金沢の日常③ 助手席の紙札(かみふだ)
金沢の日常(夏)編③ -洗車と靴換えっこ-
俺はリーザ・チャチャを走らせてアパートの駐車場へ戻る。エンジンを切り、助手席から家庭教師用のカバンとシバから受け取った写真の束を取り出す。さらに、後部座席に放置したままだった旅行用のボストンバッグ(中身は汚れた衣類)を抱え、薄暗い階段を登って自室へと戻る。
部屋に入り、まず溜まった洗濯物を片付けようと洗濯槽の蓋を開ける。すると、前の洗濯物が、脱水槽の中にそのまま置き去りにされていたことに気づき、慌ててそれをベランダに干す。次に旅行の洗濯物を洗濯槽に入れて回し、その間に風呂に入り、風呂から上がってから、脱水して裸のまま洗濯物を干す。なお、洗濯は1回では終わらず、夜遅くにこれ以上の洗濯は近所迷惑になるため、残りは明日洗うことにした。
洗濯物を干し終わって部屋に戻り、シバから受け取った現像写真を写真帳に収めていく。北海道の壮大な景色や、間抜けな表情の俺の姿を眺めながら、まだフィルムを撮りきれていない自分のカメラの存在を思い出していた。
津軽海峡を渡るフェリーの甲板で、確かにカメラを彼女に向け、シャッターを切ったことを思い出した。あのときファインダー越しに捉えた彼女の横顔を、一刻も早く確かめたくなった。
(――早く残りを撮りきって、現像したいな)
そう逸る気持ちを抑えきれず、部屋の中でカメラを構え、「カシャリ」と無駄に1枚撮ってしまった。
翌朝、リーザ・チャチャのところへ行き、車からシュラフとテントを下ろして部屋へと持ち帰る。さらに、シートの下や隅っこに詰め込まれていたいろいろなものもまとめて回収する。
昨夜に干した洗濯物を取り込み、洗濯竿にハンガーを吊るし、その上からテントを広げて干す。汚れがないかをチェックし、綺麗な雑巾で丁寧に汚れを拭き取る。
一段落つくと、昨夜残しておいた残りの汚れた衣類を洗濯槽に入れ、一気に回す。脱水まで済ませたそれを、テントの脇に干していくが、すべては干しきれず、一部は部屋の中にも吊るすことになった。
ひと通り片付けた後、再びリーザ・チャチャの元へ向かい、バケツとホースを使って念入りに洗車をする。ボディにこびりついた泥や虫の跡を洗い流し、車内も掃除機をかけてすっきりと整えた。傷や凹みがないことを確かめてからワックスをかけると、リーザ・チャチャは見違えるほどピカピカになった。
昼前に近所のスーパーへ出かけて買い物を済ませ、リーザ・チャチャに戻ると、食パン、焼きそば3食パック、牛乳、オレンジジュース、キャベツ半分、卵1パック、豚バラ、パックのハム、ちくわ、キュウリ、玉ねぎといった、空の冷蔵庫を埋めるための食材が詰まったレジ袋2つと、財布とレシートを助手席に無造作に積み込んだ。そのまま車を走らせて部屋に戻る。手早く焼きそばを作って昼食をとる。
午後、洗濯物を畳みながら、今日のコンパの服装を選ぶ。ネクタイを合わせるが、暑いのでやめる。普段はしないベルトを、手持ち3本の中から1本選んで締めてみる。
そこへ、シバから電話がかかってきた。
「もしもし、俺だ。……あのさ、男の方が女子より多すぎになりそうで、悪いけどお前はダイニングバーだけになってしまうわ、すまんな」
「いや、しゃあないな。その代わりダイニングバーで、いっぱい飲ませてもらうぞ」
男の人数が多いと、ディスコは門前払いをくらう。仕方がないと返事したが、受話器を下ろした途端、ため息が漏れた。
(……なんだよ。結局のところ俺は、ただの人数合わせの頭数かよ)
無理したオシャレはやめて普段着で行くことにし、慣れないベルトも外して、サスペンダーを着ける。
夕方、自転車で出かけ、学内に自転車を停める。そこから宮守坂を通って、徒歩で待ち合わせ場所へと向かう。到着すると、そこに同級生の村山と細川の姿があったので声をかける。
「おう、早いな。シバは?」
「あいつ、ディスコの予約に寄ってから直接行くってさ。……って、お前、その普段着で行く気か?」
「いや、男の方が多くなったそうで、俺はダイニングバーだけって聞いたから、これで十分だろ」
指定されたダイニングバーへ向かうと、シバはまだ居らず、店内には、女子5人が集まっていた。
そこへ遅れてシバがやってきて、メンツを見て青ざめる。
