函館から洞爺湖 助手席のワンピース(その2)(北海道編④)
第4章 -幻になったカニめしとサミット-
「さてと、五稜郭の星も拝んだことだし……いよいよアレを食べに行くぞ!」
「よし、リーザ・チャチャへゴー!」
早足で星型要塞を散策し、どこか現実離れした空気をまとう彼女を連れて、俺たちは再びリーザ・チャチャに乗り込み、一路北へと車を走らせた。
だが、ここからが苦難の始まりだった。
函館を抜け、国道5号と国道277号のふたつの主要幹線が合流する地点に差し掛かると、そこには想像を超える大渋滞が待ち受けていた。車が溢れかえり、ピクリとも動かない。
このノロノロ運転のペースでは、今日中に目的地へ着けるかどうかも怪しい。焦る俺をよそに、助手席の彼女は窓の外の景色を眺めているだけだった。
「なあ、北海道に来た最大の目的の一つを覚えているか?」
渋滞のイライラを紛らわすように、俺は叫んだ。
「おしゃまんべのカニめしだろ!俺はあれを食うためにここまで走ってきたんだ」
ようやく渋滞を抜け、道沿いに「カニめし」の大きなのぼりがはためいているのが見えた。
そこには「ながまんぶのカニめし」と書いてある。
「……ん?ながまんぶ?」
「パクリかよ!」
「パクリじゃない本物の、おっ…おしゃまんべに行ったら、ドライブインに停まろうぜ!」
「そうだ、この旅の目的の1つだもんな」
俺たちはカニめしにありつく期待に胸を躍らせるが、それと同時に、ここで時間ロスしたら、今日中に苫小牧までたどり着けないかもしれないというジレンマが、頭を過った。
「なあ……シバ」
「うんだ?」
「日のあるうちに苫小牧のキャンプ場に着けるか?」
「無理だろうな。今、その手前にキャンプ場が無いか探しているところだ。洞爺湖畔なら、良いキャンプ場があるが、室蘭の手前なんだよ」
ふとドライブインの駐車場を見ると、大型トラックが何台も停まっていた。こうした大きなドライブインなら、室蘭方面へ向かう長距離トラックが止まっているかもしれない。
「なあ……」助手席の彼女に切り出した。
「悪いけど、今日中に室蘭には着かないかもしれない」
言葉を続けにくかったが、思い切って切り出す。
「でも、こういうドライブインなら室蘭行きのトラックが見つかるからさ、そこで俺たちの車を降りて、室蘭行きのトラックに乗り換えた方がいいんじゃないか?」
「そうだな。夜になっても走るトラックの方が確実だし、俺たちは野宿だからさ……」
しかし、彼女は首を横に振った。
「私、野宿で構わない」
「いや、こっちが構うんだって!」
そんなやり取りをしながら、目線を道路脇ののぼりに戻す。
「おしゃまんべは、まだ先かな?」
リーザ・チャチャは軽やかにそのドライブインを通り過ぎて、国道三七号へ入り、ロードサイドのドライブイン群の脇を車窓がかすめていく。
「おい、見ろよ! 『またきてね。ながまんぶ』って、書いてあるぞ」
「また、『ながまんぶ』? 待てよ……ながまんぶ……? あれ? ながまんべ……。違う、ここが、おしゃまんべだ!」
「なんだって!?」
「おいおい、何やってんだよ!」
「しゃあねぇ、引き返すぞ!」
豪快にUターンを決め、エンジンを唸らせながら慌てて長万部市街へと舞い戻った。
しかし、期待に胸を膨らませて飛び込んだ老舗ドライブインや食堂は、どこも無情にシャッターを下ろし、「本日売り切れ」の看板を掲げている。
車を降りてアスファルトを歩くと、ひんやりとした北国の風が肌を刺す。
周囲を見渡せば、名物「かにめし」の赤いノボリだけが、虚しくパタパタと風に揺れていた。結局カニめしを逃してしまった。
いよいよ夕方が近づき、太陽が沈み始めると、野宿の場所を確保しなければならないという焦りが俺たちを襲った。このままでは室蘭どころか夜の闇に取り残されてしまう。
――この先には室蘭の海水浴場や祝津の公共トイレを使って野宿するという選択肢もあったはずだが、当時の若い僕たちにはそんな土地勘や知恵など微塵もなかった。
結局、彼女をトラックに乗せ換える計画も白紙になり、カニめしにもありつけないまま、俺たちは夕暮れの洞爺湖周辺へと追い込まれていった。
