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第6話 兆し

明けましておめでとうございます。

2019年はのんびり更新の拙作をお読みいただきありがとうございました。

2020年もどうぞよろしくお願いいたします!

「ヴァルスターの名を汚すな」

「女々しい顔で笑うな。顔を引き締めろ」

「なんだその高い声は。耳障りだ」


 かつての生で、幼い頃から幾度となく繰り返された父の口癖。それは私にとって絶対遵守の戒律であり、呪縛でもあった。


 父の言葉を守っていれば、褒めていただけるのではないか。

 いつかは父に認めてもらえるのではないか。

 私の根底には、そんな願望があったのだと思う。故に私は父の言葉に盲目的に従ったのだ。


 けれど……部屋に入ってきた父の姿に、ふと疑問が過る。

 もし私が男だったとしても、果たしてそのような未来──父に認められ皆に祝福される中、華々しく爵位を継ぐという未来は、訪れ得たのだろうか……?





「体調を崩していたと聞いたが、具合はどうなのだ」

「はい。クリスタル様は葬儀のあと、一週間ほど高熱で寝込まれておりました。昨日ようやく床払いを済ませたばかりでございます」

「ふん、そうか。外見だけでなく、軟弱なところも母親に似たか」


 家令を伴い部屋にやってきた父は、私を一瞥するなり不快げに眉根を寄せた。

 長身痩躯に流行最先端の服を纏い、濃紺の髪を綺麗に撫でつけた一分の隙もない姿。

 普段と同じに完璧な装いに身を包んだ父の姿は、かつての記憶となに一つ変わらない。そう、なに一つ。妻を亡くしたばかりだというのに。

 ……そして、父を前にすると緊張で身体が萎縮してしまう情けない私の姿も、以前となに一つ変わらない。


「今日はお前に伝えることがある」

「はい。お父さま」

「一月後、新しい伯爵夫人をこの屋敷に迎える。つまりお前の新しい母親だ。お前に言ってもまだわからないだろうが、ヴァルスター伯爵夫人の不在は、対外的に印象が悪いのだ」

「……はい」

「それに伴い、この部屋は新たな伯爵夫人の部屋になる。その心算をしておくように」

「……はい。わかりました」

「ハンナ、今週中に部屋を移る手配をしておけ。諸般の手配は家令(ヨセフ)から聞くがいい」

「はい。畏まりました」


 それだけを伝え父は背を向ける。そして振り返ることなく足早に立ち去り、部屋は重い沈黙に包まれた。


「あの、クリスタル様……」

「……ハンナ、せっかくよういしてくれたんだ。おちゃをいただこうか」

「は、はい。ただいま」


 ハンナとサイラスのどこか居心地の悪い視線を感じて、口に浮かべていた笑みが醜く歪むのがわかった。

 お茶に手を付けるどころか、長椅子に座ることもなかった。

 それどころか私の名を呼ぶことも、目を合わせることすらもない、時間にしたらほんの数分の邂逅。

 それを残念に思ってしまうのは、やはり心のどこかで期待していたのだろうか。

 母を亡くしたばかりの私に。ずっと体調を崩していた私に。こんな時くらい、優しい言葉の一つでもかけてくれるのでは、と。


 だが、これではっきりわかった。

 やり直した今だからわかる。

 父は私になにも期待していない。むしろ、私の存在が疎ましいのだ。


「クリスタル様、どうぞ」


 ふわりと鼻を擽る香りに、顔を上げた。目の前に置かれたのは、どこか懐かしい白磁に菫が描かれたティーカップ。脇に添えられたミルクポットにも、可愛らしい菫が一輪咲いている。


「ありがとう。かおりがいいね。これは?」

「はい。秋摘みの茶葉でございます。アンネマリー様はミルクを入れて紅茶を飲まれるのがお好きでしたから、毎年この時期になると、一番に届くように手配しておりました」

「お母さまが……そうか。このティーセットも見おぼえがある」

「ええ。これはアンネマリー様のお気に入りでしたから。よくこれでお茶を嗜まれて……」


 紅茶を見て思い出すのは、新しい母が屋敷に来た直後の出来事だ。

 茶葉が突然質の悪いものへと変わり、珍しくハンナが声を荒らげたのだ。母が健在ならこんなことは起きなかったのに、と。

 以前の記憶を辿ると、母が亡くなった直後から父の態度が露骨に変わったように思う。

 そしてそんな父に感化されたか、周囲の態度もあからさまに変わっていく。

 母という後ろ盾をなくし、ことあるごとに父から厳しく叱責される姿に、使用人達は私を取るに足らぬ存在だと判断したのだろう。

 屋敷の中で私は軽んじられ、徐々に孤立していく。

 そして新しい伯爵夫人を迎えた翌年、弟の誕生に屋敷中が沸く中、居場所をなくした私は遂には屋敷を放逐されるのだ。


 このままなにもせずにいれば、私は間違いなく前回と同じく未来を辿る。

 常に父の顔色を窺い、息を潜めるような屋敷での生活。新しい母とも弟とも滅多に会うことはなかった。

 だが、いくら努力しても認められず、その果てに放逐が待っているのなら、もう我慢しなくてもいいのではないだろうか。

 かつての記憶がある今なら、もっと違う生き方ができるのではないだろうか……?


「……ハンナ、サイラス、おしえてくれないか」

「はい、なんでございましょう」

「前の言ったとおり、わたしはいずれウンブリアに居を移すだろう。あの土地はヴァルスターの、つまり父のりょう地なのか?」


 私の問いかけに、ハンナは紅茶をいれる手を止めてこちらを見た。


「いいえ、ウンブリアは元々王家の狩猟場の一つなのです。ですからあちらにある屋敷は、本来は管理人のための屋敷なのでございますよ」

「管理人の? お母さまは、よくあの屋しきで過ごしたと言っていたが」

「クリルタル様、アンネマリー様は身体が弱く、長距離の移動がかないませんでした。そしてアメシス公爵夫妻を亡くしたアンネマリー様を不憫に思った先代の国王陛下が、わざわざウンブリアの屋敷を下賜されたのです」


 サイラス曰く、城からウンブリアまでは馬車でも朝に出れば夕刻には着く。それが母が無理なく移動できるギリギリの距離だったのだそうだ。


「ご結婚されてこのお屋敷に来てからも、夏の一番暑い時期はよくウンブリアに滞在されてました」

「そうだったのか。つまり、ウンブリアの土地や屋しきを、父がかってにうばうことはできないのだな?」

「その通りですが……クリスタル様、なにをお考えですか?」


 怪訝そうに眉を顰めるサイラスに、私はニッコリ笑いかけた。


「サイラス。おじいさま、前ヴァルスター伯しゃくにてがみを書こうとおもう。だが、家令をつうじてだしたくないのだ。なにか上手いほうほうに心あたりはないか?」





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