搭上の軽業師(2)
「聞かせてもらったぞ、下らぬ茶番劇の舞台裏をな」
ルパーオウが身を揺すると椅子がギシギシ鳴った。荒れ狂う心の中をうかがわせるような、耳障りな音だ。彼がいるのはジュステのために用意された質素な客室だ。テーブルの向こうにはジュステとサズマがつらそうに身をすくめていた。この場にいないのはキャリオウだけだ。
「ハッ?大臣の尻尾をつかむために偽王子を仕立てるだと?自分たちが用意した替え玉が逃げたから、私の息子に代役をやれだと? 」
「愚かな頼みとはわかります。しかし他に方法がないのです」
「すぐにでも帰らせてもらおう」
「お願いです!成人の儀までに王子が城に戻らねば王位は大臣の手に落ちます!」
「我々には関係ないな。ニセ王子が欲しければ他をあたるがいい」
「大臣は自分の息子のダンをブロセニアの王女と結婚させて軍事同盟を結ぼうとしております。そうなればこの国は戦争への道を突き進むでしょう」
「それはお前たち人間の問題だ」
「大勢の人が死ぬのです!止めなくてはならないのです!」
「……うるさい。これ以上、不愉快な言葉を吐くな」
必死の説得は仇となった。ルパーオウは席を立ち、退出しようとしていた。
「お待ちください」
ジュステも席を立った。そして生まれて初めての行動を取った。
「ご子息の身は全力で守ります!出来得る限り謝礼も致します!お引き受けください!」
彼女は土下座していた。何処の馬の骨とも知れぬ無礼な男に。サズマも主人に従い、床に額をこすりつけていた。しかし返ってきた言葉は冷たいものだった。
「お前たちの約束など何の意味もない」
ルパーオウはドアに手を伸ばしたが、その手が空振りした。ノブを握るより早くドアが勝手に開いたのだ。そしてドアの外にいた人物を見てルパーオウは目を丸くした。
「まあまあ、ルパーオウ殿。そう怒りなさるな」
「グレム婆さんではないか!なぜここにいる?」
情報屋を営む小柄な老婆は愛想のいい笑いを振りまいていた。ルパーオウ以上に驚いたのがジュステとサズマだった。通常警戒とはいえ、城の中に市民が簡単に入って来れるわけない。
「邪魔するよ」
まったく気にした様子もなくグレム婆さんは部屋へ入った。
「なーに、頼まれた情報が入荷したからね。納品にきただけじゃよ」
「どうやってここまで入ってきた?」
サズマの声に警戒心が宿っていた。手は剣の柄にかかり、燃える瞳で威嚇していた。
「か弱い婆さん相手に恐い顔しなさんな。大臣お抱えの商人に少し金を握らせただけさ」
勧められもしてないのに老婆は勝手に椅子に座り、勝手にお茶を飲んだ。
「もっとも、情報の大部分はそちらのお姫様から聞いたと思うがね」
「ああ、まったくの無駄足だった。ちゃんと料金は払うから安心して帰るといい」
「ふふん、じゃあこのネタはどうかね。そこの二人もよくお聞き」
グレムは余裕たっぷりに鼻で笑った。
「魔界の者どもがこの馬鹿騒ぎに乗じて、一計企んでおる」
「あの王妃様が、もしかしたら俺の……」
星空を一人で見上げてキャリオウはつぶやいた。大事な話をしているので待っているように言われて、彼は北の塔の客室で待っていた。待っている間ずっと考えていた。本当の母親。実感がわかない。家族という言葉で連想するのは、とても大きなドラゴンの姿だけだ。母といえば島で一番優しくて恐い白竜しかいない。
「そんなはずはないか。王妃様と戦災孤児捜しは無関係だってサズマさんが言ってたし」
あの後で聞いた話だが、彼女は夫と息子を同時に失ったショックで正気を失ったという。そして十二年間、幻の夫と幻の王子と暮らし続けていると聞いた。
「生みの親を知らない俺だけど家族には恵まれている。でもあの王妃様は……」
十二年間の孤独、理解しがたい不幸に違いない。
「なんとかしてあげたいな……あれれ?」
キャリオウは目を凝らした。窓の一つに数少ない人間の知り合いの姿が見えたのだ。
「あれってサッちゃんじゃないか。大事な話が終わったのかな。何してるんだろう?」
闇の中でもキャリオウの視力は小鳥を抱くサズマの姿を捉えていた。
「成人の儀まで何日あるんだ?」
「あと三日です」
サズマとルパーオウは並んで歩いていた。あの後、ルパーオウは息子の安全を条件に協力を申し出た。
(我が一族の祖は魔王を封じた偉大なる赤竜。以来、魔をこの世から駆逐するはドラゴンの戦士の義務と定められておる。無視するわけにはいかんか)
