覗いたメガネのレンズは分厚かった。
ぶつぶつ独り言が多くて、いつも上を見上げながら何か言っている。
かと思うと、一心不乱に何かカリカリ描いている。
それが、黒沼遥という男だった。
あいつの方も俺を知っていたらしい。
俺は穏健派を自称しているが、二年の時に、校内に侵入した不審者を撃退してから、武闘派と思われている。
ちょっと珍しい格闘技を、姉に釣られて習っていただけなのだが、性に合っていたらしい。そいつは俺の身体に馴染んで、こういった時に力を発揮してくれる。
そんなこんなで、俺に喧嘩を吹っ掛けようなんて奴は校内に居ない。
郊外では俺の評判が広がっていたらしくて、腕自慢らしい中高生が俺に喧嘩を挑んできたが、とりあえず素人なんてのはどれだけ鍛えてもハムスターを相手にするのとそう変わらない。むしろでかい分だけ当たりやすくて楽だ。
そういう連中を片していたら、いつの間にか亜香里野市最強の中学生みたいに言われるようになって、その呼び名は実に気恥ずかしい。止めて欲しいものだ。
とまあ、そんな理由で俺は有名なのだ。
別に黒沼が俺の事を知っていても、不思議ではない。
っと、黒沼遥の話題に戻ろう。
ある時、俺はそいつのやっている事に興味を抱いて、上から覗き込んでみた。
すると、黒沼はサッと描いてるものを守るように抱きかかえて、警戒した目で俺を見た。
後で聞いた話だったんだが、黒沼はこのクラスに来る前、男どもからも女どもからも総スカンを喰らい、いじめられていたらしい。
この時に見せた警戒も、そんな経験から来たんだろう。
黒沼に対するいじめは一時期結構エスカレートしたらしく、保健室登校などもしていたらしい。
だが、このクラスになってから、黒沼に対するいじめは鳴りを潜めている。
それはそうだ。俺が目を光らせている。
そんな下らないものを見ると反吐が出るのだ。ただでさえ大して美味くない給食が更に不味くなる。
男は、俺が睨むと半笑いで必死に距離を取った。
女は最初、俺が女に手出しできないだろうと高をくくって高飛車に来たが、ちょっと力を込めて睨んだらそのまま腰を抜かして早退していった。
その女は未だに俺に目を合わせやがらねえ。
師匠曰く、俺は目に殺気を込めるのが天才的に上手いらしい。
喧嘩の相手もひと睨みで腰砕けにするから、だいたい勝負にならない。
そんな俺よりも遥かに弱い連中が、自分よりも弱いから、もしくは受け入れられないタイプのキャラだからと、黒沼をこぞっていじめているわけだ。
許せるわけが無い。奴らに他人をどうこうする資格はない。
……ということで、俺のクラスは表向きは平和に保たれているわけだ。
俺の治安維持能力を知っているから、担任もこのクラスに黒沼を招いたのだろう。
ところで、俺は動体視力にも自信がある。
野球部連中が投げるストレートなら、投げた後に余裕で反応できる。
だから、黒沼が必死に隠したノートの中身もバッチリ見えてしまった。
「黒沼、お前……」
「な、なに、村越君」
「……恐ろしく絵が上手いな」
俺は久方ぶりに呆然、とい感情を抱いていた。
そう、黒沼遥はマンガを描いていた。
それも、とんでもなく上手かったのだ。俺の中での黒沼という人物評価が、大きく変化した。
よく分からないが、いじめられっ子で変なヤツから、マンガが上手いヤツに変わったのだ。
俺は絵心など無かったので、この、俺に無い能力を持った男に、単純に敬意を抱いた。
「黒沼。俺はな、絵が上手い奴は尊敬することにしている。今度、書いたものを見せてくれ」
俺は真剣そのもの。黒沼の目を見て、言った。
あいつは俺の目を見て、一瞬怯えた顔をしていたが、すぐに俺の本気を理解してくれたらしい。
「うん、分かった。僕の描いたマンガ、今度持ってくるよ」
主だった内容は、パソコンで描いているらしい。
俺は休日に黒沼と会う約束を取り付け、あいつがタブレットPCに入れてくるという自作マンガを、楽しみに待つことになる。
「村越、お前なんであのキモいヤツと話してるんだよ。あんまり絡むとお前もハブられるぞ」
佐田という、前のクラスから一緒だった男が声をかけてきた。
俺が黒沼と喋っていたのを見たらしい。
良くも悪くも、噂や風聞に敏感な男だった。
黒沼遥をハブるのは、この学年のそれなりに広い層の人間たちの間では、暗黙のルールである。
……くだらねえ。
「なら、ハブった連中をブチのめす」
俺が半笑いで言うと、佐田は哀れなくらいに真っ青になった。
冗談だ。師匠からも、同年代の人間を絶対相手にするな、色々な意味で再起不能にしちまうぞ、なんて言われている。
そんな事を言う師匠は、浮浪者みたいな成りの癖して馬鹿みたいに強い。
俺よりも強い姉が子供扱いされるレベルで、恐らくそれでも本気の欠片も出しちゃいねえ。世界は広いのだ。
反面、そんな師匠とクラスの連中を比べると、上のレベルと下のレベルの差に愕然とする。
こいつらは、本当に弱い。黙らせるのに、拳を振り上げる必要すら無い。
だから俺は、この歳でそれなりに悟ってしまった。力なんてものは、ある程度持ってしまえば、もう意味は無いってことをだ。
現代社会では、存分に俺が持つ力を振るえる場所など無い。あるとすれば戦場だろうか? それこそバカバカしい。
