さよなら、竜たち
ドレセウス一世号は船首を高々と上げ、船尾からゆっくりと沈んでいった。生き残りの船員を詰め込んだ救命ボートを下ろして五分もなかった。全員が死んだようにグッタリしてる中でキャリオウだけが元気に櫂をこいでいた。一人で十人力の馬鹿力を発揮した彼だが、上陸したとたんに元気はなくなった。魔物どもは全て、ルパーオウとクイリュンが掃討していた。数は多くともドラゴンと渡り合える魔物はいなかった。しかし死傷者も多く、救助を待つ状態だ。
「この期に乗じてブロセニアが動くと厄介ね。すぐに本国に連絡を」
「必要ありませんよ、姫」
目を丸くするジュステにサズマはこう付け加えた。
「国境付近に大規模な演習中のグロンデニアの部隊があります。無理をするほどブロセニア王は愚者ではありません」
「演習ってそんな都合のいいタイミングで?……サズマ!父上に密告したわね」
「はぁ?何のことでしょうか?……それよりキャリ……もとい、シーリーン様はどこに」
「あそこにいるわ。……サズマ帰国したら覚悟しなさい」
サズマは肩をすくめてキャリオウのいる岩場へと向かった。
「シーリーン様、何をなさって……」
サズマは口をつぐんだ。彼は足もとの岩肌を見ていた。そこから小さな声が聞こえていた。
「ごめん……兄……上、許して……お願い……僕が悪……」
悔恨の声は岩に同化した石の顔が発していた。オルスティン大臣の顔だった。
「サズマさん、何とかならないか」
「もう無理です。魂をほとんど食い尽くされています……気になさってはいけません。あなたにとっては父上の仇。受けるべき報いなのです」
「うん、わかってる」
キャリオウは顔をそっと近づけた。そして大臣だった者の耳元で何かささやいた。言葉が届いたのだろうか、石の顔は沈黙し、涙を流した。そのまぶたがゆっくりと下り、閉じられた。
「優しい方ですね。あなたは」
キャリオウが最後にかけた言葉はサズマの耳には聞こえた。
(誰が許さないと言っても、もう俺が許しちゃってるよ、大好きなオルスおじさん)
仇の死ではなく、優しかった伯父との別れのため言葉だった。そして別れはもう一つあった。サリアナ王妃がキャリオウの目の前にいた。そして彼女の向こうにルパーオウが、クイリュンが、リュイリュンがいた。キャリオウは黙って足を進めた。考えがまとまらない、どころか何を考えたらいいのかわからなかった。足は王妃の前で止まった。
「シーリーン……」
名を呼ぶだけで精一杯なのだろう。次の言葉はなかった。キャリオウも言葉を返せなかった。口は動きかけるのだが、声は出なかった。どうしてよいかわからずに育ててくれた家族を見た。
クイリュンは顔をそむけてキャリオウを見ないようにしていた。
リュイリュンはすがるような目で見つめていた。
ルパーオウはこちらを見ていたが、キャリオウの視線に気づくと目を閉じてしまった。
この時、キャリオウは心を決めた。サリアナ王妃の目を見つめこう言った。
「母上、ただいま帰りました」
王妃の瞳から涙がこぼれた。キャリオウを抱きしめ声を上げて泣き始めた。
「こんなに大きくなって、立派に育って……」
王妃ではなく孤独と恐怖に耐え抜いた、一人の母親。キャリオウは母の頭を優しく抱きしめた。そしてもう一度、ルパーオウたちを見上げた。
「帰るぞ、クイリュン、リュイリュン」
「そうですね」
淡々とした言葉に他人は薄情と思えるかもしれない。この家族の十二年間を知らない者には。
「でも!……わかったわ。帰ろう」
抗議しかけたリュイリュンも黙って翼を広げた。突風を起こして三匹のドラゴンは飛び立った。青い空の彼方を目指して、振りかえることなく。
「いいのですか、これで?シーリーン」
涙をぬぐう息子に母は問いかけた。迷うことなく答えが帰ってきた。