城をぶち壊して帰りたいところだが、魔物とドラゴンの因縁ゆえ留まらざるを得なかった。
「最初にいった通りだが協力するのは成人の儀までだ。後は知らん」
「承知しております。詳しい話は明日にでも」
サズマは立ち止まり、ルパーオウは先へ進んだ。ここでサズマは奇妙な行動に出た。人影がないのを確かめた上で、窓に立ち口笛を吹いた。すると暗闇の中を一羽の鳩が舞い降りてきた。
「ピピッ?」
「よーし、いい子だ。いつもどおりに頼むよ」
それからサズマは口笛を一曲披露した。観客は鳩一羽だけ。しかも鳩もまたサズマの歌を真似るかのように同じ曲を歌い始めた。歌い終わるとサズマは鳩の頭を撫でた。
「よし、必ずこの曲を仲間に届けてくれよ」
暗号歌を覚えた鳩は夜空に向かって放たれた。鳥目で夜は飛べないはずなのにまっすぐに北を目指していた。
「これでよし……うっ?」
闇の向こうに黒い気配が走った。目を凝らすと屋根の上を飛び跳ねる影がかすかに見えた。影は北の塔に貼りつき、素早く登っていく。明らかに塔をかすめて飛ぶ鳩を狙っていた。
「しまった、気づかれたか!」
サズマは窓から飛び出し、影を追った。塔に貼りついた男の動きは人間ではなかった。人間だった頃の彼の名はキジン、ホテル襲撃犯の片割れの小男だ。両手の剣と両足の爪をレンガに突き立て、人外の速度で登っていく。受けた命令は一言だけ『鳩を殺せ』。理由は聞かされなかったが、全力をあげて遂行せねばならない。
「と言っても簡単な仕事だナァ」
耳まで裂けた唇を長い舌がペロリと舐める。丁度、小腹がすいたところだ。鳩一羽とは食い甲斐がないが、暖かい血の味はありがたい。鳩はまだ気づいていない。後は塔の屋根の上から手を伸ばして翼を刻めばいい。実に簡単な仕事だ。音をたてないように慎重に剣を振り上げた。
「いらっしゃい、夜食君」
ヨダレを垂れ流しながら、剣を振る寸前だった。
「グゲェッ!」
何かが首に巻きつき、ギュウっと締め上げた。一瞬動きの鈍った剣の下を鳩は無事飛び去った。キジンは首に巻きついた物を外すと食事の邪魔をした張本人を睨んだ。
「キサマッ!」
「小さい動物をいじめるのはよくないぞ、昼間のおっさん」
狭い屋根の反対側にロープを振りまわしながら立つ少年。キャリオウがそこにいた。袖から引き出した黒いロープを避雷針にからめて、すぐ下の窓から登ってきたらしい。
「よくもジャマしてくれたナ!お返シに腕の一本も、モらうゾ」
足爪を屋根板に突きたてながらキジンがジリジリと迫ってきた。
「あげないよーだ!」
対するキャリオウは命綱に身を預ける立場。しかも見下ろせば目もくらむ高所に不安定な足場、加えて夜闇で敵の姿もハッキリとは見えないはず。状況の全てがキジンに味方していた。
「右腕、もらったアァァァッ」
屋根板を蹴り、キジンは跳びかかった。足場を気にするキャリオウは振り上げた剣をかわしきれないはずだ。
ガシッ。だが剣撃は屋根板をへこますだけに終わった。驚く暇もなく手首をロープが打たれて声も出せないくらいの激痛にキジンは顔を歪めた。キャリオウは不安定な足場を気にかけずに屋根の反対側にジャンプし、命綱を武器に転じて反撃を加えたのだ。
「な、ナゼこの危険な高さで動ける?ナゼ俺の動きが見える?」
「んーっ?この位の高さならガキの頃から遊んでたぞ。それに暗いといったって本が読めないって程度じゃんか。喧嘩するには困らんけどな」
キジンは知らなかった。目の前にいる一見普通の少年が、空の上でドラゴンと喧嘩していたような奴だということを。ランプもロウソクもない夜の森でキノコ狩りを手伝っていたことを。
「クソッ!」
怒りにかられて再び剣を振り上げたキジンだが、痺れた手首で振るう剣は格好の的にすぎなかった。横殴りの拳の一閃で剣はへし折れ、闇の中へ落下していった。
「武器がなくっちゃ降参しかないだろ。色々と白状……」
「誰ガ武器がないだっテ?」
追い詰められたはずのキジンが薄笑いを浮かべていた。キジンは黙って手の平を示した。
「な……?」
今度はキャリオウが驚く番だった。キジンは剣を握っていたのではなかった。剣は手の平から生えていたのだ。
「コレはナ、剣ジャない。俺様の爪ナんだ。しカも」
へし折れた刃の部分がスルスルと伸びて剣は元通りに修復された。