「女子が5人?あれ、3人って聞いていたのに……。おい、頼む! やっぱりお前もディスコに来てくれ!」
「は? ディスコは無理って言っただろ」
「いや、今数えたらお前入れて男4人に女が5人なんだよ! お前も知ってるだろ、俺はほら、女慣れしてないからさ……この男女比を俺一人でさばくなんて絶対ムリだ! 自信がないんだよ!」
「頼む、お前がいてくれないとマジで詰むんだ! 服装は今のそれでも何とかなるだろ?」
「服装は大丈夫かもしれないけどよ……あいにく俺の足元はスニーカーだぞ。ディスコのドレスコードで弾かれたらどうすんだよ」
俺はダイニングバーだけで離脱のつもりだったが、結局ディスコにも行くことになった。普段着のままの「俺」でも、靴さえ変えれば何とかなると考え、スーツできっちり決めてきた村山に狙いを定める。
「おい村山、その革靴と俺のスニーカー換えろ!」
「はぁ!? なんだよ急に」
「俺もディスコに行くことになった。さっきお前も気になったように、このままでは門前払いになってしまう」
「う、まあ、学習塾でも着ているような恰好だし、足元さえちゃんとしてれば問題ないか?」
「そういう訳で、靴貸して」
「俺が、スーツにスニーカーって、それじゃただの田舎者崩れじゃねぇか!」
「いいから早くしろ! 時間がないだろ」
渋る村山の足元から、磨き上げられた黒のストレートチップを奪い取る。その革靴に足を突っ込んでみると、サイズがぴったりだった。反対に、村山の足には俺のボロボロのスニーカーが収まる。
「いや、村山。すごく似合いすぎ」
村山と靴を換えているやり取りを聞いていたのか、一人の女の子が声をかけてきた。
「あの……それって、靴換えっこですか?」
シバが想定していなかった女子2人は、看護短大の学生で、女子寮で「女子が少ない」と急遽招集がかかって駆けつけたとのこと。
「急に呼ばれたけど、私らディスコは初めてで……。あの、私達の服装、浮いたりしてないですか?」
声を掛けて来た彼女は少しウェーブがかった肩までのセミロングの髪をハーフアップにし、白いブラウスにフレアスカートという清楚な格好をしていた。健康的な少し日焼けした肌によく映える黄色のカーディガン、足元はローファー。丸顔に瞳をぱちくりとさせながら、不安そうに裾をぎゅっと握り締めている。
もう一人はきりっとした切れ長の目の持ち主で、少し茶色みがかった黒髪をすっきりとポニーテールにまとめていた。アイボリーのシンプルなワンピースに、細めのベルトを合わせている。すらりとした体形に白い肌と相まって少し大人びて見える。
俺もディスコは初めてだったが、何食わぬ顔で平然を装う。
「うん、すごく似合っているし、2人とも良い線だと思うよ」
「本当ですか? 実は来る途中も、緊張するねって話してたんです」
「大丈夫、俺たちに任せろ」
先輩風を吹かせながら、男4人、女5人の一行は、シバの先導でディスコの地下階段へと向かう。
ディスコでは、女性は入場無料、男性のみが入場料を支払う仕組みだった。スタッフの女性は、押し寄せる若者たちの頭数をただ機械的に数え、グループの先頭にいたシバに向けてチケットを手渡す。数えてみると、「10枚」あった。
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私の名はお里佐
入口の店員には私が見えていたのでしょうか?私も含めて10人ね。
ドス、ドスと腹の底を直接叩くような奇妙な響き、地下へ下る階段があの世の入口のように見えました。天井では極彩色の光がぐるぐると狂ったように回り、闇の中で若者たちが身をよじらせて浮かれ騒いでいる。初めて見るこの奇怪な空間に、さすがに私も少しばかり息を呑みました。
けれども、しばらく目を凝らしていると、不思議と見慣れた光景に思えてくる。故郷の室蘭で見たクジラの祭りや盆踊り、提灯の明かりの下で太鼓の音に合わせて泥を跳ね飛ばす若者たち。年寄たちが地酒でくだを巻く姿。いつの時代も、ヒトは見栄も体面も捨てて、こうして大騒ぎしたがる生き物なのね。着る洋服や音楽が変わったところで、人間の本質なんて変わりはしない……これだから、人間というものは、愛おしいのですね。
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(続く)




