奴隷小屋にて
誰かが泣く声。怒鳴る声。何かが激しく暴れる音が響く。一人の座敷牢は周りの音をそのまま拾って私に聞かせてくる。石壁から伝う寒さと相まって恐ろしい音に背筋が凍る。耳を塞ぎうずくまれば鎖が耳元でじゃらり、と鳴った。
母さんも父さんも婆さまも弟も。みんな、みんな死んだのに何故か私はここで生きている。
「お前はきっと高く売れる」
そう言われて、誰かが入った檻を横目に階段を降り、この牢に繋がれた。私がどれだけ抵抗しても、誰かが檻から伸ばした手を踏んでも、足を止めないおじさんが怖かった。出してと叫び、泣けば煩いと怒鳴られ、殴られる。痛くてお腹が空くのに疲れてしまって抵抗するのはすぐに諦めた。
ご飯はおじさんがスープと固いパンを鉄格子の外から私にくれる。噛みきれないパンは塩の味がするスープに浸してゆっくり食べると食べやすい。ご飯を食べている時は、悲鳴も怒鳴り声もなんとなく小さく聞こえる気がして気が紛れる。食べて耳を塞いで目を閉じて、眠けが来るのを待つ。その繰り返しで生きている。寝てしまえば怒鳴り声も聞こえてこない。私だって泣かなくていい。辛くない。だから、なるべく眠っていたい。
「おい、起きろ」
ガシャンキィ
鉄格子が開く音に目を開けば、おじさんが水と綺麗な服を持ってきた。
「客が来る。支度しろ」
おじさんが手枷を外す。手首には赤く跡がついていて、久々に腕が軽くて嬉しい。手拭いを浸して絞って体を拭けば、肌がすぐ赤くなった。本当は髪も洗いたいけれど、畳に水をこぼしたらまたお腹を殴られそうだ。冷たい水での身仕度も、おじさんに見られながら着替えるのにも慣れてしまった。
赤い反物に流れる水の模様がついてる服。帯は黄色の作り帯。派手な見た目の割に薄くて少し寒い。真っ赤な生地と水の模様は新年に着せてもらえた晴れ着を思い出す。特別な日にしか着れない、高価な服。婆さまの婆さまが仕立てた、とっておき。虫干しもできていないそれはもう虫に食われて駄目になっているかもしれないと思うと、悲しかった。
着替え終わればまた手枷がはめられる。ずしりと重たい手枷はひんやりと冷たくて。思い出した暖かい思い出の熱を奪っていく心地がした。
もう何日ここにいるんだろう。窓のないここは、どれくらい時間が経ったのかすらわからない。おじさんがくれるご飯が日に何度なのかも分からないし、眠った回数も二十を過ぎたあたりで数えるのをやめてしまった。家族と新年を祝った日がもうずっと遠くの思い出のような気がする。もう、母さんの笑顔も父さんの声も思い出せない。婆さまが作ったお料理の味も、弟と遊び駆け回った山の風景も、塩の味がするスープと冷たく静かな石壁が記憶の上にのしかかってわからなくなっていた。家に、帰りたい。家族に会いたい。家族はもう生きていなくて、家だってきっとボロボロになってる。
家族のことを思い出すのは息ができないくらいに苦しくて、心がボロボロになってしまうくらい辛くて。思い出から逃げるみたいに目を閉じれば、足音と話し声が聞こえてきた。
「しばらく前に仕入れた上物です。躾は最低限ですんで、旦那様の好みに仕立てられますよ。」
「年はどの頃だい」
「十ほどでしょうか。外の血が混じっているようでして、年の割には背が高く、年齢より上に見える女です。何をうずくまっているんだ! 姿勢を正せ!」
お客さんだ。正座をして前を向くと、背の高い男の人がいた。にこりとしている顔から目をそらせば、皺のないスーツとピカピカの靴が目に入る。手には綺麗な石がはまった杖。高そうなそれを持った人はいかにもお金持ちに見える。
「申し訳ありません。旦那様」
「構いませんよ。躾がいのある品のようだ」
うつむいても男の人が私をじっと見ているのが分かった。すごく居心地が悪い。早く帰ってくれないだろうか。前にきた人は私の値段に驚いて買うのをやめた。私は大きな石のついた指輪を何個もつけるような人でも買えない値段らしい。この人も、そうならいい。
家族を殺して捕らえて値段をつけるおじさんも頭のおかしい人だけれど、その値段を見て人間を物みたいに買おうとする人だって気が違っている。商品と所有物なら、商品のがまだましに思える私の頭も、少しずつおかしくなっているに違いない。
「確かに上物だ。流国特有の色を持ちながら、大きな目と通った鼻筋は外国の様相。肌は透き通るように白い。」
「そうなんです!お気に召していただけましたでしょうか」
「ああ、とても。詳しく話を聞きたいね」
「もちろんです!どうぞこちらへ」
男の人が奥の部屋に案内される。前の前の人もそうだった。部屋から出てこなかったあの人みたいに今日も同じになればいい。私に酷いことをした人たちが私を売ったお金を貰うのはずるいと思う。
そういえば、今日は不思議な匂いがする。体が重たく瞼が落ちる時初めてそれに気がついた。
「おや、眠っているのでしたら丁度いい。このまま連れていきましょうか」
「眠らせたのはあなたでしょうに。責任もって抱えてあげてください」
「力仕事は得意じゃないんですけどね」
足がつかない感覚に目を開けると父さんに抱っこされていた。私と目が合えば父さんは嬉しそうに笑ってくれる。
「重たくなったなぁ」
もう抱っこも卒業かな。そう笑う父さんの服を握り、首を横に振る。
「もう少しだけ抱っこして」
そう言えば父さんは目を丸くして驚いた後、優しい目で笑った。
「分かったよ、俺のお姫様」
心がぽかぽかで心地よくて、ぎゅっと父さんにしがみつけば、ぎゅっと抱きしめ返してくれるのがすごく嬉しかった。父さんは母さんの着物と同じ匂いがした。