「何度でモ生え変わる、ついでニ……」
キジンの脇の下がボコッと盛り上がった。左右二ヶ所ずつ四ヶ所、服が裂け、とんでもない物が出てきた。新たな腕だ。元からの二本に加えて、計六本の剣の生えた腕が向けられた。
「これガ俺様の本当の姿だヨ。素早いキサマでも六本腕の攻撃かわしきれるカ?」
ヒュッ。言い終わる前に斬撃がきた。同時に襲い来る六本の剣は嵐のように容赦なかった。
「ひえぇぇぇッ!」
なんとか第一波をかわしきったキャリオウだが、頬に朱線が走っていた。数百メートルの落下に耐えるキャリオウの肉体を切り刻める魔の刃。生け捕りするには危険過ぎる相手だ。
「おい、屋根に人がいるぞ!」
「賊か?王妃様はご無事か?」
「一人はキャリオウとかいう少年らしいぞ」
下で衛兵たちが騒ぎ始めた。城中のたいまつがともされ、赤い炎の光がうっすらと塔上の死闘を照らした。この時、衛兵より一足早く、サズマが塔の下に到着した。そこで丁度、庭に出て上を見上げてうろたえている王妃に出会った。
「王妃様、お怪我はありませんか!」
「ああ、サズマ! あの子が、シーリーンが!」
サズマも見上げると、キャリオウが屋根際に追い詰められたところだ。
「ここを動かないで!私にお任せください」
泣きながらうなずく王妃を残して、サズマは塔に駆け込んだ。螺旋階段を一気に駆け上がる。
(ドス黒い気配ともう一人。魔物とキャリオウ君の気配か。もう少しだけ持ちこたえてくれ!)
だが、願いは虚しく終わった。二つの気配が下に向かってスゥッと移動したのだ。
「落ちたのか!」
「逃げ場はナイぞ」
キジンは六本腕を蜘蛛のように広げた。左、右、頭上、全てふさがれた。一歩後ろは空中。飛び降りて逃げるという手もキャリオウに限ってはあるが、空中に出た一瞬を突かれたら終わりだ。突きを避けられない。
「シュートロウみたいに翼があればなー」
幼馴染のドラゴンの小馬鹿にしたような顔が思い浮かんだ。こんな三下魔物に負けたと知ればシュートロウはきっと大笑いするだろう。
「さっきは腕一本と言ったガ……死ネィッ!」
この時、キャリオウの取った行動は……後ろに倒れ、塔から落ちるというものだった。剣は鼻先を掠めるに終わったが、切っ先は重心を失ったキャリオウの体に狙いをつけなおしていた。落下速度より速く心臓をえぐるのはたやすいことだ。
下方で悲鳴が聞こえた。王妃が絶叫し、目をおおった。斬り殺されるか、転落か、彼女が目にするのはどちらかしかない。しかもキャリオウは命綱をゆるめて避雷針から外してしまった。
「なにィィィッ?」
一見すると自殺行為だが、狙いは別にあった。外れたロープはキジンの足に巻きついた。落下するキャリオウに引きずられてキジンも屋根から転落した。
「ヒィィィッ!」
景色が上下逆転した、塔の外壁が下から上と流れを加速していく。
ジャキッ!キジンは必死で爪を壁に打ちこみ、なんとか落下を止めた。冷や汗を拭いて下を見るとキャリオウも塔に貼りついていた。ロープを塔に巻きつけ、体を固定して難を逃れていた。自分同様、冷や汗を拭いて一息ついてる姿を見てキジンは怒りを沸き立たせた。
「人間ノ分際デ……よくも俺様ヲ!」
キジンは文字通り巨大な蜘蛛のように壁を伝ってキャリオウへ迫った。
「何とか助かったけど。うーん、これからどうしようか?」
キャリオウは次の手を考えていた。が、何も思いつかない。魔物を倒すには心臓の位置にある核を砕くか、魔力を備えた武器を使うしかないと聞いた。だが、武器といってもロープしかないし、核を砕くには懐に飛び込まなくてはいけない。かと言って逃げるというのは論外だ。頭に血が昇った化物をこのまま塔の下に下ろしたらどんな惨劇になるかは想像できた。考えあぐねていると声が壁の向こうから聞こえた。
「キャリオウ君、無事か?」
「あ、来てくれたんだ。サッちゃん!」
サッちゃんと呼んだ時にずっこける音が聞こえたが、サズマの声は途切れず続いた。
「説明してる時間がない。奴が君の真上から来るようにできないか?」
「やってみるよ」
キャリオウは顔を上げた。キジンと視線があうと、ニヤーッと歯を見せて笑ってみせた。
「やい、蜘蛛ヤロー。恐くて近づけないのか?」
ジリジリ間合いをつめていたキジンが止まった。死角に回りこんで確実に殺るつもりだったのだが。馬鹿に馬鹿にされたという思いが怒りに火をつけた。