「いいんです、これで」
神殿での戦いから数ヶ月が過ぎた。大臣の死去と王子の帰還で起きた混乱も今では平静さを取り戻した。ブロセニアは周辺諸国から糾弾され、現ブロセニア王は引退を余儀なくされた。一方、グロンデニアとは以前より親密な国交が始まっていた。
「さて、お茶でもいれましょうか」
サリアナ王妃は席を立ってポットに湯を注いだ。彼女は幽閉されていた北の塔にそのまま居座った。思い出の場所でもあるので動きたくない、とのことだった。
「ところで、王妃様。質問があるのです」
「何かしら、サッちゃん」
「あなたは最初からシーリーン王子を本物と見抜いていましたね」
「ええ、最初からわかっておりましたわ」
微笑む王妃の顔には、以前と違ってわずかなかげりもなかった。
「何の証拠もなかったのに。母親のカンというやつですか?」
「そうよ、私もそれを聞きたかったの」
ジュステも身を乗り出して聞いてきた。
「そうねえ、カンというのもあったけど」
王妃は壁際へ行った。そこには肖像画が掛けられていた。ただ一枚だけ火災の難を逃れた先王の肖像だ。
「一言でいうとね、全然変わらないのよ」
肖像画を外して裏返すと、もう一枚の肖像画が裏に隠されていた。それを見たジュステたちは驚き、かつ納得した。
「陛下、十五歳の時のお姿よ。生き写しってこういうのを言うのね」
額縁の中で、茶色の髪のキャリオウが静かに微笑んでいた。
「ウウッ、まだ……なのか?」
キャリオウ改めシーリーン王子は苦しい立場にあった。この拷問は何時間続くのだろう。
「王子、動いてはなりませぬぞ」
王室ご用達の老画家がピシャリと言った。
「もうちょっとだけ我慢してね。お兄ちゃん」
あろうことか義妹までもが拷問に荷担していた。
「御年十五歳に肖像を残すは古来よりの慣わしです。リュイリュン君、赤を少しくれ」
「はい、先生」
部屋の天井に届きそうな大きな白竜が赤い絵の具をパレットに出した。その間もシーリーン王子は決めポーズを崩すことは許されなかった。
「ふむ、今日はここまでにしておくか」
「ご苦労様、お兄ちゃん」
画家がキャンバスを片付けるのを手伝いながら、リュイリュンは兄の苦労をねぎらった。
「何もしなくていいっていうから楽な仕事かと思ったのに」
疲れ切った王子様はへたり込んだ。魔族相手に戦う何倍も疲れた。
「そうだ、明日は父ちゃんの店の開店じゃないか!手伝いに行かなきゃ」
明日、下町にガラス工芸店『火竜の煌き』がオープンする。歴史上初のドラゴンが経営する店である。店主の名はルパーオウ。城に住み着いたドラゴン一家の主だ。飛び去ろうとするドラゴン一家を呼びとめたのは王妃だった。彼女はこう言った。私は子育ての経験がなく、城に頼れる者もいない。よければ、王子が一人前になるまで面倒を見てくれないだろうか、と。
「お店は母さんが手伝ってるから大丈夫だよ。お兄ちゃんはね……しっかりお勉強!」
「次は地理の授業を受けていただきます」
画家と入れ替わりで地理学の教師が入ってきた。
「その次は法学ですので」
「その後は私の歴史でございますから」
「目を通していただきたい書類が……」
廊下は順番待ちの人々が列を作って待っていた。キャリオウの頬がピクピクと引きつり、笑顔が元に戻らなくなった。
(ああ、竜の島から出るんじゃなかった)
「ふむ、そろそろか?」
庭木の手入れをしていたゴンザレスはふと、顔を上げた。そして予想通りの騒ぎが起こった。
「王子が逃げたぞ!」
「捕縛隊、出動!」
「王子発見!北側城壁を登っています」
「逃がすな!必ず地理の授業を受けさせろ」
「手荒になってもかまわん!怪我をさせる心配はない!」
「なんたって頑丈王子だからな」
そして、キャリオウの試練は続く。今日も、明日も、明後日も、いつまでも。