俺はある程度才能もあり、努力の結果もあり、並の奴では相手にならないほどの強さを得た。得た結果、その力を使わないようにしなければいけなくなった。
無意味な力だ。
……だからこそ、マンガが上手いっていう黒沼は俺にとって尊敬の対象になるのだった。
アレは凄い。
俺がどんなに力を振るっても、届かない力だ。
その日から、黒沼に対する陰湿な嫌がらせは無くなった。
俺が下校時、黒沼と一緒に行動するようになったからだ。
見下ろすと、こいつの天パ頭が目に入る。
見事な鳥の巣だ。
時折、手を突っ込んでくしゃくしゃすると、しっかりシャンプーとリンスが効いていていい匂いがする。指通りも実にいい。
「ちょっ、やめっ、やめてよ村越君!」
黒沼は嫌がる風だが、本気じゃない。どこか嬉しそうだ。
「なあ、黒沼。ノートに書いた分だけでもいい。見せてくれないか。俺は気になって気になって死にそうだ」
「うーん、だって、あれはラフみたいなものだし、本当に描くやつのネーム原稿なんだよ? だからそんなに上手いわけじゃ……」
「よく分からんが、それでもいい。頼む、見せてくれ」
俺が頼み込むと、黒沼はえへへ、と照れ笑いを浮かべて、カバンからノートを取り出した。
この頃には、俺は随分と黒沼と近しくなっている。
俺はノートを受け取り、ページをめくった。
そして圧倒される。
動きのあるアクション。見開きの大ゴマ。大見得を切ってのシーン。
プロのマンガに比べればまだまだ荒削りなんだろうが、そいつに俺は、確かに才能ってやつを感じた。
俺なんかよりもずっと、黒沼は大した奴なのかもしれない。
「これは凄いな」
俺が立ち止まって熟読を開始すると、黒沼は慌てて俺の学ランを掴んで揺さぶった。
「やめてよお、こんなところでじっくり読むのー! 目立つじゃん、恥ずかしいよお!」
むむっ、じゃれついてくる。可愛いやつめ。
俺は、40センチ近い差がある黒沼の頭をまた撫でる。
俺の背丈は180センチあるが、黒沼は142センチ。小学生並みだ。
だが、内に秘めた才能はでかい。俺が保証する。
俺たちが仲良くやってる姿を見て、何か思う連中はいるらしい。
特に三年の男たちと女たちは物言いたげにして通り過ぎるヤツが多いが、何も言わせない。
俺がいるからだ。
いじめなどする連中は、どうして黒沼の凄さに気付かないのだろうか?
おかしいんじゃないか?
一緒に下校する日々が続くと、黒沼の家が、俺の家からそう遠くないことに気付くことになる。
徒歩で10分というのだから、充分に近所だ。
まあ中学の学区内なのだから当然か。私立でもない公立中学なら、クラスメイト全員が近所でも驚かない。
俺は黒沼を家に送り届けると、その足で自宅へ帰った。
ノートはありがたく借り受けた。俺の部屋でじっくりと読もう。
高校で生徒副会長様なんてものをやっている姉は、多忙で未だに帰って来ていなかった。
好都合。
自宅のリビングでじっくりと読ませてもらおう、未来の大マンガ家様の作品を。
以前に約束していた、タブレットPCのマンガを見せてもらうという、約束の日。
黒沼と待ち合わせた時間になった。
俺は時間丁度に到着するように家を出ていたので、待ち合わせ場所には一分一秒遅れずに到着したはずだ。
だが、先に黒沼が来ていた。
妙にめかしこんだ格好である。高そうなセーターを着ている。
デートじゃあるまいし、張り込み過ぎだろう。
「や、やあ村越君」
「おう、待たせたみたいだな黒沼」
「ううん、僕も今来たところだよ」
このセリフもデートみたいだな。待たせた俺が女役か?
とりあえず、俺たちは近くのコンビニでジュースや菓子類を購入、公園にやってくると、ベンチに腰掛けながら約束のブツを拝見することにする。
黒沼はタブレットPCを起動すると、内部に収まっているマンガ描写ソフトを使って、描きかけのマンガを見せてくれた。
「まだ描いている途中なんだけど……」
「おお……!!」
俺は感嘆の声を漏らしてしまった。
そこには、俺が読ませてもらっていたノートの鉛筆画ではなく、強弱のある、力強いタッチで描かれた、確かなマンガが存在していた。
ノートにあった黒沼の絵で間違いない。しかも、あのネームから、内容が少し変わっている。
「ストーリーは一緒なんだけど、見せ方を変えてるんだ。このシーンとか、アップよりは少し引いた方がいいかなって」
「ああ、迫力が増しているな」
俺は湧き上がる興奮を抑えきれぬまま、何度も指をスライドさせた。
有意義な時間だった。
俺の中で、黒沼遥という男を尊敬する気持ちが一層強くなる。
「黒沼、お前は凄いな……。恐らく、俺が見てきた奴らの中で二番目……いや、ひょっとすると一番凄いかもしれん」
一瞬、師匠の事が脳裏に過ぎったが、あれは凄いが人間的にダメだと断じて黒沼を上位に持っていった。
黒沼は少しの間呆然としていたが、すぐに赤くなって照れ笑いした。
「そ、そんなあ。僕なんて大したこと無いよ、もっと上手い人は幾らでもいるし」
「でも、俺の目の前でこのマンガを見せてくれてる黒沼遥はお前だけだろ? だからお前は一番凄いと俺は言うんだ」
俺は真剣だった。
見る人が見れば、告白にしか見えないような真剣さだ。
いや、ある意味告白か。
だが俺は別に男が好きなわけじゃない。
普通に女が好きなんだ、多分。
だから、黒沼。目を潤ませて俺を見るのをやめてくれ。