「アホ面ごと踏み潰してやっから、さっさとかかってきな。この出来損ないの蜘蛛野郎」
「キサマこそ馬鹿面を斬り落としてやル!」
キジンは走るようなスピードで這い降りてきた!腕、というより前足の爪を鎌のように振りかざして。
この時、塔の中でサズマは呼吸を整えていた。黒い気配が降りてくるのがわかる。あと数秒で正面の壁の外側を通過する。サズマは剣を抜いた。破魔の文様を刻んだ刀身が冷たく光る。
「月光の騎士、サズマが魔剣『ユニコーン』……」
刀身の文様が銀光を放ち、気配が目前を通過し、聖獣の名を持つ魔剣が下から上へ一閃した。
「……秘剣『透剣』」
見たところ何も変化はなかった。壁には傷一つなく、ただの素振りにしか見えぬ一撃だった。刀身が鞘へと戻った時、絶叫が壁の外で聞こえた。
確実に殺せる自信がキジンにはあった。標的は自力では一歩も動けず、武器も黒いロープのみ。鋭く長い爪をなぎ払えば終わる。
「クタばれ、クソ生意気な小僧めガ」
前足を振り上げてやってくるキジンに対し、キャリオウはロープを握る手を片方だけ離して拳をかためた。しかし不安定な足場で威力のあるパンチを打てるはずはない。
「アギィッ?」
キジンの爪は全く的外れな方へ流れた。驚いて自分の手元をみると、肩から先がなくなっていた。六本の腕と足が切断されて空中に散らばっていった。実に見事な切断面には一滴の血も、わずかな痛みすらもなかった。信じられぬ、という表情で落下していくキジンの頭頂から股間にいたるまで朱色の一線が走った。
「すげえや、サッちゃん!」
感嘆の声を上げるキャリオウの両脇を真っ二つにされたキジンの胴体が白煙を上げながら通過する。地上に着く間さえなく、キジンの肉片はボロボロに崩れ消滅した。
『透剣』サズマは手にした剣と同じ威力の『見えない刃』を空間に生み出す技を使う。実在しない刃なので一度に数本作り出すことも、壁の向こうに出現させることも自在だ。射程距離は五メートルがやっとだが、普通の盾や鎧では防ぐことはできない。さらに剣自体の破魔の力を借りれば、魔族に対し必殺の技となる。
「姫でさえ知らぬ我が剣技。冥土の土産話にするといい」
静かに剣を収めたサズマは、ゆっくりと階段を降り始めた。
「お怪我はありませんか!」
「あのバケモノはどこへ消えた?」
「他にもいるかもしれん、捜せ!」
キャリオウは集まってきた衛兵の真中に降り立った。魔物が侵入したというので城内は大騒ぎになっていた。
「おー、どーもどーもご苦労さん。俺は怪我ないからね……あ、ヤバイ」
心配する衛兵たちに愛想を振りまいていると、恐ーい人物二人がやってくるのが見えた。ジュステ姫とルパーオウだ。二人とも血相変えて目を吊り上げてやってくる。無茶やらかしてるのを見て激怒しているのは明らかだ。
「ここはひとまず逃げようか」
が、逃亡を画策するキャリオウの前に一人の人物が立ちはだかった。
「あ、王妃さ……いえ、母上」
パチィーン!高い音がキャリオウの頬で鳴った。びっくりしたキャリオウは何か言おうとしたが、言葉は出なかった。泣き顔を隠そうともせずに王妃はキャリオウを抱きしめた。
「貴方にもしものことがあれば……私はどうすればいいのです?」
「あう……その、ごめん。母上」
キャリオウは泣き続ける王妃の頭を優しく撫でた。自分の胸に顔をうずめて泣く女性を美しいと思った。人間に対してそんな感情を抱くのは初めてだった。
「大丈夫だよ、もう危ないことは……」
視界の片隅にルパーオウたちの姿が見えた。ジュステは何かつらそうに視線を逸らした。ルパーオウは憮然として目を閉じ、背を向けて立ち去った。
「もう危ないことはしないから」
それから心の中でつぶやいた。(ごめんな、父ちゃん、母ちゃん)ぶたれたばかりの頬が妙に熱かった。
「大臣、これはどうしたことですかな」
ヴィヴィン将軍は髭をもてあそびながら、不機嫌そうに聞いた。ジュステたちの後に入城してから、執務室でずっと密談を続けていたのだが、魔物侵入の報でそれどころではなくなった。
「心配はいりませんよ、将軍。予定外の乱入者が少し増えただけです」
穏やかな笑顔を浮かべる大臣だったが、心の中は穏やかどころではなかった。
(くそ、バカ息子めが。城内で騒動を起こしては、将軍の不信を買うのがわからんのか!)