すっかり日の落ちた洞爺湖のキャンプ場に滑り込み、俺たちは暗闇の中を手探りでテントを張るスペースを探し出した。
「......で、初めてのキャンプになりました。夕飯はどうする?」
まず、目についたのは、新潟で買った『稲荷とそばのセット』――。
「おい、これ……焼いたらまだ食えるんじゃね?」
シバが怪訝な顔でそのパッケージを持ち上げて、開けてみたが、瞬間に立ち込めた気配に顔をしかめ、ゴミ袋へと葬り去った。
気を取り直して並べたのは、『佐藤のごはん』2人前に、味違いのレトルトカレーが2つ。さらに、種類の違うカップスープが2つ。箸休めのカップ焼きそばが1つ。
「それぞれ開けて、シェアしようぜ」
そして、足りなければ、食パンとジャム。
コンロの上でフライパンにフィルムを剥がした『佐藤のごはん』を入れ、フライパンの蓋をして蒸らす。その隣でコッヘルで2種類のレトルトカレーのパウチを同時に放り込む。カセットコンロの安定した火力が、狭いテント内を温めていく。
「クッカーに、さらにカセットコンロを持って来たのは、正解だったろ」
パックライスをそれぞれ小皿によそい、一方はスパイシーなビーフカレー、もう一方はまろやかなポークカレーをかける。2種類の異なるカップスープもお湯を張って用意した。
「ただいまより、洞爺湖・ビュッフェ・サミットの開催を宣言します」
「さあ、遠慮しないで一緒に食おうぜ。味が違うから、取り分けて食べて!」
俺が小皿を差し出しながらそう言うと、
「……うん。ありがとう、こんなふうにごはんを並べて食べるの、なんだか、すごく久しぶり」
「え? 家ではあんまり一緒に食べないのか?」
俺が尋ねると、彼女は少しだけ遠くを見るような目をし、か細い声で首を振った。
「ううん、そうじゃなくて……。みんなでこうして、温かいものを囲むのが、とても懐かしいなって思って」
「こっちのカレー、結構スパイシーだな」
「まじか、じゃあ俺は、ちょっとでいいや。こっちのポークを多めに食べる」
「やきそばもあるから、食べ過ぎるなよ」
と、俺たちは妙にハイテンションな立食ブッフェを繰り広げるのだった。
食後に、寝る場所の割り振りを考える。
「布陣はどうする?テントは2人用だぜ」
「寝袋は3つある。こうしよう。彼女と、あと一人は車内で寝袋。で、残りの一人は外のテントで寝袋だ」
ジャンケンで負けたわけでもないのに、なぜか外のテントで寝る羽目になったのはシバだった。
そして――。
夜更け。かすかに、甘い花の匂い。上品で懐かしい香り。暗がりから、ふわりと鼻腔をくすぐる。
昨夜のことを思い出してしまい、彼女の様子を伺ってしまう。彼女と目があった。暗がりの中で、彼女の瞳が微かに光っている。
たまらず話しかける。
「昨夜のこと......どういうつもりだったの?」
言葉が口をついて出た。車内の空気が一瞬で張り詰める。彼女は少しの間、窓の外の闇を見つめていた。
「後悔.....してないわ」
彼女の声は驚くほど静かだった。言葉と同時に手が伸びてきた。彼女の手が、俺の手に触れると、ひんやりと冷たい。
「誰かとこんな風になったことある?」
彼女の問いに、俺は首を振る。
気がつくと、俺たちはまた互いの唇を重ねていた。狭い車内でシートベルトが邪魔だった。
「昨日と同じ匂いがする…」
外は静かだった。テントで寝ているはずのシバの気配も感じない。
遠くからフクロウの声がした。雲の切れ目から、月明かりが車内を照らず。彼女の冷たい肌の感触だけが、この瞬間の現実だった。
◇◇◇
夏とはいえ、北海道の夜明け前は刺すような冷気に包まれる。最低気温は十数度、時には一桁台にまで落ち込む北の大地の厳しさを、あの時の俺たちはまだ何も知らなかった。
そして――。
昨夜の疲労もあり、泥のように眠りこけていた俺の耳に、白み始めた明け方の空気を切り裂く激しい音が飛び込んできた。
ガンッ!ガンッ!ドアを叩く音だ。
「おい、開けろって!開けろよ!」
「……ん、なんだ?」
「北海道の夜なめんな!死ぬほど寒いから、頼むから中に入れてくれ……!」
(続く)