「予定ではシーリーン王子は成人の儀には姿をあらわすことなく、行方不明から死亡と認定される。代わって人望厚いオルスティン大臣殿が新王として即位し王位継承者の証を受ける。実に単純な計画のはずですが」
「計画に変更はありませんよ。王子など、この世にいないのですから」
「そうですかな……今、諸国でどんな噂が広まっているのか知りませんか?」
「いいえ、どんな噂です?」
「行方不明だった王子が戦災孤児身元調査で発見され、このたび即位する、とね」
聞いたとたんに大臣は激しく机を叩いた。
「そのような噂話に惑わされるとは!ブロセニアにその人あり、といわれたヴィヴィン将軍の言とは思えませんな!」
「なに、ただの噂ですよ。ただのね」
激昂する大臣に対し当のヴィヴィン将軍は落ち着いたものだった。
「しかしですな、数々の援助をしてきた我が国としては神経質にならざるを得ない」
王の亡き国に対し復興援助から治安維持までブロセニアは多額の投資をしてきた。それもひとえにマシュオン国内の港を手中に納めるためであった。制海権を手にすれば戦争も貿易も思い通りにできる。しかし大臣が王位につき損ねれば全て無駄になってしまう。
「ご心配には及びませんよォ、父上」
緊張感ゼロのお気楽な声が入り口の方からした。並みの神経では恥ずかしくて出歩けないほど着飾った青年がドアのもたれかかっていた。少々、酒気も帯びてるらしい。
「華麗なる愛の貴公子・ダン、ただいま戻りましたぁ!」
「色ボケ息子か……失敗しおったな!」
「はぁーい、もーしわけありませぇん」
千鳥足でクルクル回りながら部屋に入ってきたダンはだらしない格好でドカッと腰を下ろした。酒くさい息を吹きかけられて将軍は顔をしかめた。
「でもー、収穫はありましたー!おとーさま、耳を貸してぇ」
あまりの酒臭さに大臣は鼻をつまんで耳を近づけた。囁かれた話に驚きつつ、ニヤリと笑う。
「そうか、そうか。偽王子の化けの皮をはぐ時が楽しみだな」
話し終わってスースーと寝息を立て始めたダンの隣でオルスティン大臣は含み笑いを始めた。そんな彼らをヴィヴィンは冷ややかに見つめるだけだった。
港から少し離れた暗い浜辺に小さな波が打ち寄せる。夜半を過ぎると街の喧騒もここまでは届かない。
バシャッ。波音にわずかな乱れが生じた。波間から黒塗りの腕がニュッと突き出され、岩をつかんだ。続けて、やはり黒塗りの巨躯が海から引き出され、右肩の盛り上がった異様な姿があらわれた。覆面を脱ぎ肌に密着した黒服を脱ぎ捨てると、男は岩場に隠しておいた服に着替え、紅のマントを羽織った。
「首尾はどうだったかね、大盗賊グロッグ殿」
「グレム婆さんか」
不意をついた声にも驚かず、グロッグは背中を向けたままで答えた。
「あんたの情報通りだ。城の騒ぎで艦の兵も将軍の警護に向かった。警備は手薄だったぞ」
グロッグは手にした円筒形の書類入れを見せた。海の中で濡れないように封がなされていた。
「それが例の文書かね?」
「そうだ。将軍の屋敷では見つけられなかったが、ようやく手に入った。大臣が裏切らないように脅しに使うつもりだったのだろう」
グロッグは低い口笛を吹いた。すると音もなく一羽の鷹が飛来した。書類入れが宙高く投げられ、鷹はそれを足でつかむと北へと飛び去った。この鷹もサズマの鳩と同じく夜目がきくように訓練されているらしい。
「間に合うかの?あと三日しかないぞい」
「間に合わせるとも。今度こそは」
老婆の問いに答えた、というより自分に言い聞かせるようにグロッグはつぶやいた。




